運命だから諦めて



 幼い頃の記憶は、ひどく曖昧だ。
 子どもを捨てたのか売ったのか、或いは自分たちが殺されてしまったのか。詳しいことはこの先も知り得ないのどろうけど、とにかく物心ついた頃には両親と呼べる存在がいなかったわたしは、よく分からない奴らの元で毎日毎日虐待にも似た訓練を課せられていた。水に沈められたり、毒を飲まされたり、電流を流されたり。成長してから思うと、毎日食事が用意されてそれなりの娯楽(絵本とかクロッキー帳とか)を与えられていただけマシだったのかもしれないけれど、とにかく当時のわたしにはあの日々は苦痛で仕方がなかった。
 そんな地獄はある日ぱたりと消え去るわけだけど、わたしはその時のことをどうもしっかりと覚えていない。記憶にあるのは、やたらと賑やかな世界でひどく扱ってもらえたこと。それから、背の高い殺し屋が小さなわたしを守ってくれこと。そのひとが、おとぎ話に憧れていた幼いわたしの「結婚して」なんて告白に、「大きくなったらもう一回言って」と頭を撫でてくれたこと。名前も思い出せないその人の優しだけは、いつまでたっても忘れられなくて。
 あれから十数年が経った今も、わたしはまだ彼を探し続けている。

▪︎

 馬鹿と天才は紙一重だと言うけれど、武器製造科の人間を見ているとつくづくそれを実感する。
 科学者らしいゴーグルに深緑のつなぎを着こなした男は、腕に抱えていた3歳程の小さな少女を「オマエら、い〜ところに!助けてくれ〜!」とこちらに押しつけた。赤尾は咥えた煙草を消すそぶりすらなく、坂本くんに至ってはその子のことが見えていないくらいにぼうっとしている。自然と、僕が受け止めることになった。

「何だよコイツ、オメーの子ども?自分で面倒見ろよ」
「違えよ、オレがそんなヘマすると思うか?苗字だ、苗字!」
「……は?」

 三人の声がぴったりと重なり、僕は慌てて抱えた子どもの顔を見た。確かに、名前ちゃんによく似ている。目元の雰囲気とか、鼻の形とか。成長したら彼女とそっくりになりそうな感じだ。煙草を咥えたまま覗き込んだ赤尾も同じことを思ったのだろう。「……マジじゃん」とぽつりと呟くと、「お前何やってんの?」と武器科のその男に呆れた目を向けた。

「また訳の分かんねー機械作って小さくしたのかよ」
「う〜ん、いや、そっちの方がマシだったかも……」

 苦笑した彼は続けて、「たぶんタイムスリップ的な事故。小さい頃の苗字と今の苗字が入れ替わってると思う」
「はぁ!?」

 武器製造科に所属する彼の話をまとめると、こうだ。
 図書館の資料(十数年前まで存在していた研究所が発行したものらしい)にタイムスリップに関する記述があり、更にはそれらしい暗号文のメモまで見つかった。今の自分と、過去の自分あるいは未来の自分を入れ替えることが可能だと。意欲を刺激された彼は不完全な説明文と自身の勘でミニチュアのタイムマシーンを作り上げ、それを名前ちゃんに意気揚々と報告。製造室を彼女が訪れて機械を眺めていたところ、続けて入った生徒が散らかったコードに足を引っ掛け色んなものを薙ぎ倒し……、結果、機械が爆発。一番近くにいた名前ちゃんが巻き込まれ、煙が収まるころには小さい女の子に入れ替わってしまっていたと。
 突飛な話だ。突飛な話だけれど、こいつらならやりかねない。ちょっと前も、空飛ぶ車をつくったり(空を飛んで数秒後に爆発した)、瞬間移動が可能なボックスを作ったり(数回使用後にやっぱり爆発した挙句、使用者は目的地ではなく通過点と思しき女子更衣室に移動してしまい赤尾に半殺しにされた)、そういう信じられないことをやってしまう連中なのだ。
 念のためその子に名前を確認したら、入れ替わったといわれている同級生と全く同じ名前を返された。「ほらな」と肩を竦めた男は、「というわけで」と両手を叩く。

「誰か面倒みてくれよ」
「僕がみるよ」
「私がみる」
「「は?」」

 ぱん!と乾いた音が響いた直後の提案に、僕と赤尾が即答した。お互い顔を見合わせて、「そっちが譲れ」と圧を送る。

「普通に考えて私だろ。姪っ子いて慣れてるし」
「いやいや、赤尾は煙草吸うからダメでしょ〜。僕だって子どもと遊ぶの得意だし」
「遊ぶんじゃなくて世話しねえと駄目なんだろ。大体お前、小せえ名前を自分好みに育てあげたりしそーじゃん」
「しないんだけどそんなこと!?」

 「あー光源氏みたいに」なんて頷いた武器科の男をぶん殴ってやりたい。僕が名前ちゃんを好きなのは認めるし、構いすぎて「いい加減寄るな!」なんて言わているのも事実だけど、流石にそんな変態じみたことはしない。「ふーむ、赤尾の方が優勢だなぁ」と呟く彼は完全に楽しんでいる。
 赤尾が両手を広げたのを見て、小さい名前ちゃんは彼女にも興味を示した。ましゅまろみたいな指を一生懸命伸ばすので、僕は渋々彼女に引き渡す。

「お?タトゥー気になるかァ〜?」

 名前ちゃんはぺちぺちと赤尾の腕を叩きながら頷いて「ほし」と呟いた。「お〜、物知りじゃん。オリオンな」「おりおん」楽しそうに復唱する彼女にちょっとだけムッとする。さっきまで触っていた僕のタトゥーには一言もなかったんだけど。僕の方がタトゥーいっぱい入ってるんだけど。小さい子にも分かるようなモチーフがないのが駄目だったかな。

「……お前は面倒見ないのか」

 と、坂本くんがふと武器科の男に話しかける。彼は珍しく声をかけられたことに驚きつつも、「オレはほら、元に戻る用の機械作んなきゃなんねーから。子どもの面倒見ながらはキツイ」「なるほど」「まあそもそもオレが悪いんだけどな……」とげっそりした表情で呟いた彼に(反省とかできるんだ)と僕は失礼なことを思う。
 名前ちゃんは赤尾に髪の毛を結ってもらって相変わらず楽しそうにしている。ちょっと悔しいけれど、まあ楽しんでるならと彼女に任せることで納得しかけていたら。

「赤尾……」
「ん?あ、ヤベ」
「あっ」

 ぽつりと名前を呼んだ坂本くんに彼女が振り向くと同時。咥えていた煙草の灰が、丁度名前ちゃんの毛先にぽとりと落ちた。

「火ー!」
「水!水パス!」

 武器科の彼が持っていたペットボトルの水を頭からぶっかけて、火が広がるのを防ぐ。全員が安堵の息を漏らす中、状況が理解でいていないのか名前ちゃんは目を丸くするだけだった。

「なんかスゲー大人しいな、コイツ」
「ね〜〜」

 赤尾から名前ちゃんを取り上げて、あやすように上下に揺すったり、背中を撫でなでたり。彼女はリズムに合わせて体を揺するけれど、やっぱり声をあげることはない。なんだか不思議な感じだ。この年頃の子って、もっと泣いたり笑ったりするもんじゃないの?
 そんな風に首を傾げる僕の隣で、「マジ焦った……。まだ南雲の方がマシだな」なんて武器科の男が肩を竦めている。「まだって何〜〜?」と若干不服な言葉に反応する僕と、「わりーわりー。つーか坂本、もっと早く言えよ」なんて軽い調子で告げる赤尾。赤尾の姪っ子、本当に大丈夫かと他人事ながらに同情する。たぶんその子も咥え煙草の彼女に髪を結われたりしてるんだろう。
 そうやって賑やかに話していたら、不意に「あらあら、元気いっぱいねぇ」と声がした。その場にいた全員がぎょっと振り返る。全く気配がなかった。穏やかに微笑みながら近づくその人物には、やっぱり隙ひとつ見つからない。

「げっ、佐藤田センセー」
「『げっ』じゃありませんよ。貴方、また製造室を散らかしましたね」
「アハ……スミマセン……」
「どころで南雲くん」
「はい〜〜」
「……誰との子です?」

 こちらの名前を呼んで、たっぷりの間のあと。予想外の質問をしてきた先生に、僕は固まり、赤尾は盛大に噴き出した。

「南雲と苗字の子ですー」

 僕が否定するより早く告げたのは武器科の彼で、隣にいた坂本くんが「そうだったのか」なんて天然なのか冗談なのか分からない相槌を打っている。

「ちょっと!坂本くん話聞いてたよね!?誰との子でもないから!名前ちゃん本人!」
「あら、そうなの。それは大変ねぇ。ちゃんと元に戻してあげなさいよ」
「も、もちろんッスよ……!」
「それじゃあ、明日の授業に遅れないように。気をつけなさいね」

 思ったよりもあっさりと納得した佐藤田先生はそのまま通り過ぎていき、もっと質問責めにあうものだと思っていた僕たちは拍子抜けした。
 結局、小さい名前ちゃんの面倒は僕がみることになった。「それじゃ、一緒に帰ろっか」柔らかくかけた言葉に、名前ちゃんはこくりと頷いた。成長した彼女からは想像ができない素直さだった。



 翌日の授業に、僕は小さい名前ちゃんを抱えたまま出席した。教員や生徒の数名から話しかけられ、その度に説明するのは面倒だったけれど、こんなに小さな子をひとりで部屋に残すのはどうしたって気が引けた。たとえ名前ちゃん自身が、「ひとりでだいじょうぶ」だなんて言っていたとしても。
 名前ちゃんは、今の彼女からはちょっと想像できないくらいに大人しい。泣きもしなければ怒りもしないし、大きな声で笑うこともない。その理由を、僕はなんとなく気づいている。

「……傷?」
「そう。体中にあるんだよ。たぶん虐待……、訓練なのかもしれないけど」

 昼休み。
 食堂の一角で、僕は赤尾と坂本くんに昨日一日の名前ちゃんの様子を報告する。名前ちゃんは主犯である武器科の連中に囲まれて、うどんやらハンバーグやらを少しずつ分け与えてもらっている。小さな頬にソースがついている様子が微笑ましいけれど、それを穏やかな気持ちで見ていられるような話題ではない。

「それにさ〜、お風呂もひとりで入れるって言ってたんだけど、いざ入ってもらったらお湯すら使ってないんだよ。水しか使っちゃダメって教わってるみたいで、もうさ〜〜……」

 お風呂から出てきた彼女の濡れた髪に触れた瞬間の衝撃を思い出して、自然と気が滅入る。お湯は使っちゃ駄目なのと言った時の、何かを諦めたような平べったい声も、当分忘れられそうにない。

「昨日、水ぶっかけられて大人しくしてたのもそれでか」
「多分ね〜。ああいうの、日常茶飯事なんだと思う」

 それはきっと、珍しいことじゃないのかもしれない。殺し屋の道に進むような家庭で生まれた子どもは、幼い頃から毒に慣れさせられたり、痛みに耐えられるように教育をされることが多い。でも、まだあんなに幼い子で、それも女の子が実際にそれを受けているのだと思うと、怒りとか、悲しみとかがどうしても湧き上がってきて。

「……元に戻ったらさ、酷いことされちゃうんだよね」
「バカが」
「痛い」

 ぽつりと零すと同時に、赤尾が僕の頬を殴った。それもグーで。彼女は呆れたように煙を吐きながら、「同情すんのは分かるけど、戻さねーと意味ねーだろ。それに、JCCに入った頃の名前を思い出せよ。泣いたり笑ったり忙しーヤツだっただろ」「……うん」出会った頃の彼女を思い出しながら、僕は頷く。子どもみたいに表情がくるくる変わる子だった。明るくて、賑やかで、それからちょっと泣き虫。本当にこんなので殺し屋やってけるのかな、なんて思うくらいの女の子。

「じゃあ小せえ頃はこうでも、大丈夫になるってことじゃね?殺し屋に助けてもらったことがあるって言ってたし」
「え、何その話。僕聞いてないんだけど〜〜」
「ガールズトークってやつだよ」
「ずるい〜〜」

 ぶーぶー文句を垂れていたら、少しだけ気分も戻ってきた。そうだよね。いつかここで出会う名前ちゃんのためにも、彼女を元に戻さないと。
 食堂の人はまばらになりつつある。僕らも早くご飯を食べなきゃね、と券売機に向かおうとしたら、「南雲」ふと坂本くんに呼び止められた。「うん?」くるりと振り返ると、彼はいつになく真剣な目で「ここにいる間くらいは、楽しんでもらえるといいな」なんて、妙に確信めいたことを呟いて。「……そうだね」色んな人から頭を撫でられている名前ちゃんを目に焼き付けながら、僕は頷く。



 数日後、JCCの校庭。
 青空の下、芝生の上に転がった男はげっそりと「もうムリ……」隈の取れない瞳を眩しそうに細めて零した。その隣で胡座をかいた赤尾が、「まだ上手くいかねーのかよ。こないだは作れたんだろ?」と煙草を吸っている。

「一回おんなじように作ったけど不発だったんだよ。つーか元々、前のも完成品じゃなかったんだろうな。運良く……いや運悪く、か。偶然爆発して起動しただけで」

 そこまで言って、彼は珍しく弱気になった。「あ〜〜、このまま元に戻せなかったらどうしよ……」なんて呟きが、敷き詰められた芝生に吸い込まれていく。
 それを横目に、僕は名前ちゃんと花冠作りに勤しんでいた。庭の一角にある、シロツメクサをちぎっては編み込んでいく。

「ここをこうして〜」
「んー、こう」
「そうそう、上手〜〜」

 手放しで褒めて、完成した花冠を名前ちゃんの頭に被せる。嬉しそうに目を細めた彼女は、立ち上がると、「なぐもにも」と背伸びをした。どうやら、自分が作った分を僕に被せてくれるらしい。
 そっと頭に乗る感覚があって、「似合う?」と尋ねたら、元気よく返事があった。「おそろい!」と自分の花冠に触れながら笑った彼女は、それから少し俯くと、「……あのね」と照れくさそうにする。