恋人の距離感−1
●秋、仮免試験後くらい
応利はあくびを我慢もせずに風呂の脱衣場を出て廊下を歩いていた。過ごしやすい気候になり、仮免試験を巡る心理的ストレスもなくなり、何かと眠い時期なのだ。
手で隠すことすらしなかったので、すれ違った上鳴に「ぶっさ、イケメンが台無しだぞー」と言われた。本当は大放電後のお前ほどじゃないくらいは言ってやりたかったが、眠気のあまりそれすら億劫で、無言で中指を立てて返してやった。
後ろで何か騒ぐが無視だ。
あ、無理だこれ眠すぎる、とエレベーターに乗ることすら諦めようと考えていると、ちょうど廊下を終えて共有スペースに入ったところでいいものを見つけた。
それは、共有スペースのソファーで横になる恋人である。
応利の恋人である爆豪勝己は、A組でもトップクラスの実力を持っているが、この前仮免に落ちた。今はその補修期間中である。
2人が付き合っていることは実は内緒になっていて、親しい切島や上鳴ですら知らない。別に勝己は気にしていないと言っていたが、言いふらすことでもないだろうと応利は言って誰にも言っていないままなのだ。
と言いつつ、本当は単純に恥ずかしいから言いたくないだけである。それくらいお見通しの勝己は「そーかよ」と呆れたように言っていた。
だから、普段なら絶対にソファーに仰向けになって雑誌を読んでいる勝己に近づくようなことはしない。いくら珍しく自室におらず共有スペースにいると言っても、適当に絡んで終わりだっただろう。
繰り返すが今、応利は極度に眠かった。正常な思考回路ではなかったのである。
「…勝己〜…」
「あ?」
不良よろしくこちらを見上げる勝己は、どことなく面白そうな色を目に浮かべていたのだが、まったく気づけなった。それが最後のチャンスだったのだ。
「くっそねむい」
「知るか寝ろ」
「んー…」
返事もままならず、応利はソファーの勝己の足元に座る。スリッパを脱いで素足だった。座ってしまうと上質なソファーの柔らかさに瞼が落ちそうになる。
体の姿勢を保つことも難しく、ゆらゆらと揺れているのが分かった。テレビを前にしたこのソファースペースに誰もいないのは珍しい。
近くにある勝己の足は三角に立てられていて、応利の腕に勝己の足から体温がうっすらと伝わる。そんな気がするだけかもしれないが、熱源が近くにあるとそれを求めてしまうほどの眠気だった。
もう一度言う。本当に眠かったのだ。
そうでなければ、勝己の温かさに誘われて、その体の上に掛け布団のように倒れ込むようなことはしなかった。
「ぐ…てめぇ、なに人様の上に乗ってやがる」
「あったけ〜、むり、まじねむい」
座っていた位置からうつ伏せになるようにして勝己の体に乗っかっているため、応利の頭の位置は勝己の分厚い胸板の上になる。心音のビート、勝己のちょっと高めの体温、ニトロ混じりの甘い匂い、何より最も安心する恋人の上ということで、もう寝ないでいることなど青山に鏡を見るなと言うようなものだ。つまり不可能だ。
「おい、寝るなら部屋行け」
「…それは……むり……」
「…ちっ、俺は忠告したぞ、どうなっても知らねぇからな」
「んー…」
低い声は呆れているが、いつも一緒にいる応利にしか分からない優しさも含んでいるのが分かった。しかも、勝己の手があやすように応利の背中を撫でている。
そうして応利はついに抗っていた睡魔に身をゆだねた。
1時間後、風呂を出た上鳴や切島、さらに談話にきた女子たちがこの光景を見て騒ぎ立てる声で目を覚まし、しっかりと芦戸が写真を撮ってA組のメッセージアプリのグループに投稿して共有し、勝己に「だから言ったんだアホ」とニヤリとしながら言われたことで応利の意識は完全に覚醒。
今すぐ個性で自死を図ると言って(応利の個性は圧力と応力を操るものである。この場合、内側から圧力をかけて体を爆発四散させるつもりだった)騒ぎになったが、勝己に「俺の見てる前でお前を死なすわけねぇだろ殺すぞ」と言われて赤面、ついでに2人の関係もA組に素早くシェアされる運びとなったのだった。