笑わない子とティラステ
2024/02/16
笑わない子と言われてきた。
学校の先生にも同級生にも友人にも両親にも妹にも。
小学生の頃から今までずっと。
漫才、コント、コメディ、お笑い。
そのあたりは、自分は世間一般と呼ばれる多くの人と違うという事実を突きつけられる、敵視したくないのに手を取り合えないものだ。
だから、コメディと聞いたティラミスを観るのは少し怖かった。
幼い頃からそうだった。
面白くないんじゃなく、笑いが分からない。
皆が笑っている所がなぜ笑う所なのか、なぜ面白い所なのか。
ちっとも分からなくて、漫才やコント、コメディのどれもを真顔で最初から最後まで見れてしまう。
授業で先生が言う冗談に笑う皆とは違い、困惑でノートの上を泳ぐ自分の目。
お笑いを見て爆笑する家族の隣で、笑い声の度に戸惑ってきょろきょろと3人を見まわす。
今では、楽しく笑う家族に水を差すようなことをしたくなくて、食事の片付けをした後はすぐ自室にひっこむことにしている。家族全員での食事のあとは大抵の場合、コメディドラマかコントを見るからだ。真顔でじっと画面を見つめたり自分が笑う度にきょろきょろする人が隣にいたら、楽しめるものも楽しめなくなるんだろうなと感じて。
そう在りたいわけではない。
面白くないんじゃない。ただ純粋に、分からない。
私だって一緒に大きな声で笑ったりしてみたい。
そんな、笑劇を理解できない残念すぎる堅い人間だから、コメディを楽しめるか正直ものすごく不安だった。
龍乎さんが好きだ。龍乎さんの表現をすごく気に入っているし、たくさん見てみたい。だけど、それを笑わないまま楽しめない自分を想像すると怖かった。
笑いたい。龍乎さんが楽しませようとしてくれる表現で、演者さんたちが笑わせようと頑張る演技で、たくさん笑いたい。ただ楽しみたい。私だって、笑いたい。
涙が出るほど爆笑してみたい。
声を抑えきれないほど笑ってみたい。
腹を抱えて笑い泣きしてみたい。
声をあげて笑ってみたい。
微笑み以外の笑い方をしたい。
お笑いは、笑う所が分からなくて笑えない自分に気づかされて嫌になってしまって、いつからか何度試してみても冒頭のほんの少ししか見ていられなくなっていた。
だから、恐る恐る、軽い気持ちだ、龍乎さんの演技を色々見てみたいから、軽い気持ち、それだけを考えて、ティラミスを開いた。
ティラミスは、なんだろうか…なんか少し好きだった。
やっぱり爆笑はできなくて、そんな自分にまた残念だったけど、あの笑いは気が楽な感じがした。たまにある、笑いに気持ちが詰まるようなことはなかった。
自由で楽しそうな空間に少しそわそわしながらも心地がよかった。お客さんの声が入っていたのも、演者さん自身が吹き出しそうになっている姿も良かったんだと思う。真面目にシリアスもやるし感動的なストーリーもあるし。……ちょびっと。
ただあの何が何だかわけわからないのに楽しさと勢いがとんでもない密度で詰め込まれた特急ジェットコースターのような物語と、小さなステージで目まぐるしく走り回る役者さんたちは、ずっとくすくすとさせた。こんな私を。ちょっとびっくりだ。
楽しかった。
次は蟹だ。
ちなみに私は自分で蟹を剥ける。日本の蟹はろくに知らないけれど、上海蟹なら丸ごと一匹。
みそから足の身、その隅から隅までの美味しい食べ方を知っている。ぜひ差し入れで贈りたいものだ。
特に龍乎さんには、前説でちょっと心をほぐしてくれた感謝を込めて多めに?
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