彼らを「推し」と呼ばない私
2024/10/19
私は「推し」という単語をなるべく使わない。
「好きな人」や「惹かれた人」ということが多い。
理由は単純に、彼らに対する私の愛の抱き方としてその方がしっくりくるからだ。
「推し」という言葉には、いささか全肯定的な雰囲気を感じていた。
好きとはいえ、私は彼らを全肯定できない。
全肯定できないから好きになり、惹かれ、応援したいと思う。
そういう風に人を好きになる人間なものだから、全肯定的なオーラを発する「推し」はどうにも使い勝手が悪い単語に感じる。
まず根本的な原因として、私はあまり他人に興味が無い。
役者やキャラクターについて随分と長ったらしく語ることがあるように、確かに人は好きであったりするのだけれど、私の場合、どうしてもそれをいち表現として見る性質がある。
アルとしてよく語る好きな方々や作品も、結局のところ何に惹かれているかというと、その人の表現や作品で描かれる心情の移り変わりや関係性の変化といった “誰かから見た世界” を面白がっているだけのようで、その影響か私はどの作品を好きになっても特定のいちキャラの大ファンにはならない。
じゃあどういう楽しみ方をして好きになるのかというと……
*こういう描き方をするのか、なるほどね、面白いな。*
*私ならこう言わせたくなるけどこの言葉を選ぶのか、うわ、上手いな。*
*え、ここの芝居は押すんじゃなく引くのか、はぁ〜〜それでこういう効果が倍増するのか……すご。*
*げ、どういう思考回路でその表現に至ったんだ…?痺れるわ〜〜*
とまあ、こういう風に作品や人を見ることが多い。
そうやって踊らされる回数が多い作品や役者を好きになるというわけだ。
もちろん好きになるとはいっても常に全てに痺れるなんてことがあるわけはなく、理解できないことや特に何とも思わないことも多々ある。
というか、その方が多い。
ただ、一度興味を持ったならば、それを分析することがとても楽しい。
*前回は痺れたけど今回は刺さらなかった、違いは何だろうか。*
*この一言の言い方は平凡に感じたな、期待してたのは何だっただろう、なぜそう期待したんだろう。*
*意外だったな、こうくるかと待ち構えたけどしなかった、その場合もあるのか。*
そうしてひとつずつ考えることで自分の「好き」の分析が深まっていく。
表現への面白みが深まっていき、更にたくさん人の心を通した世界を見たくなる。
つまるところ、結局私はあまり他人に興味はなく、人に惹かれた自分を面白がっては人を好きになる。
そういう人間だから、人を好きになっても全てを知ろうと考えることはなかった。
むしろ、全てを知らないからこそ、惹かれる時と惹かれない時が生まれ、惹かれることの特別さを感じる。
基本的に他人に興味のない私が惹かれている時点で、既に一段階は私の中で特別な存在として注目を浴びることになるし、逆に常に痺れる人間であったら、私はおそらく、そのうちに興味を失う気がする。
痺れが日常では、非日常を見つけ出す面白みが薄れてしまうように思う。
(もっとも、常に痺れる人にはまだ出会っていないので実際どうなるかはわからない)
全てを肯定できてはつまらないのだ。
ただ、だからこそ心がけていることがある。
好きと感じたら言葉にすることだ。
これは全肯定ではない。
口にはしないだけで、もちろん無感動も抱いている。
でもそれを伝える必要はない。
好きだと感じた部分が特別で、無感動の特別さは私の遊びの範囲。
それを直球に言葉にすると、お友達でもお仲間でもない私からの言葉は単なる不意打ちの見知らぬ火箭になりかねない。
怪我を負わせたいわけではないから、良いと感じた好きだと感じたところだけを特別に思いを込めて言葉にすることにしている。
全てを好きですと口に出来たら、彼らにも良いのかもしれない。
けれど、私は私なりの誠意で真摯に彼らに愛を抱いていきたいから、好きだと思ったことだけ口にしていく。
少し話はズレるけれど、もう一つ。
「推し」という言葉は「推薦」から来たものだと思っている。
私は自分が好きな彼らを人に推薦したいとはあまり考えない。
人なんて、惹かれる時には惹かれるし、好きになる人は好きになるのだ。
縁なんていうのはタイミングである。
顔を合わせて時間をかけて、時には心をまさぐりあったりもして関係を築き上げる人間関係を経ての「推薦」ならまだしも、いち表現者とファンというのは氷上の熱愛なのだから、運良く割れないタイミングで溶けないポイントに立てた人にだけ起きる偶然の産物だ。
それを推薦するのは、ちと難しすぎる。
私は今こんな氷上で踊ってるんだ、と話すくらいならできるけれど、いくら彼らが素敵であってもいきなりそんな一か八かな楽しみをおすすめしてもな…と考えてしまうのだ。
逆に言えば、全てはタイミングなのだからふっと熱が冷めて氷上から降りたって何らおかしくないとも思う。
氷の上で永遠を誓えるのはロマンではあるけれどもね。
私は彼らを「推し」とは呼べない。
全肯定も推薦も、私には難しい。
彼らのことは「惹かれた人」「好きな人」としか言いようがなく、たぶんこれからもそう言っていく。
氷上で愛を抱いて。
そして、好きだと感じた時だけ好きと口にする。
特別な「好き」だけを。
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