新しいお友達ができた。
大人になってから友達ができるのは初めてで、妙な高揚感が続いて、通勤で使う道も色濃く見えたりなんかして、新しいコスメや洋服も買ってみたり、楽しい日が続いている。


「それ、恋じゃないですか?」


事務所で頂き物のお菓子を食べている時、20代の事務の子にそう言われた。
恋っていうのは、このあまーいワッフルみたいなものだと聞くけど、30歳を越えるとそんなあまあまふわふわしていられない。地に足つけていないと、痛い目を見る。


「先生最近楽しそうですもん」
「友達増えると楽しいでしょ?」
「どんな方なんです? その新しいお友達」


またしても頂き物のコーヒーを啜り、彼の特徴をつらつらと並べてみる。


「年齢は私のふたつ上で、背が高くて、お仕事は公務員て言うてたなあ。あと、最近彼女と別れたばかりっぽい」
「えー! めっちゃいいじゃないですか!」
「素敵な人よ」
「なんで別れちゃったんですかね?」
「知り合ったばっかでそれは聞けへんよ〜」
「ノリで聞いちゃえばいいんじゃないです?」
「だめだめ、失礼でしょ」


うちの事務所は女性だけだから、こういうガールズトークは日常茶飯事で行われる。
実際この子の彼氏も、会ったことはないのに好きな食べ物から家族構成、夜の行為の癖まで知り尽くしている。


「結婚相手には持ってこいだと思うんですけど」
「そうねえ」
「まあ、もしかしたらその人もすんごいこと隠してるかもしれないですしね」
「すんごいこと?」
「……ヤバめのロリコンとか?」
「それはもう友達やめるレベルやわ」


そんな会話を日々繰り返していると、あっという間に時間が経っていた。
着ていく服も決まって、あとは当日を待つのみだったある日、永見さんから初めて電話がかかってきた。


「すみません、今お時間よろしいですか?」
「はい、どうしましたか?」
「あの、海遊館の件なんですけど……」
「はい」
「すみません、その日急遽仕事が入ってしまって……」


本当にすみません!
電話越しでも申し訳なさがしっかり伝わる声色だった。見えもしないのに土下座でもしているかのような勢いで、なんだかこちらが申し訳なくなるほどだった。


「大丈夫です、お仕事ならしょうがないですよ」
「せっかく予定空けてもらってたのに、本当に申し訳ありません」
「お忙しいんですね、お仕事頑張ってください」


電話を切ると、全身の力が抜けてベッドにダイブした。
ハンガーで華やかに輝く夏色のスカートを恨めしそうに窺っても、予定が帰ってくることはない。
一通り落胆しきって、ふつふつと疑問が湧いてきた。
公務員なのに土日に急遽仕事が入るってなかなかない気がする。そういえばイベントの日も土曜日で、予定があるって言ってたな。
そこから導き出した答えがひとつだけあった。


「永見さん、もしかして既婚者……?」


人間もどきは、そういった類の嘘を呼吸と同じように容易く吐くことを知っている。
ひとつ気になり出すとどんどんそう思えてきて、謝罪のLINEが改めてスマホを震わせたが、文字を打つことすら躊躇して使い勝手のいいスタンプをひとつ送って、眠りについた。






「そんな落ち込むなって」
「うん……」
「しゃーないやん、俺ら芸人なんやから。他の職業とはちゃうねん」
「分かってんねんけどな……」


仕事が入って喜ぶべきところを、僕と相方はそれぞれ違うリアクションを取ってしまってマネジャーが驚いていた。
もちろん浜田も同じようにびっくりしていたが、2人になって事情を話してみると少しだけ分かってくれたみたいだった。


「あんま先々の予定入れたらこうなんねんから、気ぃ付けや」
「うん……」
「てか、相手も永見のこと分かってるやろからそんなへこまんでもええんちゃう?」
「…………」


急に黙ってうつ伏せてしまったものだから、浜田が俺の肩を乱暴に揺らした。
誰かに肩を揺らされても、優しい言葉をかけられても、お客さんにおもしろい・かっこいいと言われても、彼女との予定が元通りになることはないのだ。
ショックで話を半分も聞いていなかった俺は、当日に入った仕事内容をもう一度浜田に聞いた。


「場所どこやっけ?」
「おまえ全然聞いてへんやんけ」
「ショックすぎて話入ってこおへんかったんやて。で、どこ?」
「天保山マーケットプレース」


最悪だ。
でもよく考えたら、デートで行くはずだったところに彼女が現れることは極めて低いから、ある意味ついているのかもしれない。
スマホでの最後のやりとりは、彼女が送ってきたスタンプで止まっている。これに息を吹き返すことができる恋愛スキルは、今の僕には持ち合わせていない。





「人多いなあ」
「天気もええしなー」


あれからトーク画面と睨めっこしても良い案が浮かばず、本来の約束の日だった当日が来てしまった。
絵に描いたような快晴で、風もやわらかく絶好のデート日和だった。


「どうなったん」
「何が?」
「例の約束」
「そら、断ったよ……」
「分かってくれたん?」
「うん」
「優しい相手に感謝やな」


浜田はなんとなく、今日の約束の相手が女性だったということに気付いているようだ。
相方の気遣いにも感謝し、今ある目の前の仕事に集中するしか今日の予定の恨みは晴らせない。元気にやっていくしかない。


「どうも、カベポスターですお願いしまーす」


お客さんは満員で、温かい拍手で僕たちを出迎えてくれた。
所々で黄色い歓声が聞こえてくることもあって、ぐるりと一周客席を見渡してみた。


「確かにお前の言う通り……」


ネタを飛ばしたわけではなかった。
こんなに大勢のお客さんの中、目の悪い僕が目ざとく見つけてしまうもの、それは今僕がいちばん会いたい人だった。
浜田に背中を叩かれネタを継続したものの僕は彼女の視線しか感じることはできず、心なしが挙動不審になっている気がした。
ネタを終えて袖にはけてすぐに、浜田に「どないしてん」と心配された。
僕はすぐにあの人が本物の名字さんだったのか確かめたくて、スマホを確認したが何の通知も来ていなかった。


「気のせいやったんかな……」


あまりに名字さんのことを思いすぎて、幻覚でも見たのだろうか。なんだか頭がボーっとして、風に当たりに外へ出た。
家族連れ、カップル、学生の団体、みんな自分達が楽しむことに集中していて、案外誰も僕のことを気にしていない。
自販機でミネラルウォーターを買って頭と喉を潤していると、ポケットの中でスマホが震えた。
画面には名字さんの名前。胸が疼いてしまったが彼女の声が聞けると思うと嬉しくて、電話を取った。


「はい、もしもし」
「永見さん、突然お電話すみません。お仕事中ですよね」
「大丈夫です。今ちょうど休憩に入ったところなんで」
「……そうですか」


彼女の声は、心なしか元気がない気がした。
騒がしい場所での電話が災いして声が聞き取りにくい。場所を移動するためにその場から離れようとすると、背後で子どもが転んだみたいで大きな泣き声が響いた。
同時に電話からも同じ泣き声が聞こえて、思わず振り返る。
その先にはスマホを耳に当てた名字さんがいて、あれだけ騒がしかった昼下がりの景色に音がなくなっていくのがはっきり分かった。






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