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港に立ち並ぶ倉庫の一つ。
その中に太宰、周、敦の三名がいた。

件の虎を捕獲すべく、太宰に指示されるがまま、周と敦はこの場所に訪れたのである。

囮となる敦がいれば、虎はその匂いを嗅ぎ分けて此処へやって来る…そしてそれを捕らえるには、人気のないこの場所が最適である、というのが太宰の考えだろうか。
周はまたしても煙草の煙を吐きながら、そう思案していた。

しかしどうにも…彼の考える策にしては、効率が悪いように思えてならない。
居所のわからない標的を、囮を用いて誘い出すのは有効な手段と言えるだろうが、よく考えれば敦が本当に虎に狙われているのだという確証はない。
敦自身がそう確信できる程の状況に遭遇したとはいえ、それが彼の思い込みである可能性も否定できないのだ。
しかしまるでそれを鵜呑みにしたように、ただ釣り人の如く獲物を待ち続けるこの作戦。
周は違和感を感じずにはいられなかった。
太宰の考えにしては、どこか詰めが甘い。何か他に考えがあるのだろうか。
…否、必ずある。この男は尋常ではないほど頭が切れる。考えがないはずはないのだ。



「…本当にここに現れるんですか?」


倉庫内の木箱に腰を降ろし、自身の膝を抱えながら、敦は少し震えた声で言う。
そんな彼の視線の先は、太宰が読んでいる本…【完全自殺読本】である。
その強烈すぎる題名に、敦の表情は明らかに引き攣っていた。


「本当だよ。」


手中の愛読書に目を向けたまま、太宰は返答した。


「……。」


不安げな顔をして押し黙る敦。
するとそれを察したように、太宰は視線を敦に向ける。


「心配いらない。虎が現れても私達の敵じゃないよ。こう見えても武装探偵社の一隅だ。」

「そうだよ敦君。それに、必ず成功させるって約束したからね。信じてくれると助かるな。」


太宰の言葉に、周が続ける。


「はは、凄いですね、自信のある人は…。」


二人の言葉を受け、敦は小さく笑った後、俯いた。
自身の膝を抱く彼の指に、幾らか力が込められたように見えた。

寂しげな声で、ぽつりぽつりと、敦は呟くように言う。


「僕なんか、孤児院でもずっとダメな奴って言われてて…そのうえ今日の寝床も明日の食い扶持も知れない身で…。」


膝に顔を埋めるようにして、敦は続ける。


「こんな奴がどこで野垂れ死んだって…いや、いっそ喰われて死んだほうが…。」


震える声で言葉を吐き出した敦の姿を、太宰はただ静かに見つめていた。
その真意は、周には読み取れない。
そして敦へとかけてやる言葉も、見つけられはしなかった。




「却説……そろそろかな。」


太宰はそう言うと、徐に上の方を見上げた。
この倉庫には、やや高い位置に窓がある。
彼の視線はどうやらそこに向けられているらしい。
周もそちらの方を向くと、雲の切れ間から満月がゆっくりと顔を出すのが見えた。
淡い月光が、倉庫内に降り注ぐ。
どこか幻想的な光景だが、今の彼らにとってはまるで戦いの火蓋が切られる合図のようだ。

周は煙草の火を消して、携帯灰皿に吸殻を仕舞った。

遂にこの場所に、虎が現れるというのか。
周と敦は息を呑む。


「今…そこで物音が!」


不意に奥の方から聞こえたガタン!という音に、敦が飛び上がった。


「そうだね。」


恐怖で取り乱し始める敦とは正反対に、太宰は落ち着いた様子で再び本に視線を戻す。


「きっと奴ですよ太宰さん!」


そんな彼の様子が解せないのか、敦は幾らか声を荒げた。
しかし太宰は動じない。


「風で何か落ちたんだろう。」


太宰が再び冷静に答えたが、敦を支配する恐怖は止まらない。


「ひ、人食い虎だ!僕を喰いに来たんだ!」

「座りたまえよ敦君。虎はあんな処からは来ない。」

「ど、どうして判るんです!」


パタン、と小さく音を立てて、太宰は本を閉じた。
叫ぶように問うた敦に対し、少しばかり語気を強めて、彼は言う。


「そもそも変なんだよ敦君。経営が傾いたからって養護施設が児童を追放するかい?大昔の農村じゃないんだ。」


確かに、と周は静かに頷いた。
敦に事情を訊いた時は気づかなかったが、考えてみれば確かに不可解な点が多くある。


「いや、そもそも経営が傾いたんなら一人二人追放したところでどうにもならない。半分くらい減らして、他所の施設に移すのが筋だ。」


太宰の言葉を聞いていると、周の脳内に、ある可能性が思い浮かんだ。


もしや、虎というのは………。


真逆。
…いやしかし、そう考えれば辻褄が合う。
太宰が取った一連の行動にも、凡て納得できる。



「太宰さん、何を言って…。」


敦は困惑の表情を浮かべているが、それに構わず太宰は続けた。


「君が街に来たのが2週間前。虎が街に現れたのも2週間前。君が鶴見川べりにいたのが4日前。同じ場所で虎が目撃されたのも4日前。」


ああ、やはり。
自分の悟った事は正しかったのだ。
周は確信した。


虎というのは……中島敦、彼自身だ。


「国木田君が言っていただろう。"武装探偵社"は異能の力を持つ輩の寄り合いだと。巷間には知られていないが、この世には異能の者が少なからずいる。」


満月の光が、敦の双眸を照らしていた。
彼の全身が、大きく震え出す。
先程までのような、恐怖に身を震わせている様子とはまるで違う。
内なる何かが暴れ出そうとしているような、只ならぬ気配を纏っていた。


「その力で成功する者もいれば…力を制御できず身を滅ぼす者もいる。」


みるみるうちに、敦は白い虎の姿へと変貌を遂げる。


「施設の人たちは、この力を知っていて追い出したってことか…。」

「ああ。敦君だけがわかっていなかったのだよ。君も異能の者だ。現身に飢獣を降ろす月下の能力者…」


太宰が言い終わらないうちに、虎と化した敦は周へ目掛けて飛びかかった。


「うわっ!」


瞬間移動を使い、虎と距離を取る。


「流石だね。」


太宰が口角を上げた。


「笑ってる場合じゃないだろ!あれが異能力なら太宰の出番…ってなんでわたしの方に!!」


再び周の姿を見つけた虎が、走り出す。


「君は優しいから、動物に好かれるんじゃないかな。」

「冗談言ってる場合か!どうすんだよもう…うわあ、速っ!!」


瞬間移動があるとはいえ、この虎は恐ろしく動きが速い。
自分がこの力を持っていなければものの数秒で餌食になっていただろうと、周は人知れず冷や汗を掻いた。
しかし、いつまでも逃げ回っていては埒が明かない。


「周の力を持ってすれば、虎なんて一捻りじゃないか。」

「いや、だって!虎とはいえ、敦君だよ!怪我をさせるわけには…」


なんとか彼に攻撃をせず、太宰に触れさせることができれば。
引き続き逃げ回りながら、周は思考を巡らせた。

……しかしそれが仇となる。

思考に夢中になり、行動が遅れたようだ。
気づけば虎の姿が目の前にある。
これでは瞬間移動の発動が間に合わない。

恰も便利そうな力だが、その仕組みは複雑だ。
移動をするには、座標の演算が必要になる。
異能力とはいえど、これは本人の頭脳に左右されるところが大きいのだ。

周は常人と比べれば聡明と言える類の人間だが、あまり器用な方ではなかった。
つまりは考え事をしながら演算をするということが、彼女にとって容易ではなかったのである。


「周!!」


太宰の焦ったような顔が、視界の端に見えた。
こんなところで、そんな珍しいものを拝めるとは。
周は自分でも驚くほどに場違いなことを考えた。


「…敦君、ごめん…!」


迫りくる白虎に、手をかざす。
彼女の手に虎の爪が、僅かに触れようかというその時。

周の掌から、突風が放たれる。
それは虎の巨体を動かすほどの、とても強い風だった。

その威力に耐えきれず、虎は倉庫の端の方へと吹っ飛んでいく。


「しまった、やりすぎた…!」


たくさんの木箱を壊しながら、その破片の中に埋もれていった虎。
もしや今の一撃で絶命したのでは、と周は再び冷や汗を掻く。

しかし、そう思ったのも束の間。

虎はまた再び、ゆっくりとだが立ち上がった。
なかなか頑丈な体をしているらしい。


「よく頑張ったね、周。」


その場に力なくへたり込んでいた周は、いつの間にやら太宰が近くに来ていることに気づく。
彼女の頭をポンポンと軽く叩くように撫でて、太宰は虎と対峙した。
後は任せろ、ということだろうか。

今度は虎が、太宰を狙って走り出した。

…ああ、これで大丈夫だ。
周は安堵する。
太宰治…能力名は"人間失格"
彼は、他者の異能力を無効化する力の持ち主だ。



「もっと早く助けて欲しかったんだけどな。」

「いやあ、戦う君の姿も美しいなあと思ってね。」


太宰の手によって、敦は無事に人の姿へと戻った。
今は気を失って倒れているが、幸い外傷は殆どなく、その他の問題も見られない。
どうやらただ眠っているだけのようだ。

一仕事を終えて悪態をついた周だったが、太宰はそれを飄々と躱した。


「複数の異能力を、まるで魔法のように巧みに操るその姿…魔女と称されていたのも頷けるよ。まあ先刻は失敗していたようだけど。」

「五月蠅いな…褒めるか貶すかどっちかにしろ。」


周はバツが悪そうに、視線を落とす。
先程のミスは彼女自身、情けないと思っていた。
瞬間移動を軸にして行動していたにも関わらず、その要たる演算を疎かにしてしまうとは。
あまつさえ咄嗟の判断で、敦に攻撃をしてしまった。
彼がタフだったので結果としては良かったが、もしそうではなかったらと考えると胸が痛む。



「貶してなどいないさ。」

「え?」


欝々と自責の念を募らせていく周だったが、少し意外な言葉が耳に届き顔を上げる。
するとその直後、太宰にぎゅっと抱きしめられた。


「心配したよ。怪我がなくて、本当によかった。」


まるでらしくない、慈愛に満ちたような声色で、彼は言う。
しかし突然のことに動揺した周の口から出たのは、こんな言葉だった。


「太宰、気持ち悪い。」





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