con amore

ナルトの孤独を理解できるのは誰だろうか、という話。




孤独

頼りになる人や心の通じ合う人がいない、一人きりで寂しいこと。
そして一般に、酷く苦しく痛いものだと言われるもの。



ナルトとサスケ。
あなたはどちらの孤独を辛いと感じますか。
どちらの痛みをより痛く感じますか。






比べられるものではないことはわかっています。どちらも想像するだけで辛い。見ているだけで、考えるだけで、こちらまで辛い。
けれど、私が痛みを感じるのはサスケの孤独でした。

全編を通して、どちらかといえば私はサスケの感情に寄っていたと思います。
私はナルトの辛さを想像できても、痛みを想像できなかったから。
自分も痛みを感じるくらいに想像ができるのはサスケの方でした。
だから、私は最初に全編を見た時、見始めた時も見終わったあとも、やはりサスケの孤独はナルト以上だと思っていたのです。

もちろん、比べる意味もない、どちらも途方もない孤独だと、理解はしていましたが。



ある時、ふと気がつきました。

私はナルトの孤独の痛みを想像して感じることができないんだ。と。

サスケの「繋がりを失う痛み」を「愛する人を苦しませられた痛み」を「愛した人を自分の手で殺め、失う痛み」を。

繋がりを持っている私は、命を懸けていいと思えるほど愛する妹がいる私は、想像し感じることができる。

想像するだけでも怒りと虚しさと悲しみで心が焼けただれるというのに、もしこの痛みが現実だったらどう耐えられるというのだろうか、どう壊れずにいられるというのだろうかと思うのです。

でも。ナルトの「繋がりを持てない痛み」を、私はきっと一生感じられない。



私には生まれた時から、親というたとえ切ろうと後から考えたとてその時には既にもう何の意味も持たないような、さだめられた繋がりがあります。
そしておそらく、これを読んでいる、これを読むことができる環境にいるほとんどの方にも。

どこに行っても誰と話しても、繋がろうとするのはいつも自分の方だけだったナルトにとって、仲の良い繋がりか仲の悪い繋がりかは関係なく、ただ繋がりが存在するということ。
それがナルトにずっと無かった、ナルトがずっと欲しかったものだと思うのです。

繋がりを失う痛みはこれから幾度でも感じますが、最初から繋がりを持っていないという痛みを、どうしてこれから感じられるでしょう。

誰がナルトの孤独を、痛みを、本当に理解できるでしょう。

そう思った時、ナルトを本当に、痛ましく愛おしく思いました。
手を取り合えた繋がりを、手が離れてしまった繋がりを、なぜあそこまで必死に懸命に大切にするのか。どうして自分から離れていったサスケを、来るなと拒まれても仲間を殺されかけても、それでも追い続けるのか。時々不思議でならなかったけれど。

私には想像もし得ない独りの時を痛みと共に過ごしてきて、第七班になってからあんなにたくさんの人と繋がれて、それをひとつずつ大切に懸命に守ってきたと思うと、ナルトがたくさんの人に囲まれて、たくさんの人に愛されて、たくさんの人に信じられて託されるのもよくわかります。



もしこの世界にナルトがいたら。
もしナルトが戦争が続くどこかの国で平和を掴み取ろうとしてくれたら。

そう思わずにはいられないくらいの、ナルトが持つ何かは、私には理解できないナルトの過去の痛みとも繋がっているのかもしれません。






英雄の子だから英雄になったんじゃない。
痛みに屈しない貪欲なまでの信じる力は本当に英雄になるべくして持って生まれた力、そして、英雄になるために身についた力そのものだと思います。

彼が英雄で、彼が良い仲間に恵まれて、彼が愛されて、本当に良かった。

そう思うこの頃です。
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