Shorthair

不仲の両親、最愛の妹、未来への恐れ

2024/02/02 


母親が子どもへ伝える父親の悪口は、子どもにとって"自分への否定"と同じになる。

そんな文章を見た。
わかるなぁと思った。

だから、なんとなく、書いてみる親のはなし。
10代の小娘が、自分の親に思ったことのはなし。



子どもは親の愛の結晶だと聞いたことがある。それなら、私は、何なのだ。

「愛してる」と言われても、もう、いつの間にか、信じられない。






父は私を「お母さんと9割一緒だ」と言う。

母は私に「あんたもお父さんと同じだね」と言う。

無論、褒め言葉ではない。大抵の場合、それは、私が気を遣えなかった時や私の何かが彼らのカンに触った時に言われるものだから。

ある時ふと気がついた。
ふたりが、互いがいない所で私に話す愚痴や悪口は、もしかして、私の中に互いを見出して嫌悪してるのではと。



何度か仲を取り持とうとした。彼らの仲を嘲笑うようになってからでも。

妹が私にしがみついて泣いたのが辛かったから。扉の向こうで言い争う声を聞きながら、「大丈夫」と言い続ける私に、あの子は「だっていつ何が起こるかわからない」と言った。まだ一桁のあの子に、「大好き」とまっすぐ人に伝えられる小さな子に、そんなことを言わせたあいつらに腹が立った。

翌日、本当に腹が立って憤った時、人は怒り方すらわからなくなることを知った。怒鳴ることも怒りを伝えることもろくにできず、ただ、嫌な塊だけが疼く。それでも言わずにいられるわけがなく、「あの子の前で喧嘩しないでくれ。私の前では好きにしていいから、あの子がいる時は、絶対やめてくれ」と頼んだ。それもまた、無意味なことだったわけだけれど。



ある年の妹の誕生日の晩にも、言い争っていた。妹が起きてしまわないかひやひやして、夜中まで寝室の扉の裏に座って番をした。
あの子が起きたら、どうにか誤魔化して寝てもらおう。あまりにうるさくなったら止めに行こう。明日になったら、聞いていたことを伝えよう。誰よりも誕生日を心待ちにして、誰よりも一日を楽しんでいた、あの子の誕生日にすらそう言い争うのなら、どうして離婚しないの、と。私の学校なんてどうでもいいから、私の未来は学校だけにあるわけじゃないから、あの子を泣かせたくない、喧嘩しないでなんて無理だと分かってるから、でも、せめてあの子のためには抑えてくれないか、と。

それもまた、何の役にも立っていない。返ってきたのは、「良い子をもって嬉しい」だとか「あなたが生まれる前は優しかったよ」だとか、そんな言葉だった。



たぶん、本当に無駄だった。私が仲を取り持とうと、二人きりになった時それぞれと話そうとしても、怒られるだけなのだから。「お前に関係ないだろ」と。関係ないわけがあるか、あんたたちは何回あの子を傷つければ気が済むんだ。そう思った。

でも、そりゃ何も言われたくないだろう。だってふたりは、私の中に互いを見つけて、腹が立つ。ああだこうだ言うと、「あいつと同じようなこと言って…」と嫌な顔をして言われる。

本当に申し訳ないのだけれども、残念ながら私は父と母の子で、父と母に育てられた子なので、どうしたって父と母に似てしまう。






私には、ふたりの仲を思って泣いた記憶なんて全くない。おそらく本当に幼い頃はあっただろうし、まだ小学校に入る前、父が帰ってきた時に「ちゃんと帰ってきた」と思ったことがあるような気もする。今考えれば、会社だと思ってもおかしくないのに、「ちゃんと帰ってきた」と思ったのは、父が会社ではなくホテルに行ったことをわかっていたのかもしれない。確かではないけれど。

はっきりと覚えている一番昔のものは、「離婚しないの?」と小学3,4年生の頃に父に言ったこと。私はとっくの昔に、親の喧嘩や不仲を悲しく思う感覚なんて忘れていた。なぜ離婚しないのか。それだけで、離婚を悲しいこととも思わなかった。離婚した時はどちらについて行こうか、妹はどちらについて行くか決める権利を持っているだろうか、そんなことを定期的に調べるだけ。
妹にしがみつかれた時、親を思って泣くという感性をまだ持っているこの子を守りたいと思った。



虚しいことに、私はうまく守れなかったようだけれど。
今じゃ、あの子は、私のところに避難に来ることはほとんどない。しがみついて泣くことも、わめき声や泣き声を聞きたくないからとヘッドホンをつけることもない。私のように、嘲笑って、「くだらない」と言う。潤んで力んだ目でこっちを見ながら。

今のあの子は、「この子を守る」と決めたあの頃の私と、おそらく、同じ年齢だ。泣くあの子を見て、久々にあいつらの喧嘩を悲しいと思った私と、同じ歳。心の中での親の呼び方に「あいつら」が加わった時と、同じ歳。

できればこうなってほしくはなかった。「結婚なんてしたくないね」と話せるようになりたくはなかった。私の倍 豊かな感受性を、少しでも潰したくはなかった。怒られたらすぐに泣いてしまう柔らかさを、少しでも失わせたくはなかった。





「両親の仲がいいと、子供は生まれてきて良かったと思うのよ」

そういうセリフを漫画で見たことがある。ただの日常会話の一文だったけれど、ずっと忘れられない。

私自身 思っている。何度も。生まれたくなかった、と。
それは何も親のせいだけではないけれど、親というのがひとつの大きな原因であるのは間違いない。彼らの仲が悪くなったことや、互いが嫌いでも同じ屋根の下にいなければならない原因に、自分が深く関わっているという自覚が、少なからずある。

「あなたが産まれる前までは優しかったんですよ」
「あんたが受験をしないなら離婚するのに」
「海外の学校、合格したけどやめて日本に帰ってもいい?」

私が生まれたことで、私の選択で、私は彼らの人生を奪っている。そう思うことは少なくない。



彼らのもとに生まれた意味を何度も疑ったし、彼らのもとに生まれたことを何度も消したくなった。
愛されていないとは思わないけれど、

「産まなきゃ良かった」

「子供は好きじゃない、ただ人類の発展のために子供は必要だと思った」

そういう言葉を、子供は意外と覚えている。

愛されていないとは思わないけれど、愛されていると満面の笑みでは断言できなくなった。いつからか、彼らを信じられなくなっていた。彼らが私たちより先に愛したはずの相手を、大切に愛しているようには見えなかったから。
もしかしたら愛しているのかもしれない。だけど、私にはもうそれがわからなかった。






私にとっての救いは、妹。
あの子は、私を愛してると言ってくれた。今は、思春期らしく嫉妬や悩み事のはなしで恨むだの憎むだの嫌いだのと毎日言われてはいるが、それもかわいい程度のもので、それ以上に毎日変わらず私と共に笑ってくれる。私と何かをしたい、私と一緒がいいと言ってくれる。

少なくとも、私にとっては、あの子は私の愛そのものに近かった。愛すること、愛されること、愛せること。どれひとつをとっても、あの子は純粋だった。私が信じられる私自身も、あの子にあった。
疑心を無視して「愛してる」と書く手紙も、形だけの「親友だよ」も、気の迷いのような「好き」も無い。死ぬまで変わらないと言い切れる数少ない自分のものが、あの子に渡す「愛してる」だった。
あの子を愛することで、私はこの世界にいることを良かったと思うことがある。あの子を愛せるから、私はあのふたりのもとに生まれてきたことを良かったと思うことがある。まぎれもない、救いだ。



私が親の不仲から受け取った生まれたくなかったという感覚を、あの子には感じてほしくない。そこからそんなものを受け取る間もないくらい、あの子を愛したいと思った。うまくできているのか、わからないけれど。






親の仲や言葉は、無知な子供の世界をつくる。子供にとっての最初の大人は、最初の男と女は、最初の社会は、ほとんどの場合が親だからだ。妹とのそこに自分が完全に入りこめるとは思わないけれど、可能な限り、あの子の世界に苦しみや悲しみが生まれないことを日々願っている。

そしていつか、私以上にあの子を愛する人が、あの子の世界のNO.1になったらいい。あの子を大切に愛してくれる人、そんな人が。



もしも自分が親という立場に、母という立場になったら。

その時の私なら、母の何かを理解できるのだろうか。父の何かに憧れるだろうか。父と母の間には確かに嫌悪以外の何かがあったと理解できるのだろうか。

自分の子どもに、この親のもとに生まれてきたことを良かったと思ってもらえるだろうか。

その恐怖を思うと、父と母になったふたりのことを尊敬しそうだ。
今のところ、私には、とてもできそうにない。





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