君の手は白魚じゃない


「依」
目の前の先輩からふと声をかけられる。顔を上げれば、端正な顔、深く綺麗な紫色の瞳がこちらを見つめていた。
「ねえ、それ」
「はい?」
「手」
ボールペンを置いて自分の手を見てみる。いつも通り、かなぁ?と思いながら見ていると「ごめん」と一言断りを入れられて触られた。
「……これ、薔薇の手入れ?」
「んぅ?……あ〜、もしかしてこの切り傷ですかあ?」
うっすらと赤く入っている線。昨日、両親から頼まれて薔薇さんの手入れをしていた。おそらくその時に着いた傷だろう。しかしそれは私にとって日常茶飯事で、いちいち気にすることもなかった。
「まったく……依も女の子なんだから」
りな先輩はポケットから可愛らしい薄紫のチューブを取り出す。パッケージから見てハンドクリーム。キャップ式のそれをきゅぽ、と彼女が開ければふんわりと花の香りが広がった。
「わ、良い匂いですねえ」
「まあ、一応こう言うのにも気を使わなきゃね」
そうしてゆっくりと塗り込んでくれる。香るのは上品で、でも甘くて控えめな花の匂い。ああ、りな先輩にぴったりだなあと思いながらその手を甘受する。そういえばりな先輩の手のひらはすべすべで細長くてとっても綺麗だ。きっとこまめにお手入れをしているんだろうなあ、と先輩の努力が少しだけ垣間見えて嬉しくなる。くすくすと笑えば目の前の先輩は少し不機嫌そうに「なに」と私の方を見た。
「いいえ〜?りな先輩、おててが綺麗だなあって」
「そう?ありがと」
はい、もういいよ。と手が離される。自分の手を握れば良い匂いがして、また口角が上がる。
「えへへ、ありがとおございます」
「んーん。依も綺麗な手をしてるんだから、もう少し気にかけなよ」
「んふ、はぁい」




「……依さん、今日は香水をつけていらっしゃるんですか?」
「んえ!?つ、つけてないよぉ……?」
つかさくんから急にそんなことを言われて、首をかしげる。しかしすぐに心当たりを思い出して両手を少し擦り合わせた。
「あ〜……今日、りな先輩にハンドクリーム塗ってもらったんだあ。その匂い、かも」
すんすんと手の匂いを嗅げば、だいぶ薄くなっているものの十分良い匂いがする。つかさくんは意外と鼻が良いみたいだ。……とか言ったらなんだか不機嫌になりそうだから言うのはやめておこう。
そう伝えれば、つかさくんは納得したかのように頷く。
「hand cream……なるほど。hand creamを携帯しているとは、流石は綾瀬先輩ですね」
「……もしかしてえ、つかさくんはこの匂い嫌いだったぁ?」
反射的に両手を後ろに回す。これでも鼻はいい方で、そんなにきつい匂いでもないな、とは思っていたものの人には好みというものがある。しかしそんな心配は杞憂だったかのように彼は口を開いた。
「いえ、そんなことはありません。司は好きな匂いです」
そうふわりと微笑まれて、ふぅん、と相槌を打つことしかできなかった。手を口元に当てて、また無意識に手の匂いを嗅ぐ。控えめで甘くて上品な花の香り。確かに、言われてみればつかさくんが好きそうな香りだ。
数時間前よりも肌触りが良くなった手を擦る。つかさくん、この匂い好きなんだ。口の中でまた相槌の言葉を転がす。
「依もおててのケアちゃんとしようかなぁ」
「?……そう、ですね。依さんは手に傷をつけることも多いですし、hand creamは持っていて損はないと思いますよ」
「んふふ、鈍感だねえ」
「はい?」
急に貶されたと思ったのか、可愛らしい顔を歪める司くん。わかってないなあと思いながらも、本心かどうかもわからない言葉をこぼした。
「司くんがすきって、ゆ〜から」
でも、それが本心かどうかなんて知らなくていいよ。