運命だから諦めて
会社の廊下を突き進むガラの悪い男に、周囲の社員は一様に短い悲鳴を上げて顔を逸らした。反対に、僕は男を見るや否や爆笑する。彼の腕の中には4歳かそこらの女の子がすっぽりと収っていて、男の顎の傷を小さな手でぺちぺちと触ったり、金色の長い髪の毛をわしづかんだり。やりたい放題だ。
「神々廻、どうしたのその子〜?認知でも迫られた〜?」
「殺すぞ」
「小さい子の前でそんな物騒なこと言わないでよ〜」
ちょっとした冗談に凄まれて、僕は肩を竦める。
腕の中の女の子は神々廻の暴言に敏感に反応したりはせず、不思議そうにこちらを向くと、「ししば。ともだち?」マシュマロみたいな人差し指を向けてきた。「あー、せやな。南雲っちゅうねん」「なぐも」説明が面倒だからといって、「友達」だなんてどの口が言うんだか。肩が震えそうになるのを堪える。
「よろしくね」と人当たりのいい笑みを女の子へと向けてから、僕は再度神々廻に問いかけた。
「それで?本当はどうしたの、その子」
少しだけ声音が固くなったのは、女の子の服装がやけにボロくて素足も傷だらけだったからだ。べつに、殺し屋の世界じゃ珍しい話じゃない。耐毒性を高めるために幼い頃から色んな毒を飲まされたり、拷問に耐えられるように虐待紛いの訓練をさせられたり。神々廻の任務先で保護されたそういう家庭の子だとしたら納得はいくものの、正直気持ちの良いものではない。
まじまじと様子を観察して、ふと違和感を覚えた。違和感というよりも、既視感に近かったかもしれない。どこかで見たことがある気がしたのだ。目の形とか、鼻の位置とか、雰囲気含めて。なんとなく、覚えがある。
「もしかして、名前ちゃんの親戚?」
「惜しい」
「は?」
我ながらいい線をいったと思ったけれど、神々廻は即座に否定した。「惜しい」の言葉に眉を寄せる僕へ、彼は女の子を両脇から抱え、ちょっと疲れた顔でこちらに差し出す。
「名前さん本人やねん、これ」
「どうしたの神々廻、頭おかしくなっちゃった〜?」
「俺かてこんなこと信じたないわ……!」
うんうん唸りながらこちらに手を伸ばす女の子を受け取り、体全体をしっかりと抱える。さっきまで神々廻の顎の傷を触っていたその子は、今度は僕の首元のタトゥーを不思議そうになぞった。ちょっとだけ擽ったい。
「せやけど色々整理したらそれが一番しっくりきてん。多分今の名前さんと過去の名前さんが入れ替わっとる」
「ある種のタイムスリップ的な?にわかには信じられないな〜」
と言いつつも、神々廻の予想はかなり当たっている気もした。神々廻と名前ちゃんが任務に向かった先は、秘密裏にタイムトラベルなんかを研究していたラボだったと聞いている。そこの機械の爆発に巻き込まれた名前ちゃんはいなくなって、代わりにこの女の子がいた、と。顔も似ているし、名前も同じ。非現実的ではあるけれど、可能性としてはかなり高い。
一応の納得をした僕に、神々廻は「面倒見てくれる奴探しとんねん」と零した。
「え、そんなの僕が見るけど」
「めっちゃ食い気味やん。お前明日も仕事やろ」
「え〜、でもさ、こんなになっちゃった名前ちゃんを狙ってくる奴もいるかもしれないわけじゃん?そこらへんの殺し屋に任せるのは危ないよ〜」
「そらそうかもしれんけど……。ORDERで休みのやつおったっけ」
「うーん、いるにはいるけどさ〜……」
「誰やねん」
「京」
「あー……、そらアカンか……アカンな……」
「絶対駄目だよ〜、名前ちゃんのあんなシーンやそんなシーン撮られちゃったらどうするの」
「言い方」
呆れたように息を吐いた神々廻は、結局「ほんなら任せてもええ?」と言った。「もちろん〜」小さい名前ちゃんの頭を撫でながら、僕は頷く。ここ数日の任務は軽めだし、新人教育のある神々廻と比べると融通が効く。事情を話せば豹が仕事を代わってくれるだろうし。
何か情報を得たらお互いに連絡することを約束し、神々廻は任務の報告へと向かった。名前ちゃんはその背中を、瞬きひとつせずにじっと見つめる。肝が据わっているのか、随分と大人しいなと思いながら、「じゃあ僕らも帰ろっか」告げた言葉に、彼女は大きく頷いた。
・
子供用の靴に服に下着、ボディソープとシャンプー、歯ブラシにその他諸々。閉店間近のスーパーで買い込んだ思いつく限りの必要なものを左手に、物珍しそうに辺りを見渡す名前ちゃんを右腕に抱えて帰宅する。
「はい、とうちゃ〜く。って、うわ、何で暴れるの」
「おりる」
「え〜、自分で歩くの?」
傷のある裸足で歩かせるのは躊躇われたけれど、現在の名前ちゃんそっくりの頑固そうな目を向けられては諦めるしかなかった。不安そうに見つめる僕を気にもせず、彼女はぽてぽてと廊下を歩いていく。
「うーん。とりあえず、お風呂かなあ……」
煤や砂煙で汚れたと思しき髪や服を眺めて呟いたところでふと思う。このくらいの女の子って、お風呂ひとりで入れるものだっけ。無理じゃない?え、一緒に入るの?いくら小さいとはいえ相手は名前ちゃんだし、後々ぶっ飛ばされそうなんだけど。
どうするのが正解か悶々と悩んでいたら、「おふろはいる」と彼女は告げた。「一応聞くけど、ひとりで入れる?」「はいれる」「えっ」
微塵も不安を感じていない様子で即答され、思わず動揺する。強がっている、わけでもなさそうだ。こちらを見る彼女は、どうして驚かれたのか分からないというように不思議そうにしている。
本当に大丈夫かなと不安になりつつも、大急ぎでお風呂を沸かした。お湯の量は、いつもよりずっと少なめ。
「じゃあ僕ご飯作ってるけど、何かあったら絶対呼んでね。危ないことはしないでね。絶対だからね。服はここに置いとくから」
「?うん」
念を押して名前ちゃんを送り届けるも、やっぱり心配だ。冷蔵庫を確認して何を作ろうか考えるつもりが、気がついたら頭の中は名前ちゃんのことばかり。風呂場で滑ってないかなとか、浴槽で溺れてないかなとか。
けれどそんな僕の不安をよそに、名前ちゃんは早々にお風呂から出てきた。ほっとすると同時に早すぎない?とも思いつつ、まだ髪の濡れている彼女に「乾かすからおいで」と手招きをする。
「だいじょうぶ」
「だーめ。風邪ひいちゃうでしょ……って冷た!?」
ぽたりと落ちた水滴に触れて、思わず声が出た。どう考えても水なんだけど。
「え、ちょっと、ちゃんとお湯使った?体まで冷たいじゃん!」
腕とか首筋とか、触れた肌はやっぱり冷たい。慌てる僕に名前ちゃんはきょとんとすると、「あのね」とどこか平べったい声で言った。
「おゆ、つかっちゃだめなの」
「は?……あー……」
一瞬何を言われたのか分からなかったけれど、僕はすぐに理解する。
虐待だ。
親(本当に血が繋がっているかも怪しい)は訓練の一環だと言い張るかもしれないけれど、日常的に色んなことを制限、或いは強制されてきたに違いない。本当に、反吐が出る。
「なぐも?」
「うん。あのね、お湯、使っていいんだよ。ほら、入り直そう」
びっくりしたように目を丸くした名前ちゃんの腕を優しくひいて、今度は僕も風呂場へとついていく。服を脱がせたら、案の定いくつも擦り傷や青痣が露わになって、怒りが湧いた。
名前ちゃんはお湯どころかシャンプーもボディソープも使っていなかったようで、結局頭から洗い直しだ。
バスチェアに座らせて、小さな体にお湯をかける。びくりとその体が震えたので、僕はぎょっとして「ごめん、熱かった?それとも傷に沁みる?」「ううん。びっくりしただけ」ゆるゆると首を振って否定した彼女は、続けて「あったかい」と丸い声で言った。「でしょ〜」顔も知らない大人たちへの怒りは押し込めて、僕は明るい声で返す。
「ほら、髪も洗っちゃお」
もこもこと泡立ったシャンプーに、彼女はおもしろそうに声をあげた。傷が気がかりではあったけれど体も全部洗って、ちょっとぬるくなってしまったお風呂につかってもらって。「百数えてから出るんだよ」「いーち、にーい……」今度はしっかりと体を温めてから出てもらう。
浴槽から出て、その体がほかほかと湯気を纏っていた時は心底安堵した。「明日から入る時はこうやって入ってね」「うん」火照った顔を向けて、彼女は頷く。
濡れた髪をしっかり乾かし終えてから、作りかけの食事を完成させる。食事といっても、市販のミートソースパスタだ。僕はパスタをゆでただけ。
名前ちゃんはこれにも「あったかくておいしい」とちょっと感動したみたいに呟いた。「いっぱい食べてね〜」と返した僕の言葉通り、ソースまで綺麗に完食してくれる。
それから食器を洗って、歯磨きをして、さあ寝ようというタイミングで、彼女はいそいそと床に転がろうとしたので「も〜〜」と、小さな体を引っ張り上げる。今までの行動や発言を見るに布団で寝る習慣もないんじゃないかと思っていたけれど、想像通りだった。
「寝るところはここ」
と、腕の中にすっぽりと収める。名前ちゃんの体はあったかくて、湯たんぽみたいだった。小さい子って、何でこんなに体温が高いんだろ。
「わたし、じゃまじゃない?」
「邪魔なわけないじゃん。寧ろあったくて嬉しいな〜」
あやすように背中を撫でると、気の抜けた笑い声が零されて安心する。ふかふかだね、と続けられた言葉はやたらとふわふわしていて、もう寝ちゃうのか、と少しおかしく思う。同時に、ゆっくり休んでほしいと心の底から願った。ここにいる間くらいは、痛いことも辛いことも感じないでほしい。
「……おやすみ、名前ちゃん」
柔らかな頬を撫でながら、そっと呟く。
・
昔の夢を見ていた。
20歳かそこらの頃の話だ。毎度恋愛ごとで失敗をする名前ちゃんのアフターケアは僕の役目で、その日も彼女は男と別れてすぐ僕に連絡を寄越した。それでいつものように食事に行って、多分その日は僕も結構酔いが回っていて。
「じゃあ僕にすればいいじゃん」
普段なら絶対に言わないようなことを思わず零してしまった。
それは酒の勢いがあったとはいえ紛れもなく本心だった。本心だったけれど、普段の行いのせいか本気にしてもらえなかった挙句、「年上としか付き合わない」なんてカミングアウトをされたのだから堪ったものじゃない。
「なんで」
「昔助けてくれた殺し屋のひとを探してるから」
「え〜、何それ〜〜」
「結婚の約束までしたんだから」
「いやいや、無理でしょ〜……」
呆れたように言ったら、彼女は「そうかもね」と苦笑いをして、僕は焦る。
「ちょっと、いつもみたいに怒りなよ〜。いじめてるみたいになるじゃん」
「そう?南雲、変なところ気にするね」
「だって今日は君を慰めるために来てるわけだし……」
「あは、優しいね」
君だけにね、という言葉を呑み込んだことを、よく覚えている。
・
カーテンの隙間から朝日が零れている。
自然と目が覚めて真っ先に、女の子のあどけない顔が目に映る。半開きになった口に髪の毛がくっついていて、僕はそれをそうっと取り払った。
懐かしい夢を見たな、とぼんやり思う。あれ以降も何度か、彼女が別れる度に「僕と付き合えばいいじゃん」なんて言っては「またそれ?」なんて断られてきたわけだけど。
「ん〜……」
眠たげに瞼を擦る少女を見ながら考える。
きっとこの子は、近いうちに『初恋のひと』に助けてもらうんだろう。なるべく早く助けられればいい。本当なら、僕自身が過去に遡ってその役を買って出たいくらいだ。
(過去に行っちゃったっていうあっちの名前ちゃんも大丈夫かな……。あっ、ていうか初恋のひとと再会してたりしたらどうしよ〜……)
そんなことを考えながら、僕は小さな名前ちゃんを起こさないように布団から抜け出して。なるべく音を立てないように、仕事の支度を進める。
・
入れ替わった名前ちゃんを元に戻す方法は見つからないまま、1週間が経過した。神々廻も豹も仕事の合間に調べてはくれているみたいだけれど、有力な手掛かりや情報はひとつもない。最悪だったのは、あのタイムトラベルの研究をしていた中心チームのメンバーは全て既に殺されていたこと。助かった人間は秘密裏に行われていた研究の内容については深く知らなかったらしい。
死んだ人間は責められないので、僕と名前ちゃんは一緒に爆発のあった研究所へ向かうことにした。地上から見える建物の外観はフローターによって綺麗に直されていたけれど、地下にある謎の機械は放置されたままだった。下手に触ったら名前ちゃんのような事故が起きたかもしれないし、第一ここを必要としていた人間は全員あの世だ。間違った対応だとは思わない。
散らばったコードやガラスに足を取られたりしたら危ないので、名前ちゃんのことは抱えて歩いた。最近の彼女は、僕が買ってあげたハート柄の靴を気に入っていてよく歩きたがるんだけれど、今日ばかりは諦めてもらうしかない。
「ん〜。目ぼしいものはないな〜。名前ちゃんはどう?」
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。僕名前ちゃんと一緒にいるの楽しいし〜」
申し訳なさそうに俯いた彼女の頭を撫でる。最近の彼女は時折、やたらと大人びた悲しげな顔をする。いつかかつての地獄に戻る日が来ることを恐れているようにも感じて、何度か調査を躊躇うこともあった。小さい名前ちゃんは素直で可愛くて、一緒にいるのは正直とても楽しいんだけれど。彼女がいるべき場所は、ここではないから、ちゃんと戻る手立てを探らなきゃ。
「なぐも、あのね」
不意に彼女が僕を呼びかけた時だった。
ぴり、と僅かに空気が張り詰めたのを感じて、鋭い目で背後を振り返る。微かに伝わってくる気配から人数を把握した。けっこう多い。目的は何だろう。神々廻たちの任務の標的の生き残り……ではなさそうだ。
音もなく、頭上から三人が飛び降りてきた。ケースから武器を取り出して、瞬時に応戦する。名前ちゃんの視界に血しぶきが映ったりしないよう気を遣うけれど、この程度なら問題ない。
「も〜〜。僕今日オフなんだけど〜〜。やだな〜〜」
凝りもせずにまた二人、死角から襲い掛かる。殺気を消すのが下手くそな奴らで、これも問題なく対処した。そうやって雑兵のような殺し屋たちをいなしていると、不意に背筋に冷たいものが走る。
(強そうな奴も紛れてたんだ)
鋭い切っ先が空を切り裂いた。弓矢だ。どうやら一人はボーガンを使うらしい。最低限の動作でそれを避けると、今度は反対側から発砲音がした。目線だけで相手の位置を捉えて、武器のひとつを投げつける。頬に銃弾が掠めた直後、発砲した男はくず折れた。その首元には刃が深々と刺さっている。
「名前ちゃん、大丈夫?」
「う、ん……っ」
胸元の彼女に気を遣った直後、再びボーガンの矢が飛んできた。反射的に斬りつけた直後、辺りに白く濁った煙が舞い上がる。
(毒ガス――!)
瞬時に、名前ちゃんの口元を羽織りもので覆い隠した。唇に人差し指を当てて「静かにね」のポーズをすると、彼女はしっかりと頷いた。思ったより冷静でいてくれて安心する。煙から抜け出すところを狙った男どもの息の根も止め、この調子ならもう終わると確信した時だった。
「何だ、守ってもらってばかりのヒロインはつまらないぞ!」
やたらと滑舌のよい大きな声が響き渡り、ぎょっとして声のした方へ視線をやった。手摺に足をかけ、蝙蝠のようにぶら下がる男は大きなカメラを抱えている。
「京……!?何しに、」
来たんだ、と続けようとした言葉はそこで途切れた。
彼は思いもよらない速さでこちらに詰め寄ると、名前ちゃんの腕を掴んで引っ張りあげようとした。その背後からまたもや飛んでくるボーガンを彼は当然のように掴み取り、「痛みで覚醒するタイプか?試してみる価値はある!」振りかざされた切っ先が名前ちゃんに向けられ、到底逃げられる状況じゃない。自分の腕を盾にし、名前ちゃんには掠らないようにしたけれど、宙を舞った血しぶきに彼女は「なぐも!」と悲鳴をあげた。
「だいじょうぶだよ〜」
安心させるように言ったけれど、体に若干の違和感が生まれる。矢の先に毒が塗られていたのだろう。尚のこと、名前ちゃんに当たらなくてよかった。
「京、何がしたいわけ?」
「何がしたいかだと!?映画を撮る、ただそれだけだ!」
「あっそ。でも僕ら、君に付き合えるほど暇じゃないんだよね〜。別のとこ行ってくれない?」
「そういうわけにはいかないな!聞いたぞ、その娘、苗字だろう?」
「!」
ある程度情報が洩れる覚悟はしていたけれど、まさか既に京にまで話が伝わっていたとは想定外だった。
彼は、「未来の自分と入れ替わった少女の話か。ありきたりではあるが、展開次第では良い出来になるだろう」と苛立つくらいに真剣な顔だ。
そこそこ実力のある殺し屋たちと同じORDERの京を同時に、それも名前ちゃんを庇いながら相手にするのは正直キツい。さっきの攻撃で受けた毒も回りつつあって、そのせいか名前ちゃんを抱えていた腕の力が一瞬緩んだ。ほんの、一瞬。けれど、京はそれを見逃さない。
「――ッ」
しまった、と思った時には名前ちゃんは京に首根っこを掴まれ、そのまま天井へと振り上げられた。
「さあ少女、目覚めの時だ!」
京の壮大な声が響き、小さな体が宙を舞う。「わああん!」と、大人しかった名前ちゃんも流石に悲鳴をあげた。助けに行こうとした僕の前には京が立ち塞がり、「撮影の邪魔をするな!」と喚く。「邪魔はそっちでしょ……っ」言ってる内に、襲ってきた殺し屋たちが彼女を抱えた。連れ去れるつもりか、と武器を構えるも、名前ちゃんの体を前に向けられては手出しができない。
「やだ、なぐも、なぐも!」
泣き叫ぶ彼女はそのまま連れていかれて、その様子を京がすっかり熱のさめた目で見つめた。
「なんだ、最後まで駄目だったか。つまらん低級映画になった」
そう零してカメラを引く京の喉元に、僕は刃を押し当てる。
「……名前ちゃんに何かあったら殺すから」
「……ほう。最愛の娘を奪われて復讐を誓う男の物語か。いい画が撮れそうだ」
勝手に言ってろと、踵を返して男たちを追いかける。
体の怠さが徐々に強くなっている。昔――まだ学生だった頃に受けた、運動量に比例して毒が回るとかそういうタイプだったら厄介だなと思いつつ、解毒剤も名前ちゃんを連れ去った男が持っているのだからどうしようもない。
研究所の上空にはヘリコプターが待機していて、男たちはそこに乗り込む最中だった。縄はしごを登っている男がこちらに気づくのと同時に動いて、武器のひとつを投げ飛ばす。はしごを掴んでいた手が外れ、男は地面に叩きつけられた。それと入れ替わるようにして縄はしごを掴むと、機体の中にいた男が大型の銃を構えた。僕は、さっき落ちていった男の懐から奪った銃を先に撃ちつける。額に一発。血飛沫が宙を舞って、中から「何してる!」と怒声が轟いた。
「なぐも!」
「騒ぐなガキ!」
「馬鹿野郎、殺すな!そういう命令だ!」
「おい、それよりもさっさと梯子落とさねえか!」
「――遅いよ」
「!」
リーダーと思しき男が指示を出した直後、その胸元に鮮血が咲いた。口からぽたぽたと赤黒い液体を吐き出し、男は膝から崩れ落ちる。誰かが短い悲鳴をあげたけれど、それは刃物が空気を切り裂く音に搔き消されて。
「名前ちゃん、大丈夫?」
「なぐも……っ」
コートとシャツには幾らか血がついていたけれど、彼女はそれを気にもせず、僕に必死にしがみついた。「ごめんね、怖かったよね」「ううん、だいじょうぶだったよ。なぐもがきてくれるとおもってたもん」「……うん」
痛いくらいにしがみつく小さな体を抱き上げて、その視界を胸元で覆い隠す。それから、運転をしていた最後の一人の元へ近づくと、「誰の指示?」男は答えなかった。帽子を目深に被り、つばの隙間から暗い目でこちらを見ると、「……言うわけがないだろ」告げると同時に、思い切り舌を噛み切った。顎が上を向き、ひゅーひゅーと呼吸が荒くなる。僕は薄く目を見開いて、「そんなことしなくても」呟くと同時に、その首を掻き切った。
それから程なくして、一連の内容は殺連まで伝わった。残された男たちの身元から支持を出していた人物はすぐに特定されて、神々廻と新人の大佛が処理に向かったとのことだった。僕は休暇を与えられて、解毒剤で何とか楽になった体を引き摺りながら家へと戻る。
「あ〜〜疲れた」
ソファにどさりと転がって伸びをする。名前ちゃんは僕の頬の掠り傷がきになるらしく、丸っこい指で赤い線をなぞりながら「いたい?しんじゃう?」としきりに問いかけた。「死なないよ〜」と笑いながら、その頭を撫でる。名前ちゃんは気持ちよさそうに目を細めて、犬みたいだな、なんて思った。
それからふと思い出す。あの襲われる前、何か言いかけていた気がするけれど何だったんだろう。『あのね、南雲』あの呼びかけに続く言葉は、一体。
「名前ちゃん、僕お風呂入れてくるね〜。今日はもう早く寝よう」
「……」
「名前ちゃん?」
不思議なことに、一向に返事はなかった。じっと立ち竦んだ彼女と視線を合わすようにしゃがむと、「わたし、いつまでここにいれる?」不意に問いかけられて、僕は目を見開く。どうして突然そんなことを思ったんだろう。「いつまででも」と言おうとした言葉が喉に引っかかったのは、いつかは彼女は過去に戻ることになると思っているからだ。だって、僕はその方法を探してる。今の名前ちゃんをこの時代に呼び戻して、昔の名前ちゃんを過去に戻す方法を探してる。その過去はきっと地獄のような場所だと、薄々気づいているのに。
「あのね、いつかはもどらなきゃいけないのわかってるの。でも、わたし、ここにいるのがいちばんたのしい」
「……うん」
「あそこにもどっても、またなぐもにあえるかなあ」
「会えるよ」
今度ははっきりと答えることができた。だって、それは確定された未来だ。JCCで僕は、苗字名前という女の子に出会う。未来のこの子と言葉を交わして、かけがえのない友人になる。もっと言えば、僕は彼女に片思いを拗らせるまでになる。
そんなことまで伝えることはできなかったけれど、名前ちゃんは心底嬉しそうに頬を染めて、それから、「なぐも、すき」と告白した。
「おおきくなったらわたしをおよめさんにして」
僕はびっくりして、何て言うのが正解なのかを悩んで。ゆっくりと微笑みながら、
「大きくなったら、もう一回言ってくれる?」
「うん!」
喜びのあまり駆けだした名前ちゃんの背中を眺めながら、ふと思う。
彼女はこのできごとを将来的に忘れてしまうのだろうか。残念なことに出会ってから今に至るまで一度も、彼女から好意を伝えられたことはない。こんなに無邪気に結婚の約束を取り付けたというのに。パラレルワールドの存在とか、どういう仕組みなのか、或いは本当にこのまま戻らない可能性を示唆してしまう。
漠然とした不安を抱えながら、風呂掃除に勤しんで、いつものように名前ちゃんに先にお風呂に入ってもらう。ちょっと拙いシャワーの音が聞こえる。それから暫くはぬるま湯に浸かる時間。最初に言われた通り、お湯で体を温めた彼女はお風呂を出て、僕が買ってあげた肌触りの良い服に着替えて。「かみやって」と甘えてくる。
膝の上に乗せて、鼻歌を歌いながら柔らかな髪を乾かしていると、不意にドン!と地面が大きく揺れた。一瞬地震かと思ったら違っていて、なんだか視界の周りに白い煙まであがっている。それに、いつのまにか傍にいた名前ちゃんがいない。
「名前ちゃん、無事!?……って、え?」
慌ててその名前を呼んで状況を確認して、僕は目を丸くした。
「……南雲」
煙の中に、ちょっと疲れた顔をした名前ちゃんがいた。小さくない。未来の、否、今の名前ちゃんだ。JCC時代から僕と一緒の時間を過ごしてきた名前ちゃん。研究所の爆発に巻き込まれて、過去に戻ってるんじゃないかと推察されていた名前ちゃん。
「え〜〜、ちょっと待って、本物?びっくりなんだけど」
「