Shorthair

シュークリーム

2024/03/28 


正直、いつも何を書こうかよく困っている。
定期的に更新するつもりもなく、不定期でのんびりやるつもりではいるものの、毎回困っていた。

日々考えていることは溢れるほどにある。
エッセイと日記の狭間のような漫録をいつの間にか4年間で六冊書いているし、フィクションに昇華したいものがあったら小説も書いてみたりするし、歌詞にしたいことを思いついてはメモしているし、人に自分の考えが伝わったらというエッセイ的文章もこうして残している。
けれど、それは決して引き出しがたくさんあるという意味ではなく、むしろごった混ぜになっているおもちゃ箱のようなもので、そこから抜き出すにしろ新たに作るにしろ、おもちゃ箱行きにならないような文章を書くのは難しい。

ただ言葉を並べて書くのなら、きっといくらでも書ける。
もしかしたら誰でも書ける。
でも、それでは嫌だった。

誰かの考えや思想、五感が滲み出ている文章を読むのが、私自身とても好きだ。そこから自分について考えて、自分も知らない自分を探しに、延々、空と見つめ合う。
“世界” と一口に言えてしまえても、私に見えている世界は他の誰にも見えない世界だ。同じように、私以外の誰かに見えている私の知らない世界を知ろうとする時間が好きだった。

好きだけれど、問題もあった。
勝手に人の世界に傷ついて考え込んではまた傷つくことがある。
一方で、感銘を受けすぎて自分がつくりあげた自分の世界の一部が乗っ取られそうなこともある。
己があるから傷つくこと、己をつくりたいから感銘を受けること、どちらも悪いことではないのだけれど、行き過ぎてしまう恐れが常にあった。
だから、心が影響されやすい状態の時は、エッセイなどは見ないことにしている。



この文章は、人に何か伝わるものがあるだろうか?
書きながらよく考える。
そして、何も伝わらなくても人に見せたい。と思って載せることもあれば、何も伝えたいものが見つからないから保留。と数ヶ月放置されているものもある。
できれば、悲しみや苦しみという負の感情は伝えたくない。
余程の思いがない限りは、なるべく優しさや愛を香らせたい。
載せる前に文章とにらめっこして悩む。

余程の思いとはたとえば、『手塚治虫の新作をAIを使って作ったというニュースを見ての、怒り』と『“AI作曲”というものへの第一印象、瞬間的な悲しみと怒り』のようなもののこと。
このふたつは明確な怒りで、確実に負の感情だ。
勢いのままに書き、言葉を選ぶということもいつも以上に疎かにした。だけれども、私はこの怒りを私の音楽と表現者への愛からくる悲しみだと思っているから、裸のまま載せている。
この文章に対して仮に批判や苦情が来たとしてもいい。私は私でその全てを何も纏わず全身全霊で受け止めるつもりでいる。それが今の私の愛であり、その愛が深く悲しむ怒りであるから。
これは、少しでも誰かに届いてほしい愛の悲しみだから載せている、余程の思いだ。

それ以外はなるべく何かへの優しい感情が伝わるといいなと思って書いている。
たとえ書かれているものが迷いや弱さだったとしても、そのどこかに私が抱く何かへの愛を見つけられた時、それは人に見せてもいいものとしてここに載る。
誰かが書く迷いや弱さの先に優しい感情を見つけられる文章が、私自身とても心地よくて好きだったから。

だから実は、今日載せたからといって今日書いた文章かと言われるとそうではないこともあり、もしかしたら一年前のだったりすることもあると思う。
修正したり考えが更新されていたりはするものの、題材は三年前のだったりすることもあるだろうな。
この文章も、書き上げてから既に3週間が経っている。



もし、私の文章で人に何かを与えるとしたら、私は、読む人に刹那的な温もりを与えたい。
それが今の私が持つ、自分の文章への夢だ。
ずっと覚えているような感動するものでなくてもいい。
ずっと忘れられないような考えさせられるものでなくてもいい。
ただ、読んだその瞬間だけ、かすかにでも穏やかな気持ちになれたら。

前にもどこかで言ったけれど、シュークリームのような文章を書きたい。
なかなか難しいけれど、でも、一番書きたいのはそれだ。

シュークリームのような、ほわほわしてて適度に幸せなものを書きたい。



いつも、書いている私は楽しい。
もしも読む誰かにも楽しんでいただけたら何より。

ほんの小さな期待だけれど、もしそうあったなら、私はまたたくさんの奇跡を手にしているんだなと思う。





戻る

HOME