彼女との道が断たれて2ヶ月が経った。
あんなに完璧な拒絶を受けてしまったら、連絡しろと言われても無理がある。
もちろん彼女からの連絡はなく、僕はただ仕事を機械的にこなす人間と化していた。


「なんか、永見にとっては嫌なこと言うてまうけど」
「うん」
「その人、めっちゃ常識人な気ぃするわ」


あまりに状態がおかしかった僕を見かねて浜田が何度も問い詰めてきた結果、僕は相方を前に自分の今の気持ちと彼女のことをげろげろと吐いてしまった。
それを聞いた浜田は肯定も否定もすることなく、ただ受け止めるだけの相槌を要所要所で打ってくれた。


「芸人してて思うんがさ、盲目的なファンて多いやん。ありがたいねんけど、あまりに盲目すぎてたまに怖なんねん。この子ら、俺らがもしとんでもない犯罪犯しても俺らのこと守ろうとすんねやろなって」
「ああ……」
「誰かのせいにしてその誰かが悪く言われたり、時期のせいにしたり、とにかく俺らは悪くないみたいなことになりそうで、やっぱこの業界って特殊やなって肌で感じんねん」


社会人経験のある浜田が順を追って説明する。
確かにこの世界に身を置いている以上、その違和感を無視することは難しかった。
ファンの層も若い子たちが多くて、自分の調子が悪い時はライブで上がる黄色い歓声にも辟易することがたまにあったからだ。


「俺らは慣れすぎたんや。その子が言うことは、ぐうの音も出えへんほどの正論やと思う。芸人と付き合いたい人たちがごまんとおる中、その子は芸人としての永見を切り捨てたんやで」


嘘つかんとほんまのこと言うてたら、違った形になってたかもな。
浜田の言った正論が、僕の急所を切り裂いた。
そんな息も絶え絶えの僕だったが、今ある一縷の望みに縋るべく仕事終わりにある場所へ向かった。





「あ、いらっしゃい永見くん。……あれ、名前は?」


レセプションパーティーが開かれた時とはまた雰囲気が違い、ゆるやかな賑わいが店内を包んでいた。
彼女の名前を僕に聞くということは、彼は何も知らされていないのだろう。


「何も聞いてない?」
「うん、何も…… あいつ、なんか酷いこと言うたんとちゃう?」


僕は今までの経緯を名字さんの友人である瀬戸くんに話した。
僕よりは彼女のことを知っているから、この関係を打破するヒントをもらえるかもしれない。そんな不純な気持ちで、彼女と初めて出会ったこの店にやって来たのだ。
客がまばらになってきた頃、僕と瀬戸くんは酒を交わしながらいろんなことを話した。
不意に、彼が核心めいたことを口走った。


「永見くんが悪いんとちゃうよ」
「僕が悪いよ」
「いや、ちゃうねん。ついでに言うと、芸人が悪いわけでもない」
「どういうこと?」
「永見くん、これは俺の勘ねんけど、名前は永見くんのこと他の男とは違う視線で見てたと思うで」


気がつけば店には彼と僕しかおらず、キャンドルの炎も僕がいるテーブルでしか揺れていなかった。
外に出している看板を店内にしまい、クローズドの札を下げた瀬戸くんは、明るい声で僕に尋ねた。


「次、いつ空いてんの?」
「夜なら、17か26かな」
「うんうん、じゃあ17日の19時とかどう?」
「うん、大丈夫やで」
「じゃあ、その日に来てくれる?」


新作メニューの味見してほしいねん。
人懐っこい彼の笑顔は、誰かと代替できない魅力を持っている。
名字さんと瀬戸くんが長く友人関係ということが信じられないようで、だけどしっくりくるような、何とも言い難い2人の深い関係性に僕の胸中は穏やかとは言えなかった。
しかし、今日は久しぶりに深い睡眠になりそうな気がした。






「ビール」
「知っとる」


ここでお酒を飲むのは、レセプションパーティー以来だった。
大学時代の友人の瀬戸は、私がオーダーする前にビールジョッキを目の前にどん、と置いた。


「うま」
「俺も飲んでい?」
「いーよ」
「やったあ、いただきまーす」


彼と長年友人関係を続けていられるのはこの純真無垢な人懐っこさと、男性では貴重な細やかな気遣いがあるおかげだ。
お互いに息をついて、瀬戸が何やら話がしたくてうずうずしているようだった。


「何?」
「永見くん」
「、」
「と、何があったん?」
「何あんた、もう情報掴んでるわけ?」
「すごい?」
「褒めてないから。何を言われたん」
「……なあ名前」


かわいらしいカラーリングのタパスが目の前に置かれ、置いた本人がいちばんに口に放り込む。
10年以上も友達をやってきたのだから、私がどうしてきて、これからどうするのか、いちいち説明しなくても彼は分かっているだろう。


「永見くんは、名前が思ってるほど悪い人とちゃうで」
「分かれへんやん、そんなん」
「俺の勘が当たるんは、お前がいっちゃん知ってるはずや」
「……そうかもやけど」


お酒にも食事にも手をつける気分ではなかった。
初めて会ったあの時、瀬戸も私もたぶん同じことを考えていた。「この人は、今まで出会った男性と何か違う」と。
それがただの思い違いだったなんてよくある話だし、そんなことでいちいちメソメソしていられない。
だけど、この人がお節介を焼くためだけに私を個別で呼んだとも思えない。


「17日の仕事終わり、予定ある?」
「ないよ」
「じゃあその日、ここに来て。18時半までに」
「なにすんの?」
「新作メニューの味見してほしいから、かわいい服で来て」


こういうのって雰囲気が大事やから、と私の2杯目の白ワインにボリジの花を浮かべた。
花の色が変わっていく様と私の気持ちを重ねてみたが、いまいちピンと来なかった。






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