一体全体、何がどうしてこうなったのだろうか。
「おれ、名前といっしょにいる」
「……んっ?」
見た目はいつも通り、しかしながら口があまり回ってない。一人称が「私」から「おれ」になって、いつもの敬語が全くと言っていいほど今の彼からは見えない。
試しに「……エミさん?」と私の肩にぐりぐりと頭を押し付ける彼氏の名前を呼べば、「名前〜〜……」と、か細い声がくぐもって聞こえた。
こうなってしまった発端はなんだろうか?私はいつも通り書庫にてくられ先生から頼まれた本を探していた途中で。その時、エミさんが唐突に書庫の扉を開けてきて、勢いよく私に飛びついてきたのだ。
「……エミさん、重いよ」
「んんん、ん〜ん〜…」
ぐりぐり、ぎゅうぎゅう。
このままじゃあ動けもしない。だけれど、彼は何故こうなったのだろうか。予想はついているけれど。
「あ、いたいた」
「……くられ先生。これ、先生のせいですよね」
入口の方から小走りで駆けてきた私の上司、くられ先生。毎度お馴染みの狐面が輝いている。そんな先生は白衣をはためかせながら、私の元へやってきた。
「いや〜、ごめんごめん。鬱くんにお薬の整理頼んだんだけどねえ」
「まず人選がおかしい」
なんでも、とある失敗作を棚にしまうよう大先生に頼んだところ、その失敗作が女の子から貰った角砂糖と似ており間違えて、元々角砂糖をエミさんにあげる予定だったのでエミさんの手に渡り、エミさんがコーヒーに角砂糖を入れて飲んでしまいこうなったんだとか。
……なんというスイッチピタゴラ。
「その失敗作って……」
「この間言ってた幼児化のお薬」
「……デスヨネエ」
ぐりぐりと頭を押し付けるエミさんを程々に宥めながら思い出す。
確か、作っていたのは精神はそのまま体を縮ませるタイプのもの。
失敗作は体はそのまま精神が幼児化するというものであった。
「でもこれ、エミさん私のこと覚えてますよね?なんでですか?」
「ん〜〜、多分記憶の混濁じゃないかな?自分のことはわからなかったけど、迷うことなく君のところに来たっていうことは、完全に精神が幼児化しているわけじゃなさそう」
ぎゅうぎゅうと、離れる様子のないエミさんの周りを先生はくるりと一周した後、なんでもない様子で「どうしよっか?」と首を傾げた。
いやいやいや、と、私は手を横に振る。
「どうしよっか、じゃないですよ。元に戻してください」
「え?マジで?」
くられ先生は意外そうに首をまた反対側に傾げる。いやそりゃあそうに決まってるでしょうが。
「マジです。こんなのエミさんが正気に戻ったとき、彼がなんて言うかわからないじゃないですか」
彼が正気に戻ったら、まず何をするかと言ったら土下座だろう。彼はそう言う人間だ。付き合って何だかんだ三年も経ってるし、片思いを含めて仕舞えば五年の付き合いだ。
彼はきっと羞恥を晒し加え迷惑をかけたと、赤面しながらもその顔を見せずに深々と頭を下げる。私は別に大丈夫だと言っても聞こえないように謝罪をし続ける。そんな悪循環しか生まれないのがオチだ。
「いゃあ、でも君ら、」
またくられ先生が口を開き、何かを言おうとする。いや、言おうとした。
「名前」
「お、…む、?」
ぐい、とおもむろに頭を掴まれ後ろに向けられる。その行動自体は乱暴ではなく優しかった。
そんな中の唇の感触。それは彼に告白された時のことを彷彿とさせる。
キスをされた。
しかし、それは決して深いとか、気持ちいいとかじゃなくて、ただただ押し付けるだけのキス。
唖然と、ぽかんと阿呆な顔をしてれば、男性のくせに柔らかな唇が離れて、じわりと、言い切れない感情と共に涙を滲ませるエミさんが、潤んだ唇を開く。
「せんせいせんせいって、かれしよりせんせいのがだいじなんか、あほ」
「、ほ、ぁ…?」
「おれかて、名前とずっといっしょにいたいもん。ずっとそばで、ぎゅうてしてたい。なんでそないにさいこまっどさいえんていすとのことみてん。
おれが、かれしやろ」
彼はそう言って、いや、そう言った後、ぽす、と肩に頭を乗せる。……微動だにしない。
恐る恐る顔を覗けば、すやりこと寝ていた。
「………………」
「……わあお。じゃあ、自分戻るから、今日お休みでいいよ」
「……あ、ざーす」
一体、どうしろと。