Shorthair

短文の美しさ

2024/08/13 


広く浅く知っているものの中でのお気に入りが必ずあり、大して詳しくもないのに、この分野ならこれが好き、というものが割と明確にあったりする。
もちろん入れ替わりもある。

「咳をしても一人」をかなり気に入っている。
これは俳句の中のお気に入りだ。
尾崎放哉の自由律俳句である。
良さを母と叔父と祖母に話したが、相も変わらず怪訝な目を向けられたので、ここでも語ってみる。
ただ単純に、美しいと感じてほしいだけだ。
まぁ、美的感覚は人によるから見流してもいいのだけど。

言葉や文章は、美しさといっても長さや調子や表記と色々な種類があり、中でもセンスのかたまりだと個人的に思っているのが、短文の美しさである。
努力によって生まれる名文ももちろんあるのだが、その根底にはまず抗えないほどのセンスがあることを感じる。
少なくとも私にはないセンスだ。

その短い美しさの筆頭に、この俳句がくる。
ほんの数文字で感じられる感情と情景との繊細さに、何度も感激してはますます好きになっていく。
決して俳句に詳しいわけではないので、俳句としてどうなのかはイマイチわからないが、ただこの美しさがたまらない。
「も」という一字の秀悦さといったらない。
この一字によって空間が生まれ、情景という余白が作られているように思う。

同じ理由で、ヘミングウェイの一文を偏愛している。
「For sale: baby shows, never worn」
(売ります。赤ちゃんの靴。未使用)
ヘミングウェイは文章は短い方がいいという考えの持ち主だったそうで、それを笑った作家仲間に何か作ってみろと言われてできたのがこの一文。
尾崎の句の余白の美しさとはまた別で、これは一文で完成されている小説である。
もはや感嘆しかでない。
『老人と海』も短文の美しさの例によく出てくるものらしいが、これほど完璧な美しい短文があるものかと個人的には思っている。

さて、短文の美しさを短文で語れないことだけが残念だ。
私にセンスを探すなら、長文の方を掘ってみるしかなさそうである。





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