制服なんて、私にとっては着脱不能な鉄壁の鎧でしかなかった。邪魔で邪魔で仕方なかった。
この柔らかい布が、彼との距離を圧倒的に隔てる砦のようなものだったから。


「お、なんか化粧してへん?」
「化粧なんか前からしてるやん」


「そうやっけ?」、と何も考えてなそうな笑顔で席に着いたこの人は、たくさんの人を笑わせる仕事をしている。
おとなりの、新山さんちの士彦くん。一回りも離れている、私の幼馴染。
幼馴染といっても、私が小学生の時なんて士ちゃんは高校生だったし、そもそも私は幼馴染だなんて思ったことは一度だってない。


「名前の制服も今日が見納めやな」
「そうやね」
「卒業式の後とかなんかせえへんの?」
「するよ。夜からみんなで打ち上げ」
「ええなあ。ちゃんとあったかくして出かけるんやで」
「……おっさんくさ」


士ちゃんは「おっさんやからええねん」と吐き捨て、コーヒーをすすった。
私は氷抜きのオレンジジュースを意味もなくストローでくるくる回し、テラス席から見える春手前の季節を眺めた。


「かわいいな」
「なにが」
「それ、コサージュ」
「卒業生やもん」
「家、どこらへんになったん?」
「土地勘ないから分からへんねん。大学の近く」
「ええなあ。俺より早く東京進出してるやん」


今日制服を脱いだら、私は晴れて大学生となる。新しい人と出会って、新しい環境で、新しい恋をする。
大学生になって士ちゃんと会う時は、きっと今より何倍もきれいになって、おしゃれになっている予定だ。
春の陽気が、士ちゃんが頼んだコーヒーに溜まっている。


「そうや」
「ん?」
「好きな人、どやったん?」
「……ああ」
「告白できたんか?」


私には、十二年間思いを寄せている人がいる。
その人はバカで、女性の趣味が悪くて、仕事熱心で、急に髪の毛を金色にする変な行動力があり、おっさんだから苦いコーヒーだってするする飲めてしまう。


「告白だめやった。もう相手おった」
「やから言うたやんか、取られるぞって」
「言うたところで私はだめやったよ」
「なんで?」
「その人、女見る目ないから。私を好きになるはずない」
「お? 言うやんけ」


士ちゃんは口を大きく開けて笑う。私の気持ちも知らないで。
リップが取れないように、慎重にオレンジジュースを口に運ぶ。
太陽の光だと肌がきれいに見えて、瞼の上のラメも一層輝くらしい。だから私は、今日は外の席がいい、と士ちゃんにわがままを言った。
彼に、一番かわいい私を見てもらいたかったから。


「名前?」


胸元に同じ作り物の花を咲かせている男女のかたまりが私の名前を呼んだ。
高校生最後の時間をこの三十過ぎのおっさんに捧げたくて、私は打ち上げの時間まで席を外すことをみんなに伝えていた。
仲の良い女子たちは彼のことを察して、窺いつつもさっきみんなで撮ったらしい動画を見せてくれた。


「打ち上げ来るやんね?」
「うん、行くよ」
「良かったー」
「てかどんな格好で行く?」
「そうやなー、決まったら写真送る」


女子は明るい声で「じゃあ、あとでねー!」と言う一方、男子は私の向かいにいる大きな男が気になるみたいで、口には出さないものの視線は士ちゃんに刺したまんま、足取り重くその場を去った。


「男子やな」
「え?」
「むっちゃ男子高校生」
「うん?」
「“俺の名前の前におる男は誰や!”って顔してた」
「んなわけないから」


部活を引退して少し髪が伸びた同級生たちを見ても、私の心は一ミリだって傾かなかった。
士ちゃんの、風になびく金色の髪が好きだった。黒に戻った時は残念だったが、結局どんな髪型だろうが髪色だろうが士ちゃんは士ちゃんで、私の片思いが途切れることはなかった。


「あ、名前」
「ん?」
「言うの忘れとった」
「何?」
「卒業おめでとう」


私はこれからこの柔らかい鎧を脱いで、高校生というブランドを捨て、やっと大人になれる。
士ちゃんは卒業祝いの言葉と共に、きれいな紙袋を取り出した。
呆気に取られている私を見て、目尻を下げて楽しそうに笑っている。


「開けていい?」
「おう、開けてびっくりしてくれ」


士ちゃんは、卒業祝いにかわいい財布をくれた。奥さんと選んだ物らしい。
ピンク色の財布は恋愛運を上げるんだと、彼の一番好きな人が言っていたと、私の大好きな笑顔で教えてくれた。
きーちゃんがついこの間「このブランドの財布が欲しい」と言っていたものに形が似ている。
私はたぶん、うまく笑えているはずだ。


「ありがとう。奥さんにも伝えといて」
「ん、分かった。名前が泣いて喜んどったて伝えとく」
「うん。かわいい、これ」
「あっち行って変な男に引っかかったらあかんで」
「あーどうかなあ」
「なんやねん、引っかかる予定あんのか?」
「ないよ、ないけど」
「意味深なこと言いよって」
「私、男見る目ないから」


不毛な片思いに十年以上も費やして、私が必死に学生生活をこなしている間に、士ちゃんはあっという間に結婚した。
部活が忙しいからという理由で、式は欠席した。招待状をビリビリに破って、何日も何日も泣き抜いた。これがあったから、本人を前に拙いながらも「おめでとう」と言えたのだと、今になって思う。
士ちゃんも大概だが、それを言う私こそ異性を見る目がない。


「ま、なんかあったら俺に連絡してこい」
「士ちゃんに連絡してなんかいいことあんの?」
「名前をたぶらかす悪い男を半殺しにするのが俺の役目や」
「また適当なこと言うてる」


士ちゃんは馬鹿だ。
私は自分で自分を守れるし、変な男になんか引っかからない。仮に騙されたとしても、士ちゃんなんかに連絡はしない。
好きになる人を間違えたこと、こんなに時間を費やして後悔していること、どちらも本音だ。
痛々しい本音の隙間から、長い間漏れ出す泣けてくるほどの彼への愛しさが、私を自由にしてくれなかった。
私はこらえきれなくなり、それは頬を伝うことなく雨のようにぱたぱたと机に水たまりを作った。


「どないしたん?」
「……や、離れるの、かなしくて」
「やっと卒業生ぽいこと言いよったな。ほら、涙拭き。せっかくかわいくしてきたんやから」


私の涙を見ても、士ちゃんは全く動揺しない。小さい頃から何度も泣き顔を見せてきたから、私の涙には慣れっこなのだろう。
士ちゃん、私は今日、あなたにふられるためにかわいくしてきたんだよ。
私を選ばなかったことを後悔させるために、今までで一番かわいい私を作ってきたんだよ。だから、これっぽっちの涙で私のまつげは崩れるわけない。
この恋を終わらせるために、あなたの前で泣いてもいいように、私はこのまつげであなたに会いに来たんだから。
















窒息
(卒業おめでとうございます)
(この度はご愁傷様です)








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