茹だるような暑さとはこのことで、降り注ぐ太陽光線とアスファルトからの照り返しで俺の肌は悲鳴をあげそうだった。
普段なら早く室内へ退避したいと思うところだが、初めて足を踏み入れる土地となるとそういう感情が薄れるのかもしれない。


「ここからちょっと歩くけど大丈夫?」
「うん」
「まあ、十分くらいだから」
「歩くうちに入らんわ」
「でもめちゃめちゃ暑いよ。うちの親使えば良かったのに」


自分の荷物を背負い直すと、慣れた足取りで歩き出した。
小さな私鉄の駅は降りる客も俺と彼女の二人で、降りた先も二人だった。
まるで世界に二人きり、と思いたいところだったが、歩いてすぐにある畑に麦わら帽子を被った老夫婦が土をいじっていた。


「教会がある」
「そうなの。土日とかは開いてて、お菓子もらいに行ってた」
「何も信じてへんのに?」
「うん。拝んですらないのにさもお説法聴いてました顔してシスターのところに並んでさあ」
「アホの子やな」
「んはは、懐かしい」


木陰に佇む小さな教会は物音すら立てず荘厳な存在感を放っていた。
そのすぐ先には小学校があって、プールの授業を楽しむ子供たちの声と蝉の声が夏の空で混ざり合っている。


「あ、電話」


反応からして彼女の母親からだったみたいで、手持ち無沙汰な他人はよくある田舎風景をぐるりと見渡した。
夏の日差しが強すぎて、瓦屋根で反射する光が目を焼いてくる。
彼女が、一度だけ不服そうな声色を出した。その後相槌だけ打って電話を切り、「あのね」、と俺に顔を向けた。


「両親が家を空けてるみたいで」
「えっなんで?」
「思ってたより買い物が長引いてるみたいでさー。もう何してんだか」
「ええよ俺は。こんな汗だくの姿見せられへんし」


ああだこうだと話をしていると彼女の生まれ育った家に到着した。
玄関をくぐって、普段することはない靴を揃えるという行為をし、変に緊張したまま冷えたリビングに通された。


「あー生き返る」
「荷物ここ置いてええの?」
「うん、もうどこにでも置いて。あ、座ってね、ここ一番涼しいの」


名前は横にずれて、ソファをぽんぽんと弾ませ俺に座るよう促した。腰を沈めると、エアコンの風が全身の汗を蒸発していく。
ソファから離れた名前は冷たいお茶を持ってきてくれ、文字通り生き返るようだった。


「うち何もないんだよね。テレビも面白いのやってないね」
「せやなあ」
「もうちょっと早く来てくれたら犬がいたんだけどね」
「七年前やろ?」
「うん」
「出会ってすらないやん、俺ら」


七年前に亡くなった犬のことを知っている理由は、名前のスマホの壁紙がその子だから。小学生の頃から一緒で、大好きで大好きで仕方がなかったのだと教えてくれた。
その子の寝床は布団こそ片されているものの、物は置かれておらず奇妙な空洞ができていた。


「皓平くん」
「ん?」
「どっか行かない?」
「お母さんたち、そろそろ帰って来るんちゃうん?」
「待たされたんだし、待ってもらえばいんじゃない? 連絡しとく」
「どこ行くん?」
「車あるから、どこでも行けるよ」


彼女の運転でどこかへ行くのは初めてではない。
流れる景色はすべて夏の色に染まっていて、知らない地元のスーパーや青々とした田んぼが俺の胸をくすぐった。
名前はスピードをゆるめ、古びた商店を指差す。


「ここ、昔駄菓子屋だったの」
「へえ、今は閉まってんねんな」
「うん。もうちょっと先にも駄菓子屋があってね、こっちは家から近いけど消費税がついて、あっちは遠いけど消費税抜きで売ってくれてたの」
「使い分けてたんや?」
「そう、今日はあっち行こーとか言って。自転車でどこまでも行ってた」


シャッターで閉ざされた駄菓子屋はもう遥か後ろにある。信号待ちをしている間にどこへ行こうか考えていたみたいで、少しの沈黙の後「中学校行ってみよう」と明るい声で言った。


「ザ・中学校です」
「学校はどこもあんま変わらへんな」
「そうね…… あっ制服変わってる!」


学校の近くに車を停めて歩いていると、現役中学生が校門から出て来るところを見て驚いていた。
名前はテンションが上がると、俺の二の腕を触るくせがある。


「私の時なんかすんっごいだっさいリボンでね、しかも緑色で太くて長くて結んだらわかめみたいになんの。今の制服いいなあ、かわいくて」
「卒アル見たけどそんな変やったっけ?」
「あれはちゃんとかわいくなるようにアレンジしてんの。リボン細くして後ろで編み込んで形崩れないようにして……」


好きな人の過去に触れていくのはふしぎだ。
グラウンド近くに行くと、「野球部の子は一人だけ仲良い子がいたなあ」とか、「うちの野球部強かったんだよ」、と楽しそうに話している。そんな彼女を隣に置いて、愛しい以外の感情を持つことは難しい。


「あっち行ったら部活帰りによく行ったコンビニがあって、こっち行ったらシミちゃんの家があんの」
「ああ、買い食いばれてその場でめちゃめちゃ怒られたコンビニな」
「そうそう」
「我慢できひんかってんな」
「全然できなかった。部活終わりに何も食べないで帰るなんて無理だよ」
「気持ちは分かるけど、」
「名前ちゃん?」


彼女の名前が学校の裏口から聞こえて、二人してちょっとアホみたいな顔をして振り向いたと思う。
名前は名前を呼んだ相手を見るなり叫んで、名前と久しぶりを連呼して彼女の手を取った。


「帰ってきてたの?」
「そう、ほんとさっき帰ってきて暇だから近所ぐるぐるしてたの」
「暑い中よくやるねー」
「もうびっくりした、そういえば教師になったって言ってたもんね」
「おかげさまでもう主任ですよ。ね、制服見た?」
「見た! かわいくなってた!」
「私たちのわかめの時とは全然違うよね」
「ほんと、さっきその話になったんだよね」


話の内容からしてここの中学の先生と名前は同級生で、二人ともこの学校に通っていたらしい。
わかめリボンの話から始まり、同級生の誰それが結婚した離婚した子どもが生まれたとか、あの時の担任の先生は今校長になってるとか、誰かがレフェリーストップをかけないと一生喋り終わらないだろうなと考えていたところで、先生と目が合った。


「名前ちゃん、そちらの方は?」
「あ、そうそう忘れてた」
「忘れんなよ」
「彼氏です」
「どうも、名前がお世話になってます」
「こちらこそ…… 名前ちゃんの同級生で、二人ともここに通ってたんです」
「話の感じ、そうなんやろなあって思ってました」
「あの、失礼なこと言って申し訳ない…… ていうか間違ってたらどうしよう」


名前の友人は口籠もってしまったが、俺と名前は大体どんな言葉が出るか予想がついていた。
名前が目線で「どうしよう」と俺に伝えてきたが、無視してやった。
ああ、困ってる困ってる。


「お笑い芸人さんですよね……?」
「え? 芸人?」
「ニッポンの社長の…… あれ、似てるだけ?」
「……似てるかな? 言われる?」
「あーたまに言われるかもなあ」
「さっき少し喋った感じ、関西弁だったからもしかしてと思ったんだけど……」


あーとかんーとか言って紛らわせているつもりなのかもしれないが、嘘がとてつもなく下手な名前を見ていると笑いが止まらなくなって、一瞬女子二人が固まる。


「や、うん、知ってくれてて嬉しいです」
「やっぱり! ご本人ですよね!」
「必死にごまかそうとしてるから乗ってもうて。すんません」
「うちの学校の特に男子がね、好きなんですよニッポンの社長さん! まさか会えるなんて…… じゃなくて、あんた芸人さんと付き合ってたの!?」
「……もう、言うならすぐに言ってよ」


自分の演技を思い出したのか、名前は耳を赤くして俺に悪態をついた。
そんな名前を見て先生は笑っていたが、後ろから生徒たちが気付いてこちらに寄って来る。


「ごめん、仕事中なのに!」
「いいのいいの。それより生徒に気付かれたら厄介だろうから、今のうちに逃げて」
「うん、またごはん行こうね」


先生は生徒たちに矢継ぎ早に「誰ー?」と質問され、同級生だよと答えていた。
俺たちも車に戻る道の中であれこれと話をしていたが、ひとつ言い残したことがあった。


「彼氏なあ」
「ん?」
「間違ってはないねんけどな」
「うん」
「訂正すれば良かった。旦那ですって」


過去に触れて、現在を一緒に歩いて、未来に向かう俺たちの先には、どこにでもある田園風景が続いている。
会社に無理言って休みをもらってわざわざここに来た理由は、上を向いて照れるこの憎たらしい彼女の為だ。
彼女の実家に着くと車が増えており、心臓が縮まって鼓動もどんどん加速した。


「緊張する……」
「しなくていいって」
「するて。どうしよ、殴られたら」
「絶対ないから大丈夫」


名前が間の抜けた声で「ただいま〜」、と言うと、名前と似た顔の両親が俺を優しく迎えてくれた。
お父さんもお母さんも、名前が呼ぶように俺のことを「皓平くん」と呼び、初めて会った気がしないくらい俺のことを知ってくれていて正直驚いた。
結論から言うと、俺は一回も殴られることなく無事次の日電車に乗ることができた。


「杞憂やったな」
「だから言ったじゃん」
「芸人なんて、不安定で遊んでそうで女泣かせてそうで、みたいな印象普通持つやん」
「まあ、それは拭えないよね」
「よう許してくれはったわ」
「あたりまえじゃん、私が選んだ人なんだから」
「選んでくれてありがとう」
「ん? 何よ急に」
「幸せにする」
「はい、頼みますよ」


誰もいない私鉄は良い。
こんな酷い会話を誰にも気にすることなくできるし、誰にも気にすることなく車内で手を繋ぐことだってできる。


「電車通学やったっけ?」
「高校はね」
「学生時代の彼氏とこんなことしたん?」
「……知りたくば、今日の晩ごはんはお寿司にすると言いなさい」
「偉そうな女やな」
「知ってるくせにそんなこと聞かないでよ」
「俺が初めてやもんな、なんもかんも」


うるさいんだけど。そう言う名前の声の方が大きい。
俺のいじわるを嫌がって手を振りほどこうとしているが、そうはさせない。
お前の手と未来は俺が握っていて、お前が何をしようと何を言おうと幸せ以外の場所に連れて行くつもりはないのだから、せいぜい大阪に着くまで、好きなだけ喚いとくんやな。
















というられた







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