いつもなら騒がしいはずの船内が今日はやけに静かだ。
そんなことを思いながら船員共同の洗面台の鏡の前で寝癖を直す。
さて今日の予定は何だったか、何かの当番だっただろうかと思考を巡らせたジャンヌは溢れそうな欠伸を噛み殺しぐっと伸びをした。
自室にも洗面台とシャワーが欲しいと思ったことがあったが、ベッドを置いただけで扉が途中までしか開かなくなった狭い自室にスペースの余裕がある訳もなく早々に諦めた。
クローゼットの扉などベッドの木枠にぶつかり3分の1も開かないから部屋を与えられたその日にぶち抜いた。
随分開放的なクローゼットになってしまったが使えるようになっただけマシかと思い未だに扉はぶち抜いたままである。あとでロールカーテンでも付けようか、次の島で売っているだろうか、狭い船内の狭い狭い自室をいかに快適に過ごすかそんなことを考えるのもジャンヌにとっては楽しみの一つであったりする、実行するかは別として。
肩に軽くかかるさらさらの灰色味かかった白髪は真っ直ぐになり先程の寝癖はキレイに消え失せた。満足そうに口角を緩く上げたジャンヌは申し訳程度に置かれた一つしかない丸椅子に置いておいた自身のジャケットを取ると指に引っ掛け肩に担ぐようにぶら下げた。
今日は気分が良いわ、鼻歌でも歌ってしまおうかそんなことを思いつつそんなキャラじゃなかったと思い出す。いつもは重い足取りも気分が良いせいか、ステップでも踏むのではないかというくらい軽く軽快である。
今日の朝食は何かしら、だし巻き卵がいいわね、でもヒジキも捨てがたい、船長がパン絶対反対派のせいかこの船は和食が中心だ。別に彼女自身パンは嫌いではないがすっかり米に慣れてしまい今ではあまり好んでパンを食べることも少なくなった。
今日の朝食のメニューに想いを馳せながら食堂の扉を軽快に開いた。
「…前言撤回よ、気分が良いなんて嘘。」
一つのテーブルを囲うように集まる船員たちの表情からは困惑と驚愕と絶望の入り混じった感情が窺える。
食堂の扉を開けた音で反応した船員たちは入ってきたジャンヌに疑惑の視線を向ける。
なんなのだこの視線は、眉間に皺を寄せたジャンヌはブーツのヒールを鳴らしてつかつかとテーブルに近付く。
「怪しいと思ってたんだ…ここんとこすごい船長と仲良さげだったし。」
「は?なんのことよクリオネ…」
「ジャンヌと船長がそんな仲だったなんて…」
「どんな仲よウニ。」
どんよりとした空気、疑いの視線、覚えのないことを言われ状況が全く掴めない。良かった気分も急降下だ。
状況を掴もうと船員たちの表情に視線を巡らせているとテーブルの前に置かれたイスに座っていたキャスケット帽子がおずおずと手を挙げた。
「ジャンヌ…とりあえず、代わってくれないか?俺、そろそろ腕が…」
「………何を?」
キャスケット帽子を被ったシャチの腕に抱かれた白いタオルに包まれた塊。
すやすやと効果音が聞こえてきそうな程よく眠った…
「赤ん坊?」
「ちょ、ジャンヌもうパスパス!」
「はぁ!?」
シャチに押し付けられた赤ん坊を反射的に受け取ってしまったジャンヌはすやすやと眠る赤ん坊に視線を落とす。
「………船長の子?」
「ジャンヌと船長の子だろ、今更隠すなよ。」
「何の冗談よ、そんな訳ないでしょ。どこの娼婦と起こした事故よ、親権の押し付け合いで負けた訳?」
クリオネの言葉を即座に否定したジャンヌはこの船を取り仕切る男、トラファルガー・ローの顔にそっくりすぎる赤ん坊のぷっくりとした柔らかな頬をつんつんと指先でつついた。
見れば見る程そっくりである。髭と隈をつけたら本人といっても過言ではない。
「ていうか私を疑う前に、本人に確認したわけ?確認もせずにこんなところであーだこーだ議論してるなんてナンセンスだと思わない?」
ジャンヌはそういうと腕の中の赤ん坊にニヤリと笑いかけながら、あなたをこんなとこに放置して酷いパパねと話しかけた。自分そっくりの赤ん坊の顔を見て嫌悪感に顔を歪める我が船長の顔を浮かべると気分も少しばかり良くなる。
テーブルの前のイスからシャチをどかすとそこにゆったりと腰を下ろしたジャンヌは短いワンピースの裾を気にもせず優雅に足を組んだ。
赤ん坊は嫌いではない、生意気な言葉を喋る子どもより幾分も可愛いと思える。
「ベポはどこ?早くお寝坊な船長様を起こしに行かせなさいよ。」
「ベポは確か今日見張りだった気がする。」
「だったらほら早く行く!」
シッシッと手を払うように振ると船員たちは慌てて甲板へ駆け出す。早く行けとは言ったが、大勢で行けとは一言も言っていないのにほとんどの船員が甲板へ行ってしまった。
「ほんとに、見れば見るほどそっくりだな。」
「全くだわ。こんなに船長にそっくりでこの子が可哀想だわ…そう思わないペンギン?」
「いや、絶対将来モテるだろ。羨ましい限りだ。」
赤ん坊にしては随分とふさふさな髪は触るととても柔らかい。ペンギンは赤ん坊のまあるい頭を優しく撫でる。分かってないわねと溜め息を吐いてジャンヌはペンギンをじとりと見遣る。
「モテたらどうなると思う?日頃の船長をよく思い出してみなさい。」
「んー…酒場に行けばいつでもハーレムだな!街を歩けばナンパの嵐!」
「私にはヤリ○ンになる未来しか見えないわ。」
日頃のローの行動を思いかえしながらジャンヌは将来この子はきっと○病になるだろう、かわいそうに…歩く性○と呼ばれるんだと痛みもしない胸を痛めているフリをした。
実際他人の人生なんて興味もないし干渉したところで自分に利益どころか不利益を被るのは十二分に理解している。面白おかしく眺めているくらいが丁度いい。
そうこう考えているうちに食堂の扉が勢いよく開く。
「ジャンヌ!キャプテン連れてきたよ!!」
デカい白熊の背中に背負われたいい年した男は不機嫌そうに眉間に皺を寄せ頑として目を開けようとしない。
絶対に起きないといわんばかりに目を閉じたまま舌打ちを繰り返す。
「起きなさいよ寝坊助。」
「……………チッ………」
「目を開けて、現実を見なさいな。…ねぇパパ?」
「………パパ?」
その言葉に先ほどまで頑なに開けようとしなかった瞼をゆっくりと上げるとベポの背中からジャンヌの様子を窺うように見遣る。その双眸は寝起きといえども鋭く突き刺すようにジャンヌを見つめる。
「お前…いつ産んだんだ。医者である俺の目を誤魔化すなんて………なかなかやるな。」
「なんでよ!産んでねーわ!どう見てもあんたの子でしょ!!この濃すぎる遺伝子はあんたの子でしょ!!」
「………いや、俺はお前とS○Xした覚えはねぇな……いや、まさかあん時か?」
「ちょっと!!虚偽のフラグを立てるな!!産んでねーって言ってんでしょ!」
ベポの背中からひょいと降りたローはボリボリと割れた筋肉質な腹を掻き欠伸をしながらイスに座るジャンヌに近付く。
白いタオルに包まれた赤ん坊を覗き込む。
「…あんまり俺に似てねーな。」
『いやいやそっくりだよ』
片眉をあげて寝ぼけたことを抜かすローに船員全員が声を揃えて突っこむ。
そんな周りの反応に首を傾げ怪訝な顔で再度赤ん坊の顔をジッと見つめる。穏やかに眠る赤ん坊を見つめる顔があまりに凶悪過ぎて赤ん坊が眠っていてよかったと思いながらジャンヌは冷めた目でローを見つめた。
「…仮に俺の子だとして、それがなんで船にいるんだよ。この船に女はジャンヌしかいねぇぞ。俺はお前とガキができるようなことした覚えはねぇ。…ヤらせてくれんのか?」
「だから産んでねーわ!そしてヤらないから!」
「なんだよ、朝っぱらから誘うような恰好してる癖しやがって。ちょっとだけ触らせろよ。」
「死ね。」
寝起きのまま連れてこられたためか上半身に何も身に着けていないローはグッとジャンヌに身体を寄せて赤ん坊なんて忘れたかのように息をするようにセクハラを働く。
赤ん坊を抱いているから派手に抵抗したりしないだろうと踏んだローは舐めるようにVネックのワンピースから覗く谷間に視線を落とす。
首元を飾るシンプルなシルバーのネックレスが彼女の魅力をより一層引き立てる。
ニヤリと笑みを浮かべたローは舌舐めずりしてスルリとその細い首筋を撫でる。
ゆっくりとその手を下へ下へと移動させながらスカートの裾から覗く白く細い太ももに触れようともう片方の手を伸ばす。
「…そそるな゛ぁ゛っ!!!!」
首筋から移動させた手は柔らかな膨らみに触れることなく、太ももに触れようと伸ばした手はあと少しのところでローの身に降り掛かった容赦のない一撃で空を彷徨った。
「馬鹿やってないでなんとかなさい。まさしく自分で蒔いた“種”なんだから。」
黒いブーツに包まれた細い足で目の前のローの股間を蹴り上げたジャンヌは呆れた顔で溜息を吐いた。
それは反則だ、とポツリと溢した船員たちは皆一様に股間を押さえている。
された本人は相当堪えたのか股間を両手で押さえて無様に跪き俯いて肩を震わせる。
騒がしすぎたのか、はたまた別の理由か、腕に抱かれた赤ん坊がもぞもぞと身動ぐと閉ざされていたアイスグレーの双眸がゆっくりと数度瞬きをする。
「うわっ……可愛くなっ!」
あまりの目つきの悪さに反射的に口をついた言葉に意味が分かっているのかいないのか赤ん坊は眠た気にゆっくりと瞬きを繰り返す。
口をむぐむぐと動かし小さな体でぐーっと伸びをした赤ん坊は一つ欠伸をしてからふっと我にかえったかのようにそのけたたましい声を上げる。
「ぎゃあーーー!」
聞き慣れないせいか、それともこの赤ん坊の泣き声がパワフル過ぎるのかさっきまで股間を押さえ悶えていたローですら両手で耳を塞いでいた。
赤ん坊を抱いているせいで耳を塞げないジャンヌは顔を顰めて赤ん坊を出来る限り遠ざけようと身体を反らす。
「う、うるさっ!なんなの!?おむつ!?」
「腹減ったのかも!!!こ、声デカ過ぎ!!」
シャチが両手で耳を塞ぎながら答えるとジャンヌは泣き喚く赤ん坊の口に人差し指を突っ込んだ。
するとピタリと止んだ泣き声の代わりに聞こえてきたのは口に入った指を一心不乱に吸う吸啜音。
「と…止まった?」
「気休めよ、これがおっぱいじゃないとバレたら今度はさっきよりもデカい声で泣き出すわ。」
苦い顔をしたジャンヌはこの船にあるわけないミルクをどうにかして、最速で準備しなければと頭を悩ませた。
「よしジャンヌ、お前母乳出せ。」
「黙れ変態、無理に決まってんでしょ。」
「安心しろ、俺は医者だぞ。それにオペオペの実の能力があれば不可能はねぇよ。……多分な。」
「1ミリも安心できないし、そんな言葉トラファルガー・ローの口から聞きたくなかった…」
「なんだよ急に、名前で。お前もトラファルガーになりてぇのか?…幸せにする。」
なりたくないし幸せにしてくれなくていいから、そう言うと目の前で跪いたまま気持ちの悪い笑みを浮かべて今にもクラウチングスタートばりのダイブを決めてきそうなローの顔面をブーツの底で踏みつけた。
ー彼は平常運転でー
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