「私を殺してくれないか?」
太宰が放った言葉はなかなかに衝撃的なものだったのだが、わたしはそれに驚きはしなかった。
わたしだけではなく、彼を知る人物ならば皆いつもの事だと受け流すだろう。
この男は自殺主義者を自称しており、事ある毎に様々な方法を用いて自殺を図っている。
だがその全てが、未遂に終わっていた。
本当は死ぬ気などないのか、それとも単に生命力が強いだけなのかはわたしの知るところではないが、とにかく彼がその手の言葉を口にするのは最早、日常茶飯事といっても過言ではない。
「どうして、あなたの自殺を手伝わないといけないの。」
わたしは至極当然の返答をした。
こんな馬鹿げた事に付き合っている暇はない。
わたしは出来るだけ早くこの部屋を片付けて、出て行かなくてはいけないのだから。
これ以上邪魔をしないで頂きたいものだ。
それに彼は最近、自殺といっても少し趣向が変わってきたようで、美女と心中をする事が夢だと言う。
それなら頼るべきは、わたしではない筈だ。
わたしは美しくはないし、彼と共に死ぬつもりもないのだから。
その旨を伝えると太宰は言う。
「そうだね、まあ、確かに君はそこまで美人ではないけれど。」
…嘘でも否定をしておくところだろう、そこは。
先程から、彼に対する憤りを抑える為に奥歯を噛んでいたが、それが砕けてなくなるのではないかと思うほど顎に力が入ってしまった。
きっと今、わたしの額には青筋が浮き出ているだろう。
「この際、心中でなくとも構わないよ。それに君にとっても、悪い話ではないと思うのだけれど。」
態とらしく両手を広げて、太宰は言う。
「だって君は、私を殺したいのだろう?」
卑しく口角を上げて、太宰は笑った。
どくんどくん、と脈が速まるばかりではなく、一つ一つの鼓動が大きくなるのを感じる。まるで自分の心臓が耳元にあるかのようだ。
冷たい汗が、背中を伝うのがわかる。
わたしは、太宰を押し倒した。
衝動的だった。
「全く、本当に狂っているよ、君は。」
馬乗りになって、ありったけの殺意を込めて睨んでも、彼はどこか楽しそうに笑っている。
日本人男性にしては些か長身である太宰が、女の体当たりでいとも容易く倒れ込んだのは意外に思ったが、元より彼はわたしに自身の殺害を依頼した男だ。
攻撃を防ぐ理由はない。
つまりはこれも態となのだろう。
「その通りよ、わたしは、狂っているわ。」
太宰の言葉は間違っていない。
わたしは彼を殺したい。
なぜなら、憎いからだ。
わたしを馬鹿にしたような目も、美女に触れる事しかしようとしない骨張った手も、飄々と中身のない言葉を紡ぐ声も、全てが、この男の何もかもが、憎い。
「君が辞表を出したのは私が原因だね、周。」
どうやらこの男は何でもお見通しのようだった。
そうだ。
だからわたしは社を去ったのだ。
武装探偵社に、わたしのような歪んだ人間は相応しくない。
同僚に対しここまでの殺意を抱くなど、真っ当な人間とは到底言えないだろう。
太宰の首に両手をかけると、彼はまた笑みを深くした。
このまま本当に、わたしに大人しく殺されるつもりなのだろうか。
このまま本当に、わたしは彼を殺してしまうのだろうか。
「迷っているのかい?」
「………!」
彼の瞳がわたしの姿を、真っ直ぐに捉えていた。
首にかけた手を包むように、太宰の手が触れる。
それから彼は、”君の手は冷たいね”などと呟いた。
場違いな言葉だと思った。
「…どうして…。」
誰に向けられた、何に対しての問いかけなのかは自分でもわからなかったが、それは無意識に口から零れ出した。
理由の見当たらない、絶望のような感情が、ゆっくりと心の奥から滲み出てくる。
つい先程までは憤りと憎しみで胸が一杯だったはずなのに、今ではなんだか崖の縁に立たされて途方にくれたような気持ちだ。
次第に視界がぼやけ始めたことで気がついたが、わたしはどうやら涙を流しているらしい。
「仕方がないから教えてあげよう。」
わたしの涙を指で拭いながら、太宰はこう言った。
「君は私のことが好きなのだよ、周。」
それは今までに聞いたことがないほど柔らかく、優しい声だった。
しかしあまりに聞き慣れない声色だった為に其方に気を取られ、言葉の意味を理解するまでに数秒を要してしまう。
「………。」
鼓膜を震わせた言葉が脳に届き処理される迄の数秒、そしてその後の数十秒、わたしは思考停止した。
「おーい、周?」
大宰がわたしの顔の前で、掌を振って見せたことによりハッと我に返ったが、それと同時になんとも言えない羞恥心が湧き上がり、居ても立ってもいられなくなる。
勢いよく太宰から離れると、彼は仰向けに倒れたままで、アハハと声を出して笑った。
それからゆっくりと上体を起こして胡座を掻き、こちらを見つめる。
その顔は微笑んでいた。
「ふふふ、やっと気づいた〜?」
「な、何わかったようなこと言って…!そんな訳ない!」
「おや、顔が赤いよ〜?」
今度はいじめっ子のような笑みを浮かべて、わたしに躙り寄ってくる。
悔しい。
とても悔しい。
それなのにどういう訳か、言い返せない。
否定をしようと思えば思うほど、脳は肯定をし始める。ひとつひとつの歯車が、音を立てて噛み合っていくような気さえした。
なんということだ。
わたしがこの男に抱いていた憎悪は、一体どう説明すればいいというのだ。
「君は前に、天涯孤独だと言っていたね。」
「そ、それが何か…?」
突然関係のないことを言い始めた彼に、わたしは首を傾げる。
「愛されたことがない者は、他者の愛し方をよく知らないものさ。だから君は、不器用なのだよ。」
…なんだなんだ、随分と気障なことを言うものだな。
そう言い返そうと思ったとき、全身に温もりを感じた。
なんと、太宰がわたしを抱き締めている。
ただただ目を見開くことしか出来ずにいると、彼はまた微笑んだ。
「君は、そこまで美人ではないけれど…」
「またそれ?!」
一日に、二度も容姿を馬鹿にされるとは。
それもこの状況で言うことだろうか。
矢張り先ほど首を絞めておくべきだったか…と少しばかり後悔する。
しかしそれから続けられた言葉は、予想もしていないものだった。
「君ほど可愛らしい人は、なかなか居ないね。」
それは…矛盾してはいないだろうか…。
この男の考えている事が、矢張りわたしには理解できない。お手上げだ。
先程までわたしを小馬鹿にしていた彼が、突然そんなことを言おうとは。
なんだか色々なものを通り越して、気味が悪い。
しかし何故だろう。
胸がきゅっと掴まれるような、なんともむず痒いような、とはいえなんだか心地の良い、そんな感覚にもなる。
「良いアイディアがあるんだ。聞いてくれるかい?」
「…なによ…?」
さして脈絡もなく切り出された言葉に、思わず身構えた。
語尾には疑問符が付いていたようだが、その実わたしに拒否する権利はなく、大人しく彼の”良いアイディア”とやらを聞くしかないのだろう。
恐る恐る耳を傾けると、太宰はこう続けた。
「私達はこれから、恋人同士になろう。」
なんて強引なのだろう。
今度は疑問符さえついていない。
畳み掛けるように、彼は言う。
「”私も”、君のことが好きなんだ。」
どうやら、わたしが太宰を好きだという事は、彼の中では前提としてあるらしい。
先程”わたしは狂っている”と言ったが、この男も大概狂っている。
如何したものかと迷ったが、ここまで言われてしまってはもう、如何しようもない。
一先ず抱き締め返すことで、返事をした。
彼の顔は見えないが、にっこりと笑ったのが何となくわかる。
…辞表の撤回は、まだ間に合うだろうか。
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