未完
視覚。情報の8割は目から入っているという話をご存知だろうか。 考えてみれば当たり前の話で、私が普段読んでいる本であったり見ている動画であったり景色であったり人の顔であったり、それら情報全ては目から入ってきている。 だから、目を隠すということは人間の行動を制御するのに打ってつけなんじゃないか、と私は思うわけである。まあ人間の行動を制限するにあたって聴覚を防げば背後の気配に気づきにくくなるし、嗅覚を塞げば匂いで危険を察知することもできない。しかし、目は比じゃない。 目の前に人がいても、その人間が音を立てなければ私は存在を察知できない。声を発さなければ意思疎通ができない。生きているか死んでいるか、わからない。 私はいま、暗い部屋の中にいた。いや、暗いのは目隠しをされているからである。ベッドの上で、両手を拘束されて。 そう。違うことなき、誘拐である。 普通に仕事帰りで帰ろうとしたところを、頭をガツンと一発。起きて数分たった今、頭はぐらぐらしたままである。 両手が拘束されたまま体に触れる。服は着ている。目元には案の定布のようなものが巻かれていて、あたりの様子が全くもってわからなかった。 「…おわった」 呟く。混乱の最中何処か客観的に自分を見ていて、こんな時、なぜか思い出すのは駅前の指名手配書だった。いつもの帰り道にいつも変わらずそこにある、会ったことのない人たちの写真と罪状。それは強盗、殺人、そして誘拐。いまだ捕まらないその人たちは、もしかしたら私とすれ違った人の中にいるのかもしれない。それを何処か他人事のように考えて、いつも通り近道の暗い路地裏を使って、この様である。あれほど友人から暗い路地は使うなと言われていたのに。人間、見られていないとついやってしまうものである。 なんとなく終わりを悟ってしまった。私、殺されるんだろうか。死ぬんだろうか。手を使わずになんとか体を起こしたはいいけれど、ぽすりと前に倒れ込む。あ、このシーツいい香りがする。私の好きな匂い、だ。 そこまで思考をしていると、突然、ノックもされず、扉が開く音が聞こえた。あからさまにびくりと肩を震わす。目の前はいまだに真っ暗で、私が認知できることは少ない。視覚が遮断されて聴覚が敏感になっているのか、キィィ、というドアの開いた音の余韻が聞こえる程度である。 そのまま、ぺた、ぺた、と歩く音。素足とフローリングだと直感的に思った。つまりここは、誰かの家なのか。と、どこか呑気に考える。 ぺた、ぺた、という足音は、近づいてきて、恐らく私が座っている、ベッドの目の前で止まった、と思われる。どこにいるかわからなくて、それがまた私の恐怖を煽った。 何秒たったか、何分たったか。喉を鳴らす音が聞こえて、一瞬体を硬らせ、すぐに自分が発した音だと気づく。 私はこの無音の恐怖に耐えられなかった。 「あ、あの」 声を出す。どこにいるかわからないけれど、声を張れるわけもなく。二文字音にするのも精一杯で。 それでも、キシ、とベッドのパイプが歪む音が聞こえて、思わず後退りをした。 いまだ、私の目の前にいる人は無音、無言である。それが怖くて怖くて、また足を使って後ろへと後退をしていく。 「落ちますよ」 急な、男性の、声。思わず動きを止める。背中を向けるのは怖かったけれど、何も手出しをしないから、少しだけ油断をしていた。くるりと方向転換をする。足を伸ばしてみれば、そこに柔らかなものはなく、あるのは空だった。 そのまま足を床があるであろう方に伸ばす。恐る恐る、ちょん、と、足が床についた。 そこまで行動をして、私の体は一気に後ろへと傾く。 背中に柔らかなシーツの感触を感じる。肩に置かれた手は、違うことなき、男性の手。 瞬間、ぶわりと汗が流れる。脈拍がやばいくらいに上がって、呼吸が浅くなる。肩に置かれた手は一瞬離れたかと思うとまた私に触れる。優しい手つきで、私を抱えて、恐らくベッドの中心あたりに移動をさせた。 「…ゃ、や」 弱々しい抵抗。硬く紐で拘束された両手を押し出すだけの、赤ちゃんみたいな抵抗。その押し出した両手に相手の、男性の手が触れて、また嫌な汗が背中を伝った。 手の甲をなぞられる。掌をふにふにと触れられる。両手を、包み込まれる。触れている手自体に害意はなく、というか、全然、すべすべな手だ。いつもハンドクリームを塗っている可愛い女の子の手の触感と若干似ていた。手は私の手を堪能しつつ、まるで恋人つなぎのように手を絡ませ合う。大きな男の人の手。ふしくれだっている、男性の手。少し細めで、もしかしたら本人は痩せ型の体系なのかもしれない。 「むぎさん」 そこまで考えていると、不意に声をかけられる。嫌な汗は出なかったけれど、緊張で体が固まった。 「因幡、むぎさん」 「…、は、ぃ」 男性の、声。若い男性の声だ。恐らく、私と同年代…20代、くらいの。 … 「返事、しちゃうんですね」 「ぇ、…よ、よんだ、のに」 「ええ、はい。呼びました。むぎさん」 繋がれている手に力が篭る。少しだけ怖くなって体を引くが、特に意味はなかった。 「ずっと、…ずっと、触れたかったんです。 怖いこととか、痛いことはしませんよ。だから、安心してください。ね?」 少しだけ訛った、優しい口調。その喋り方に少しだけ…ぐらりと頭が痛くなった。誘拐され、なお監禁されているのに、何を聞かされているんだろう、私は。どうして、目の前の人間はそんなことが言えるのだろう。されてきた行動と口調のギャップになんだかぐらぐらと頭が揺らされている気分だ。