溶ける

「剣八さん、チョコレートのお酒もあるのですが飲みますか?」
「チョコレートの酒?」
「はい」
「そんなものもあんのか」
 私の言葉に目を瞬かせる。少し声が弾んでいるのは気のせいでは無いだろう。お酒、という言葉に嬉々としている彼に頬が緩んだ。
「ええ。現世で色々見ている時に剣八さんはこちらの方がいいかと思いまして一緒に買ってみたんです」
 台所の下の戸棚を開いて、彼に見つからないように調味料の後ろに仕舞い込んだ瓶を取り出す。初めて遭遇するお酒に待ちきれないのか、彼も私の後ろから覗き込んでいた。餌を待っている大きな犬のようだ、と言ったら絶対に怒ってしまうだろう。その言葉を飲み込んで声を殺して笑う。
「チョコレートリキュール、と言うそうですよ」
 茶色の包み紙に包まれた瓶を剣八さんに手渡すと、早く飲みたいと目で訴えられた。
「私も一緒に飲めそうと思った飲み方が牛乳に割るものですが、そちらで良いですか? それともそのままでも飲めるので割らずにそのまま飲みますか?」
「いや、優紫と同じで良い」
「分かりました。では、準備するので向こうで……」
 待っていて下さい。彼にそう投げ掛けようと思っていた言葉を止めた。期待するきらきらとした目から段々とその輝きが失われてしまったからだ。
「一緒に作りますか?」
「作る」
 返事は数を数える間も無く返って来た。表情は大きく変わらなかったが、彼の纏う空気から喜んでいるのが分かる。
「ふふっ。そんなにこれが待ちきれませんか?」
「違ェよ」
「美味しそうなお菓子を待ちきれない小さな子供みたいですよ」
 餌を待てない犬のようだとは流石に言えなかった。私の言葉に剣八さんは眉を少し顰めた。
「折角のばれんたいんでー、だろ?」
「そうですね。バレンタインデーですものね」
 慣れない横文字の発音が拙かった。それが可愛らしくて笑みが溢れてしまう。余計に機嫌を損ねてしまわないように、剣八さんに背を向けて戸棚に向かう。そこに並べてあるマグカップへ手を伸ばした。その手に剣八さんの大きな手が重なり、指が絡む。腰にも剣八さんの腕が絡み付き、胸の中に引き寄せられる。
「だから、優紫と一緒に作りたかった」
 頬を擦り寄せながら耳元で囁かれる。熱い吐息が耳にかかり、ぞくりと身体が小さく震え、熱が移る。
「ええ。一緒に作りましょう?」
 後ろを振り返り、微笑んだ。剣八さんも同じように微笑み、彼の胸へ更に引き寄せられる。身体を曲げて、私の首元へと顔を埋める剣八さんの頭を撫でる。
「剣八さん」
「ん?」
「私も剣八さんと身を寄せ合っていたいですが、このままでは一緒に作れませんよ?」
「……そうだな」
 彼はそう言うと私の耳へ軽い口付けを落として、名残惜しそうに身体を離した。彼の唇の感覚が残る耳を片手で抑えながら、彼を横目で見ると目がしっかり合った。彼は、ふっと目を細めて微笑む。頬に熱が集まるのを感じて、私はそれを誤魔化すように彼に再び背を向けて戸棚からやっとマグカップを取り出した。彼がくつくつと声を抑えきれず笑っているのが背中から聞こえる。
「もう、からかわないで下さい」
「からかってねえよ」
「からかっていないのなら、何ですか?」
「そうだな……」
 彼は顎に手を当て、考えている素振りを見せながら冷蔵庫の扉を開いて牛乳を取り出す。それをテーブルへと置いて、私へ視線を合わせる。
「仕返し、だな」
 口角を上げ、白い歯を見せながら笑った。
「さっき俺の事を子供扱いしたから、その仕返し。子供からならあんな事されても平気だろ?」
「やっぱりからかってます」
 唇を少し尖らせると大きな手で頬を撫でられる。親指の腹で唇をそっと撫でられる。
「先にからかったのは優紫だろ」
「そうですけど……」
 頬を撫でていた手が顎に添えられ、そのまま上に掬われる。剣八さんが顔をゆっくり近付いてくる。深い緑色の瞳には私が写っている。鼻が触れ合いそうなほど距離が縮まったところで剣八さんが瞼を閉じる。私も彼と同じように瞼を閉じる。唇が重なり、直ぐに離れていく。目を開くと、剣八さんは口角を上げて悪戯っぽく笑っていた。
「これで、おあいこ」
「ふふっ。おあいこ、ですね」
 二人で顔を見合わせて笑う。
「私が剣八さんのお酒を作って良いですか?」
「俺もそう言おうと思ってた」
 もう一度二人で顔を見合わせて笑い、私は剣八さんの、剣八さんは私のマグカップを手に取った。緑色と紫色の色違いのマグカップ。やちるちゃんの桃色のマグカップもある。
「今晩は冷えますし、ホットにしましょうか」
「そうだな」
「チョコレートリキュールと牛乳は一対ニの割合で飲むのがお勧めだそうです。剣八さんもその割合で良いですか?」
「ああ」
 剣八さんのマグカップ三分のニぐらい牛乳を入れる。次に私のマグカップに牛乳を入れようとすると、剣八さんは手でマグカップの口を塞いだ。
「俺が作るって言っただろ」
「そうでした! では、お願いします」 
 手に持っていた牛乳パックを剣八さんに手渡す。剣八さんも同じように三分のニの高さまで牛乳を入れた。
「では温めましょうか。一緒に入れたらちゃんと温まらないので一つずつ温めますね」
 剣八さんのマグカップを持ち上げて、表情を伺うと剣八さんはこくりと小さく頷いた。電子レンジの扉を開けて、手に持っていたマグカップを中へ入れる。扉を閉めて、温度と時間を設定する。開始ボタンを押すと中の明かりがついて温めが始まった。吹きこぼれないように中を覗いて様子を見ていると剣八さんに後ろから肩上に腕を周され、抱き締められた。
「今日は甘えたさんですね」
「そういう日なんだろ?」
「ふふ。そうですね」
 顔の近くにある剣八さんの頬に擦り寄ると膝裏に彼の手が周り、ふわっと身体が宙に浮いた。少しの浮遊感の後に直ぐに着地。
「こうした方が抱き締めやすい」
 椅子に座った剣八さんの膝上に私は座らされていた。先程と同じように後ろから抱き締められている。
「私が抱き締められないです」
 剣八さんは鼻を鳴らして笑った。私を抱き締める力が弱まった為、身を捩って体勢を変えようとすると、温め終了を知らせる音が鳴った。マグカップを入れ替える為に立ち上がり、電子レンジの扉を開くと剣八さんに呼び止められる。
「優紫、待て」
「はい……?」
 同じく椅子から立ち上がった剣八さんは電子レンジの扉に手を掛けた私の手に大きな手のひらを重ねた。
「俺がやる。火傷すんだろ」
「ふふ。では、お言葉に甘えさせて頂きますね? 剣八さんも火傷には気を付けて下さい」
「ああ」
 剣八は温め終えたマグカップをそっと電子レンジの中から取り出し、私のマグカップと入れ替えて扉を閉める。温度と時間を設定し終えると中の明かりがついて、温めが始まる。それを確認した剣八さんは椅子に腰を下ろし、私をじっと見つめている。動かない私に自分の太腿を軽く叩いて合図を送る。
「ここ、座ってくれ」
「痛かったり、重かったら言ってくださいね?」 
「そんなやわな身体じゃねえよ」
 体勢を崩してしまわないように剣八さんに身体を支えられ、膝上に座る。私も彼を抱き締められるように身体を横にして座る。
「こうした方が私も抱き締められます」
 私の台詞に剣八さんは鼻を鳴らして笑った。剣八さんの脇下に腕を回して、厚い胸板に擦り寄る。
「抱き締めると言うより抱き付く、だな」
「……剣八さんの身体が大きいからです。小さくして下さい」
「無理言うな」
 くつくつと声を抑え切れず剣八さんは笑っている声が頭上から聞こえる。抱き締めている腕に力を入れた。
「拗ねてんのか?」
「拗ねてません」
 顎に手を添えられ顔を上に向かせられる。剣八さんとしっかり目が合う。
「拗ねてる」
 唇を少し尖らせているとまた剣八さんに親指の腹で唇を撫でられる。
「拗ねてないです」
「悪かった」
 剣八さんの顔が近付いて、今度は赤い舌で唇を撫でられる。数度撫でられ、唇が重なった。先程は直ぐに離れてしまった為、もっと彼が欲しいと無意識に唇が薄く開く。彼にされたように唇に舌を這わす。剣八さんの笑い声に口角を上げて笑っている顔が頭に浮かぶ。薄く開いた唇に剣八さんの舌が侵入し、舌が絡む。
 ――ピーピー
 電子レンジが終了を知らせる音を鳴らす。剣八さんはそれに反応し、唇を離す。
「終わったな」
 口付けに少し呆けている私を膝上から下ろし、剣八さんは立ち上がり電子レンジからマグカップを取り出す。
「向こうの炬燵に入って酒作るか」
「そうですね。此処では冷えますし」
「俺がマグカップを二つ持つから優紫は酒を持ってきてくれ」
「はい」
 テーブルに置いてあるマグカップを手に取り、剣八さんは炬燵がある部屋へと歩いていく。私もチョコレートリキュールの瓶を手に取り、その背中を追った。剣八さんがマグカップを机に置いて、炬燵に足を入れて座った。私も瓶を机に置いて、剣八さんの隣に座ろうと腰を下ろした。
「優紫はここ」
 剣八さんは自分の足の間の隙間を軽く叩く。
「今日は本当にひっつきもっつきさんですね」
 そう言って、いつもの彼の言動を思い出すがあまり変わりはないかもしれないと思えてきて笑みが溢れた。
「そう言う日なんだから良いだろ」
「そうでした。ふふ。では、お邪魔しますね?」
 剣八さんの足の間に入り、炬燵に足を入れて座る。冷えた足先が温められていく。
「牛乳が冷めないうちに作りましょうか」
「そうだな」
 瓶の封を剣八さんが開ける。開封口に鼻を寄せて匂いを嗅いでいる。
「本当にちょこれーとの匂いするな。後、ちゃんと酒だな」
 剣八さんはそう言いながら私のマグカップに注いでいく。白い牛乳にチョコレートリキュールが混ざり、茶色に染まっていく。注ぎ終えるとそれを受け取り、剣八さんのマグカップに注ぎ、白い牛乳を茶色に染める。
「出来ましたね」
 剣八さんは私の手から瓶を受け取り、封を締めて机に置く。
「剣八さん、ハッピーバレンタインです」
「はっぴーばれんたいん、優紫」
 剣八さんのマグカップを彼に差し出すと、剣八さんも私のマグカップを差し出す。やはり横文字が可愛らしい発音で笑ってしまったが、それに笑っているとは気付かれなかった。マグカップを受け取り、口に数口含んだ。チョコレートのほろ苦さが口の中に広がる。お酒も相まってか、身体がぽかぽかと温まる。剣八さんもまずは様子見、と言うようにマグカップを傾けて少しだけ口に含んでいた。
「甘さが控えめなものを選んだのですがどうですか?」
「丁度良い。美味ェな、これ」
 剣八さんはマグカップをもう一度傾けて、今度はごくりと喉を鳴らせていた。
「ふふ。良かったです」
「優紫はどうだ?」
「美味しいです」
「度数低めだけど平気か?」
「ええ。飲みやすいです」
「飲みやすいからって次から次へと飲むなよ」
「心得てます」
「まあそうなったら止めるけどな」
 普段お酒を飲まない私を剣八さんは気遣う。剣八さんの胸板に体重を預けて、マグカップに口を付ける。チョコレートとお酒の匂いが鼻腔を擽る。
「チョコレートに心をのせて意中の人に贈る。バレンタインデーって素敵な催しですよね」
「そうだな。くっ付ける口実にもなるしな」
「剣八さんはいつもくっ付いている気がします」
「そうか?」
「そうです」
「くっ付いてもくっ付いても足りねえんだよ」
「そんなひっつき虫さんな剣八さんに私の心は受け取って頂けましたか?」
「ああ。しっかり受け取った」
 腹囲に絡みついている剣八さんの腕に引き寄せられる。首元に顔を埋めて深く息を吸っている。私は腹部にある剣八さんの手へ自分の掌を重ねて、もう片方を剣八さんの頬へ。身体を捻って目を合わせる。
「私も、貴方の心を頂いても良いですか?」
「……誘ってんのか?」
 顔に熱が集まるが彼から目を離さない。私は小さく頷く。
「酔ってたから前言撤回っていうのはナシだからな」
 彼に深く口付けられる。チョコレートよりも甘い甘い味がする。私はその甘さと彼の熱に次第にチョコレートのように溶けていく。





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