大型犬に懐かれたら



「斉藤獅子丸。よく訊かれるんで初めに言っておきまーす。身長183センチ恋人なし。好きなひとは後ろの席の鈴木くんでーす。よろしくね!」


2年次の初めのホームルームでまさにその後ろの席に座っていた俺はずっこけた。
斉藤は明るくひとなつこい性格と人好きする容姿で、クラスのというより学校の人気者だ。
森のなかの木の葉のように目立たずひっそり生きている俺とはいままでなんの接点もない。
しいて言えば、彼の”獅子丸”という名前が偶然うちで飼っている犬と同じというくらいだ。
本当になんの関わりもない。

一瞬教室内は静まりかえり、しばらくして爆笑が起こった。
あっけらかんとした告白は冗談と受けとめられたらしい。
ふざけた自己紹介をした斉藤が座ったので、俺は椅子を鳴らして立ちあがった。
クラス中の視線を痛いほど感じるが、俺はいたって普通の少年なのでみんなの期待に添うようなおもしろ発言はできない。


「えっと、ただいまご紹介に預かりました斉藤くんの後ろの席の鈴木サヤトです。趣味は音楽鑑賞。よろしくお願いします」


気のきいたセリフはなにも思いつかなかったので、斉藤の意味深な言葉はぜんぶ無視した。
普通だ、見た目も普通だという囁き声が聞こえる。
あのプレッシャーのなかで声が震えなかっただけでもよしとしてもらいたい。

無事ホームルームを終え休み時間になると、斜め前の席の中島が声を掛けてきた。
こちらは俺と似たりよったりの平凡グループに属する。
1年のときも同じクラスで席が近かったから仲がいい。


「なになに?鈴木と斉藤は友達だったの?」

「さあ?」


俺は答える。
斉藤は1年のとき別のクラスだったし、部活でもその他の行事でも一緒に行動した記憶はない。


「さあ?ってひとごとみたいに」

「ちがうよぉ」


ちょっと間延びしたアホっぽさのにじむ声が前から聞こえた。
斉藤が後ろを向いて椅子に座りなおした。


「俺ね、鈴木くんにひとめぼれ。びびびっときました!」


そう言ってにこにこと笑う。


「あ、そう……」


どうリアクションしていいかわからず苦笑いを浮かべてそれだけ言った。
自分で言うのも悲しいが、俺の外見は可もなく不可もない。
これといった特徴もない似顔絵師泣かせといえる顔立ちだ。
これのどこにひとめぼれする要素があるというのか。


「そういうわけでぇ、俺と付き合ってください!」


斉藤はこの冗談をどこまで引っ張るつもりなのか。
おもしろ男子でない俺はどう返していいものかわからない。
じっと斉藤を見る。
斉藤もじっと俺を見つめている。
くろぐろとした綺麗な目だ。
心なしかキラキラと期待に輝いてみえる。
たとえるなら、ご褒美を前にした子犬の目みたいな。

救いを求めて中島を見ると、テレビショッピングにでてくる外国人のようなうさんくさい笑顔で親指を立てている。

(え?ゴーのサイン?オッケーしろってこと?)


「ええと、じゃあ、よろしくおねがいします」


すると急にクラス中が歓声に包まれた。
カップル誕生だー!とかなんとか。
どうやら中島だけでなく、みんなが成り行きを見守っていたらしい。


「やったー!」


もちろん斉藤もおお喜びだ。
よかったな、おめでとう!とクラスメイトたちの祝福を受けながら、俺はこれのオチがいつやってくるのか考えていた。


***


さてめでたくクラス公認のカップルとなった斉藤と俺だが、当然その後何があるわけでもなく普通に学園生活を過ごしていた。
変わったことといえば、いままで中島とふたりでいることが多かったのが、斉藤も含めた3人で行動するようになったくらい。
休み時間は他愛もない話をして、昼休みは一緒にご飯を食べる。
馴れ初めこそ衝撃的だったが、普通の友達となんら変わらない。

そんなある日、数学の抜き打ちのミニテストがあった。
初めの30分でテスト、残りの20分で答え合わせと解説だ。
俺はあまり数学が得意ではない。
なのでさんざんだった。
思い返せば俺は1年目の夏休みも冬休みも数学の補修を受けているのだ。

答案を握りしめて頭を抱えていると、中島が振り返った。


「鈴木ーテストどうだった?」

「だめ、全然だめ」


先ほどのテストをひらひらと振ってみせる。


「お、勝った」

「え?どれ?」


胸を張る中島の答案を奪うと点数を見る。


「なんだよたいして変わらないじゃん」

「いやいや変わるだろ。俺赤点じゃないし」

「さやちゃん数学苦手なの?」


そんな俺らのやりとりを見ていた斉藤が話に加わってきた。


「俺教えてあげるよぉ」


独特の語尾を伸ばす話し方。
初めは思春期の男子が気持ち悪いと思ってたけど、慣れればこんなもんかなと思う。


「斉藤おまえ何様。まずは点数を見せろ。話はそれからだ」


ん、と差しだされた答案にはバツはひとつも見当たらなかった。
おいおい自己採点だったからってずるはだめだぞと答えを見比べても、間違いがなかった。
驚きだ。
喋り方がアホだから、てっきりアホの子だと思っていたのに。
本当に驚きだ。


「俺ぇ、数学得意」


斉藤はちょっと胸を張ってみせる。
のほほんと笑った顔がいつもより賢そうにみえる。


「斉藤さま!」


ハハーっと俺は机に手をついて斉藤に頭をさげた。


「勉強教えてください」

「うむ。くるしゅうない」


そう言って斉藤はいつものようにへらっと笑った。
その放課後、俺は斉藤の家に寄ることになった。


「中島、おまえは?」

「は?俺は赤点じゃなかったし世界救うのに忙しい」


1週間前に発売されたロールプレイングゲームにはまっているらしい中島は、そう言ってさっさと帰ってしまった。


「じゃあ行きますかー」


いつもにこにこしている斉藤だが今日はまた一段とご機嫌のようだ。
大きく手をふって歩き、そのたびに鞄がぶんぶん振りまわされる。


「斉藤、危ないから」


俺が注意すると斉藤はエヘヘとはにかんだ。
いや身長183センチの男がはにかんでも、かわいくもなんともないからね!
学校を出たところにある本屋に寄ったあと、いつも降りる駅のふたつ手前で降り斉藤の家へ向かった。


「おお、案外きちんとしてるんだな」


斉藤の部屋はきれいに片付いていた。
今日くるって急に決まったのに。
またもや俺のなかで斉藤の株があがった。


「適当に座ってて?飲みものとってくるー」


わかったと返事をして、入って右側にあるローテーブルのそばに座る。
部屋をあまりじろじろ見るのも悪い気がして、先ほど買ったばかりの問題集をひろげた。
ぱらぱらとページをめくり今日のテストの範囲に入るところを探していると、斉藤が戻ってきた。


「水しかなかったぁ」


そう言って氷の入ったコップをテーブルに置く。


「いいよ。んでこれ、どうしたらいい?」


問題集をとんとん叩いて訊くと、


「さやちゃんがまず問題といてぇ、わかんないところがあったら訊くって方式でどぉ?」


斉藤が答える。
うーん力が抜ける。
これで数学得意なんだから本当にひとは見かけによらない。


「おっけー」


さっさと済ませてしまおうと問題にとりかかる。
斉藤は斉藤で英語の教科書をとりだした。

(あーそういえば英訳の宿題でてたっけ。あとで写させてもらおう)

中島は勉強嫌いでそういうのができないから、いい友達ができた。
俺は暢気にそう考えていた。


「ありがとうな、俺そろそろ帰るわ」


健全な勉強会が終わり、そう言って俺が腰を上げようとしたとき、斉藤が呼んだ。


「さやちゃん」

「ん?」


顔を向けると案外近くに斉藤の顔があった。
ふにゅ、と唇に柔らかい感触。
それは一瞬のできごとで、あまりに突然だったので俺は何事が起こったのかすぐに理解できなかった。
照れたように斉藤は笑い、じゃあまた明日ね、と言った。

正直そのあとどうやって帰ったのかよく覚えていない。
布団に入ってさあ寝ようというだんになって、ようやく俺はあの告白はまじだったのかと思い至ったのだった。


***


俺はいつになく悩んでいた。
先日の斉藤宅で起きた事件で、冗談だと思っていた告白が実は本気だったのかもと思ったからだ。
真面目な気持ちを踏みにじるつもりはない。
だから断るなら早いほうがいい。

でもあれ以来、斉藤はなにも仕掛けてこない。
好きって言葉も自己紹介のときに聞いただけで面とむかっては言われていない。
もしかしたらあのキスはたまたまぶつかっただけとか、白昼夢だったという可能性もある。

そもそも斉藤はよくもてる。
斉藤の告白と俺の承諾はギャグだと受けとられているから、いまでも斉藤人気は相当のものだ。
そんなやつが、同性の、しかも取りたてて特徴のない俺なんかに手をだすだろうか。
よく考えればあのときは数学の問題をときまくって頭がもうろうとしていたし、きっと休息を欲した脳が白昼夢を見せたに違いない。
そう結論づけて俺は大きく息を吐いた。


「さやちゃんどうしたの?悩みごと?」


斉藤は悩みなどなにもないというような軽い口調で言った。


「いや……、別に」


まさか斉藤本人に”おまえ俺にキスした?”と確認するわけにもいかず、俺は適当に返事した。


「今度の土曜さぁ、さやちゃんちに遊びにいっていい?」

「え?」

「ほらもうすぐ中間だし、一緒に勉強しよ」


斉藤は爽やか好青年の顔で笑う。
俺はそのキラキラまぶしい笑顔から目を逸らして中島を見た。


「な、中島は?」

「不肖中島、恋人同士の逢瀬を邪魔するなんて野暮なまねはいたしません」

「アハハ。本音は?」

「転生しなくちゃいけないから忙しい。パス」

「おまえ点数やばくないの?」

「大丈夫。ふたりが勉強してまとめた要点だけをテスト前に教えてもらうから」

「一夜漬けする気もないのかよ!」


びしっとツッコミを入れつつ、結局斉藤とふたりで勉強会をすることになった。


***


土曜日。
約束の10時からすこし遅れて斉藤はやってきた。
いわく、さやちゃんの部屋にいけると思ったらなかなか寝付けなくて、だそうだ。
頭お花畑のやつの考えはよくわからない。

それにしても斉藤は得難い友達だ。
中島とだったら絶対こんなに静かに勉強できない。
いや、そもそも勉強会することがないか。
部屋のなかで、シャーペンの音と紙をめくる音だけがする。
ちらりとむかいを見ると、斉藤は長い指で問題集をめくり右手に握ったシャーペンでときどきノートに何かを書きつけていた。
思慮深そうなその表情からは普段の頭のかるそうな喋り方は想像できない。

ふと斉藤が顔をあげた。
目が合うとそのひとみの色の深さにどきりとする。
その目がくすりと笑った。


「質問?」

「えっ、いや、ちょっと休憩するかな、とおもって」


頬が熱くなって返事がぎこちなくなる。


「ああもうこんな時間かぁ。どおりで腹減ったと思った。お昼どうするー?」


もしかしたら赤面しているのかもしれなかったが、斉藤はなにも言わなかった。


「カップ麺でいい?」

「うん、いいよー」


ふたりしてカップ麺を食べたあと適当に菓子をつまんでいると、扉のほうからカリカリと音がした。


「シシマルかな?」

「え?」


つぶやきに斉藤が反応した。


「あ、ごめん。うちの犬」


扉をあけると蜂蜜色の毛並みのゴールデンレトリバーが入ってきた。
シシマルは我が物顔で入ってくると、しばらく斉藤のにおいを嗅いでからフンと鼻を鳴らした。
そのあとは興味を失ったように昼寝の定位置である窓のしたに寝転んだ。


「いつも俺の部屋で昼寝するから」

「……ししまる」

「ごめん、斉藤も獅子丸って名前だったよな」

「さやちゃんはさぁ、”ししまる”のこと、好き?」

「好きだよ。子犬の頃はもっところころしてて、ある意味兵器だった」


笑いながらそう言ってシシマルの頭を撫でると、その耳がパタと動いた。


「じゃあ”獅子丸大好き!”って言ってみて」

「え、なんで?」

「じゃあ俺も撫でてー!」


斉藤はシシマルの隣にごろりと横になって期待に輝く目で俺を見上げた。


「なにが”じゃあ”なのかわからない」

「ちぇー!さやちゃんのけち!」


斉藤は唇をとがらせながらシシマルの毛並みをそっと撫でた。
シシマルは一度目をあけて斉藤を確認したが、結局再び目をとじて昼寝を続行することに決めたようだ。
俺はといえば、でかい図体をした男に拗ねられても痛くもかゆくもないので無視して問題集をひらいた。

そうして1時間も経たないうちに、俺は数学の問題で行き詰まった。


「なあ、斉藤。……斉藤?」


呼んでも返事がない。
見ると斉藤は小さな寝息をたててぐっすりと眠っていた。
いつも表情豊かに笑う顔は、目と口をとじているといくぶん大人びてみえる。
誘われるように手を伸ばすと、思っていた通り柔らかな猫っ毛がつるりと指のあいだをすべる。
濃い甘茶色の髪は緩やかなウェーブを描いてフローリングのうえに落ちた。
その手がシシマルにも触れたのか、シシマルがまぶたをピクピクとふるわせる。
いつのまにか投げだされた斉藤の左腕を枕にしていた。

愛嬌のある大男とかわいいゴールデンレトリバーの仲のいい光景に思わず笑みが浮かぶ。
俺はいそいそと携帯をとりだした。
この光景を撮らずしてどうするというのだ!
アングルをきめてボタンを押すと、思ったよりもおおきな音が鳴って斉藤もシシマルも目をひらいた。


「あ。ごめん」

「……なに撮ったのー?」


寝起きの目をぱちぱちとまばたいて斉藤が訊ねる。


「斉藤とシシマルの寝顔」

「見せて見せて」


斉藤は携帯を奪って画面を確認するとなにやら操作した。


「あ、ちょっと!消すなよ!」

「うん消してないよー。かわいく撮れてたから待受けにした」

「は?」


(男友達の寝顔を待受け?)

確かにかわいく撮れたと思う。
”飼い犬が待受け”はいい。
だけど”男友達の寝顔”はどうなんだ?

(え?アウト……だよな?)

混乱する俺を無視して斉藤は自分の鞄から携帯を取りだした。


「俺の携帯もさやちゃんを待受けにしたい!ここ、ここに横になってー!」


そう言ってシシマルのそばへ寄りフローリングをばんばんとたたく。
頭の近くでばたばたされたシシマルは迷惑そうな目をして立ちあがり、部屋の隅へ移動するとこちらに尻を向けて再び横臥した。


「あーいっちゃったー」


シシマルの後ろ姿を見ていた斉藤は、くるりと振りかえる。


「仕方ないか。じゃあチュウ写真にしよー」

「え?」


斉藤は右手に携帯を持つと、左手で俺の首の後ろをつかんだ。
さらりと言われたセリフに理解が追いついていない俺をぐいっと引き寄せ、過たず唇を重ねた。

ピロリーンという軽快な音がどこか遠くで聞こえる。
それでも斉藤は離れずに、俺はそのままフローリングに押し倒された。
床に頭をぶつけて思わず声が漏れる。
その隙間にぬるりとした弾力のあるものが押しこまれた。
それが何かを考える前に、俺は斉藤を押し返そうと腕を突っ張った。
しかし体勢の不利もあり、曲がった腕を伸ばすことができない。


「……んぅっ」


息が苦しくなり口を大きくひらくと、斉藤の舌がより奥までもぐりこんでくる。
合わせた唇の隙間からぴちゃぴちゃという水音と俺のうめき声が漏れる。
ようやく斉藤が離れたころには、酸欠で朦朧としていた。
唇を袖で拭い呼吸を整えていると、再びピロリーンと音がした。


「……なに、撮った?」

「チュウ写真とぉ、チュウあとのさやちゃんのいろっぽいかおー」


斉藤が嬉しそうに笑った。
無邪気に笑うその唇がいつもより赤い。
その濡れた唇を斉藤がぺろりと舐めたのを見て、俺はかっと熱くなった。


「ばかっ!消せ!」

「消すわけないでしょー?待受けにするんだもん」

「ばかな考えはやめろ!」


(誰かに見られたら死活問題だ!)

立ちあがった斉藤から携帯を奪おうと俺も慌てて立ちあがる。
だが身長差15センチの壁は厚い。
斉藤の右肩に手を掛け、更に伸びあがろうとしたときだった。
チュッ。
無防備だった唇が再び奪われた。


「目潤ませてぷるぷる震えながら一生懸命背伸びするさやちゃん、やばい」


つやつやとしたチョコレート色の目でうっとりと見つめられ、一瞬で顔に血がのぼるのがわかった。


「ばっ……おまえなんか!ばか!帰れっ、ばかやろう!!」


高まった感情に涙がにじむ。
情けない顔を見られたくなくて、その場にしゃがんで顔を隠す。


「ご、ごめん怒らないで!ごめん、さやちゃん。消すから。ね、ちゃんと消すから」


その言葉のあとすぐ、俺の腕にそっと手が添えられた。


「ほらちゃんと消したよ。ねえ見て」


促す声に顔をあげると、情けない顔をした斉藤が携帯を差しだしている。


「ごめんね。恥ずかしかったよね。もうしないから。ごめんね」

「……ん」


さきほどまでの強引さはどこへやら、でかい図体を精一杯小さくして一生懸命謝る姿にたれた耳としっぽが重なってみえる。
そうなると絆されてしまって、今回だけは許してやるかと頷いた。
すると頬に温かく柔らかいものが触れた。
俺はあんぐりと口をあけた。
そんな俺に構わず斉藤は再び俺の口に唇を落とす。


「ごめんね。これで仲直り」


そう言ってきれいに笑った。
俺は正気に返ると斉藤を家から叩きだし、布団にもぐってふて寝したのだった。


***


「ごめんなさい!ごめんなさい!もうしません!」


月曜の朝。
教室に入ろうと扉を開けた途端、長身の男にタックルをかまされた。
俺はおぅふっ!と情けない声をあげ、廊下の窓まで押し切られる。
胸に抱きつかれながらぎゅうぎゅうと窓に押しつけられ若干足が浮く。


「……斉藤これはなんの真似だ?」

「さやちゃん、ごめんね、許して。もうあんなことは二度としないからー!」


どうやら土曜日のことを謝っているらしい。
あのあと、斉藤を追い出したあと。
携帯の電源を落として連絡取れなくしてやった。
だが許すつもりはない。
俺の大切な唇を許可もなく奪いたい放題奪っただけじゃなく、証拠写真まで残そうとするなど、まったくもって鬼畜の所行である。
よって怒っているんだぞということを態度で示し、俺は無言を貫いた。


「さやちゃん、なにか言ってよぉ……」


こちらを見上げた斉藤と目が合わないようにそっぽを向く。
斉藤の懇願するような目に、ちょっと弱いことは自覚している。
だから決して目を合わせてはいけない。
そこで周囲のざわめきに気付き目をやれば、クラスの仲間だけでなく隣のクラスの生徒まで出てきて人垣ができている。

(これなんて羞恥プレイ?)

とにかく。


「斉藤離せよ。みんな見てるから」

「……許してくれる?」

「……いいから、とりあえず離せって」


そう言って斉藤の顔を見る。

(あ、やばい)

斉藤の目にみるみる涙が盛りあがり、なめらかな頬を涙がつと伝った。


「ちょ、おまえ泣くなよいい歳してっ。人前だぞ」


俺はおおいに慌てて斉藤の目元を両手で隠した。


「……斉藤君かわいそう」


誰かがぽつりと言った。


「そうだよ、かわいそうだよ。こんなに謝ってるのに……」

「鈴木君、許してあげて」


同調の声はすぐにあがる。

まわりを見れば、ほとんどが斉藤の味方のようだ。
男どもはにやにやとおもしろがっている顔つきをしている。
そのなかの中島と目があうと、やつは満面の笑みで近寄ってきた。
そして俺にすがる斉藤の肩をたたく。


「斉藤、鈴木許してくれるってさ」

「え?」


俺と斉藤の声が重なった。
ちなみに俺はそんなサインを中島に送った覚えはない。


「さやちゃん、ほんと?許してくれる?」


期待に輝く目は涙に濡れてくろぐろとしている。
中島を見ると、うさんくさい笑顔で握った拳の親指を立てている。
その後ろにはなりゆきを見守る人垣があって、その半分は斉藤の味方。


「あー、……うん。ゆる、す」


圧力に負けて、しぶしぶ敗北を宣言した。
わっと歓声があがる。
俺たちのまわりの人垣からだ。


「なんだか青春って感じ!」

「だよね。なんか斉藤君かわいかった!」

「ありがとー!さやちゃんありがとー!」


感激してさらにきつく抱きしめてくる斉藤の腕を、ギブアップの意味をこめてバンバンたたく。


「もう喧嘩しちゃだめだよ?」

「うんうん、友達なんだからなかよくね」


何人かが斉藤の肩を叩いて教室に戻っていくのを見ながら、この戦場に味方は誰もいないんじゃないかと思った。


***


「で、ケンカの原因はなんだったわけ?」


昼休み、弁当をつついていると中島が好奇心丸出しのキラキラした目で問うた。


「べつに……」


俺は不機嫌なのである。
流されて許してしまったとはいえ、納得いかない結末なのだ。


「俺が悪かったんだ。嫌がるさやちゃんを無理やり……」

「おまえはなにを言うつもりだ!?」


俺は慌てて斉藤の口を塞いだ。


「え、無理矢理?なになに?ついに押し倒した?めでたい?」


中島はくわえていたカフェオレのストローを離すと、ぐいっと身を乗りだした。
その目はらんらんと輝き鼻息も荒い。


「か、勝手に俺を撮ったから!」

「あっそ」


途端に興味をなくしたのか、中島は身を引いて椅子に座り直した。


「写真くらい撮らせてやったらいいじゃん。減るもんじゃないし」


(ただの写真じゃないんだよ……!)

って言えたら、どれだけ気が楽か。
我が身を危うくするから言えないけど。
俺は中島と斉藤から顔を逸らして、たこ型ウインナーを口に入れた。

ピロリーン。
どこかで聞いたことのある音に顔をあげると、中島がこちらに向けて携帯を構えていた。


「ほらよ、斉藤。これでいいか?」

「ありがとぉー!中島最高ー!早速待受けにする!」

「はっはっは、中島サマって呼んでもいいぞ」

「中島さまさま!」


(もういいよ、好きにしてくれよ……キス写真に比べたらずいぶんましだよ)

あきらめの溜め息を吐きながら、じつは敵は中島なんじゃないかと思い始める俺であった。


***


「いてえっ!」


中間テストの最終日だった。
テストが終わった開放感で、斉藤と中島と3人でゲームセンターに来ていた。

中島と斉藤がジュースを賭けて格闘ゲームに熱中しているあいだに、俺はお菓子でも取ろうかと入り口近くのユーフォーキャッチャーに移動した。
で、尻ポケットから財布を取り出すため曲げた肘が後ろのひとにあたり、いまに至るのである。
俺は謝りながら慌てて振り返った。


「すみません!」


そこにはキン、キン、ギンの髪色をした方々が立っていた。
これがエンゼルであれば、おもちゃのカンヅメがふたつもゲットできたところだが、いかんせん目の前の方々はデビルであった。


「大丈夫かつっちー」

「いってえなぁ。これは肋骨折れちゃったかもしんないわ」

「おい、この落とし前どうつけてくれんの?」


(なんてテンプレートで棒読みな!)

ばかばかしいと思いながらも、俺よりたくましい3人組に口答えする気は毛頭ない。
あとずさればユーフォーキャッチャーにぶつかり、前方と左右はいかつい方々が立ちふさがっている。


「すみません……」

「謝罪するなら治療費ちょーだい」


金髪そのいちが俺の手から財布を取りあげた。
中身を見て舌打ちする。


「あ、あの、俺、あんま持ち合わせがなくて」


現在の所持金は小銭合わせて2000円ほど。


「あっそ。じゃあ生徒手帳見せて?」

「え、それはちょっと……」


着ている制服で学校はばれていたとしても、住所まで教えるのは嫌だ。


「おいおいひとに怪我させといて逃げんの?誠意みせてよ?」

「ちょーっと撫でてやったら見せてくれるんじゃね?」

「あっとー」


金髪そのにの拳が俺の腹にめりこんだ。


「さっきぶつけられたところが痛くてよろめいちゃった。ごめんね?」

「くはっ」


結構な痛みに、泣きたくもないのに涙が滲む。
でもこんなことまでされて黙って言うこときくほど俺は腰抜けじゃないつもりだ。
罵倒の仕方も殴り方も知らないけど、精一杯睨みつけた。


「あれれ?大人しそうななりして意外と反抗的じゃね?」

「つっちーがやさしすぎたんだろ?」

「ここじゃ狭いし、移動しよ」


銀髪に腕を掴まれ無理やり歩かされる。
しぶると背中をどんと押された。
やつらの隙間に斉藤と中島の姿を探して、さっと視線を巡らす。
人より頭ひとつぶんおおきい斉藤はすぐに目についた。


「斉藤!」


呼ぶとすぐに目が合って斉藤はそのままずんずんとこちらに向かってくる。

(そうじゃない、くるな!店員とか、大人のひとを呼んできてくれ!)

斉藤はそんな俺の心中を察することもなく、あっというまに合流した。


「さやちゃんどうしたの?このひとたちは誰?友達?」


不良たちは自分たちより大きな斉藤にちょっと迷っているようだったが、優男風の見た目とアホっぽい喋り方にカモと判断したようだ。


「おまえこそなによ、こいつの友達なの?俺らこいつのせいで怪我しちゃってさあ。こいつカネないって言うから別のかたちで誠意みせてもらおうと思ってたとこなんだよ」

「あんたお友達なら助けてやってよ。有り金全部でいいよ」


そのときの衝撃をなんと表したらいいだろうか。
いつもにこにこ笑っている斉藤の顔から表情が消え、俺の腕を掴んでいた銀髪の腕をねじりあげた。


「おまえらがぁ、なに言ってるのかわかんなーい」


いつもと同じトーンなのに、背筋がぞっとするような声だった。
斉藤は掴んだ腕を勢いよく引っ張って、銀髪の腹を膝を蹴りあげる。
銀髪は崩れ落ちて激しく咳きこんだ。


「もう1回、最初からくわしく説明してくれるー?」

「てめぇ!」

「ふざけんな!」


残った金髪ふたりは同時に斉藤を殴ろうとしたが、ひとりは躱され、ひとりはその拳に斉藤の拳をぶつけられた。
こ枝の折れたような音があたりに響く。
斉藤は身を返しつつ蹴りを放って最後のひとりをフロアに沈め、追い討ちをかけるようにぐりぐりと踏みつぶした。


「ってめえ!俺らマッドドッグスに手ぇ出してただじゃすまさねぇからな!覚えてろよ!」


ひとり立っている金髪が手を庇いながら喚く。


「俺ぇ暗記苦手だからー。ばいばい」


軽く振ったように見える手が、そのまま金髪を殴り飛ばした。
あの斉藤が。
ふわふわした笑顔を持ち、試験前にはきちんと勉強会なるものを提案して、そしてうるうると縋る子犬のような目で女の子に”斉藤君かわいい”と言わしめたあの斉藤が、あっというまに不良3人をのしてしまった。

俺はにわかには信じられず、ただ立ち尽くしていた。
そんな俺を心配そうに覗きこむ目はつやつやときれいな紅茶色。


「さやちゃん大丈夫だった?殴られたりしてない?」


俺は目の前の拳についた返り血以外はいつもの斉藤を凝視して、助けてもらったことに感謝すべきか、豹変した斉藤に恐怖すべきか悩んだのだった。