嵐へ。どうか、どうか。
2025/05/06
初めて愛した外のひとが、ついに、夢みる夢で、終わってしまった。
ライブに行ってみたかったな。
あらしー!って、叫んでみたかったな。
嵐が好きなんです!って笑ってみたかったな。
グッズを買いに並んでみたかったな。
ペンライトを振って感動してみたかったな。
でも何よりも、嵐に出会えて良かったな。
嵐、どうかどうか幸せで、困り眉で笑い合えるくらいに、手の中を愛で溢れさせていてください、
嵐、愛してた、愛してたのに会いに行くことがなかった、一度だけ同じ時間に画面を通して見れたことがあった、家族が隣にいることに冷や汗と怯えで震えながら同時に、嬉しさで落ち着かなかった、よく覚えている、
愛することで傷つくことがあると知ったのは初めてだった。我が家から隔離されていた外の世界を知ったのは、自分は大層な井の中の蛙だったと知ったのは、嵐を愛したことで傷ついたからだった。愛するために口を噤むことがあるとも知った。捨て去ろうとしても戻ってきてしまう場所は愛のすみかなのだと思った。
初めて、世界と同じ時間に、震えながら嵐を画面越しに見たとき、祖母がぽつりと言った。
「幸せそうな顔してる」
私を見ていた。
自分の心を常に疑い信じないことで、防衛を固めて強かに生きてきた。表情と感情はしばしば一致しない。
それはそれはよく響いた。
幸せそうな顔。しあわせそうなかお。
他人に興味のない祖母がいうほど。
私は、幸せそうだったのだ、たしかにたしかに、幸せそうな顔。
仮面も盾もぜんぶが気づけばほろほろと壊れていた、幸せそうな顔。
嵐がいた時も、休止を発表した時も、休止した日も、ライブがあった日も、番組の放送日も、曲のリリース日も、嵐がいない日も、嵐がいなくなるこれからの日も、私の周りでは何も変わらない。ずっと、何も、何も変わらない。
私が共に生きていく人たちの中で嵐は植木に飛んでくる羽虫よりも記憶にいない。植木に羽虫が来たというとこちらに目が向く、嵐の名前を出しても誰にも聞こえない届かない。
口を噤んでしまう私でも、好きだと言ってもいいだろうか。“愛する嵐”と呼んでいいだろうか。ずっと、後ろめたく思っている。会いに行くどころか、名前を呼ぶこともできないなんて。でも、確かに、好きだった。
どうか、どうか、嵐が幸せでありますように
幸せと愛と笑顔と大切な人たちの中で豊かでありますように
どうか、幸せでありますように
多くの祝福と愛が、嵐のもとに降り注ぎ溢れてまた光となりますように
いつまでも、どうか、穏やかでありますように。
幸せでありますように
どうか、どうか、
私の愛する嵐が、幸せで、ありますように
嵐の愛する嵐が、幸せで、ありますように
嵐を愛するひとが、幸せそうな顔で、嵐を愛しますように
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