春と嘯く

 灰色の土煙が舞い上がっている。その向こうで、瓦礫の崩れる音がする。

「一般人、いたのかよ」

 続いて、舌打ちと、恨みがましい男の声。
 風が吹き荒び、尚のこと砂埃が強く舞う。男の声は、『立入禁止』の看板が掲げられた有刺鉄線の向こう側からしたけれど、その姿ははっきりと捉えられない。ざり、ざり、と。散らばったコンクリートを避けもせず、男は歩く。こちらへ近づく。
 ようやく、煙の勢いがおさまった時。区域の境界ぴったりまで近づいていた男に、わたしは目を見開いた。

「……漆間くん」
「は?……あー……」

 猫のような目を細めて。彼は、何かを思い出すように唸る。同級生でクラスメイトだというのに、きっと彼はわたしのことを知りもしない。

「誰だっけ、おまえ」

 ほら、やっぱり。

「クラスメイトの苗字」
「ああ」

 妙に納得したとでも言いたげな返事をして。彼はわたしと有刺鉄線を交互に見つめる。

「警戒区域、入ってない?」
「入ってない。入ろうかと思ったけどその前に今のが来ちゃったから」

 探るような瞳に耐えきれず正直に話すと、存外あっさりと彼は頷く。それから、「ならいい」と一言。何が良いの、などと尋ねる間もなく、彼は「さっさと帰れよ」と告げると、くるりと踵を返し、崩れかけの家々が立ち並ぶ警戒区域の奥へと姿を消す。
 他人を救うため、なんて善意をもっている人ではないと思っていたのに。街の平和を守るための組織に所属しているなど、不思議なこともある。そんなふうに思っていたら後日、彼は金儲けのためだけにボーダーに入っているらしいと友人から聞いた。噂は噂、けれどその理由の方が彼のイメージとあっているな、とわたしは納得する。

「金さえ払えば割となんでもするらしーよ。どこまでほんとか知らないけど」

 ちょっと嫌なものでも見るような顔で。そう零した友人はすぐに、「そんなことよりさ」と明るい声音でスマートフォンの画面を示した。

「今度ここいかない?新しくできたカフェ!」

 鮮やかなフルーツで彩られたパンケーキと、色とりどりのタピオカジュースがやたらと目立つお店だった。

「あんたの好きなプリンもあるよ」
「美味しそうだけどめちゃくちゃでかくない?」
「でかい。シェアするしかない」

 ポニーテールを揺らして深く頷く友人にくつくつ笑って。わたしもまた、大きく頷いた。
 朝のチャイムが鳴る少し前、漆間くんが教室に入ってきた。ちらりと時計を見た友人が席に戻り、それから二分と経たずにチャイムが鳴る。
 漆間くんの席は窓際の一番後ろだった。梅雨明けの、眩しいほどの日差しが彼を照らしている。頬杖をついて目を細める様子が、やっぱり黒猫みたいだった。

 その日の放課後、彼を呼び止めた。靴箱の前で声をかけると、心底面倒臭そうに振り返った彼が「おれ急いでるんだけど」とボヤく。

「お金渡したら、何でもしてくれるって本当?」
「……さあ。時と場合による」

 全否定はしなかった。じゃあきっと、可能性はある。
 緊張で煩く音を立てる心臓を落ち着かせるよう、深く息を吸い込み、わたしは一思いに告げる。

「お金あげるから、わたしの彼氏になって」

 漆間くんが、その双眸を開いた。風が吹く。西日が強く差し込む。彼の黒い瞳がわたしを射抜く。

「……いくら?」

 尋ねられ、慌ててカバンから三つ折りの財布を取り出した。そこから折れ曲がった諭吉を二枚抜き出して。露骨に落胆した彼が口を開くより先に、わたしは言う。

「とりあえず、一日分。」

 漆間くんの口角が僅かに上がった。

「いいよ」

 脱ぎかけた上履きを突っ掛けて。彼はこちらへ近づき、わたしの手からお札をするりと抜き取った。触れた指が思っていたより男の子のそれで、その事実に妙にどきりとしてしまう。

「で?具体的に何すればいいんだよ」

 整った顔が至近距離にある。気を抜くと声が上擦ってしまいそうだった。お腹にぐっと力をこめて、

「とりあえず、一緒に帰るとか」
「ふうん。おれこの後ボーダーだから、途中までね」

 渡した金額分は素直に言うことを聞いてくれるのか、彼はあっさりと頷いてスニーカーへと履き替える。少しでも機嫌を損ねないよう、わたしも慌てて上履きを脱ぎ、地面に置いたローファーへと足を突っ込む。

「あんた、家どっち?」
「弓手町駅の方」
「チ、同じ方面か」

 舌打ち付きで文句を言われる。反対方面だったら校門を出てすぐ別れるつもりだったのかもしれない。二万円も貰っておいて、このやろう。

「漆間くんは、何でボーダーに?」
「金が欲しいから」

 わたしの斜め左側を歩きながら、こちらを見ることなく淡々と応える。噂は本当だったのか、とひとり納得していると、

「おまえは金持ってそうだな」

 唐突に、そう言われた。彼の平坦な声音のせいなのか、或いは全然変わらない表情のせいなのか。不思議と嫌味を言われているようには感じない。

「まあ、他人よりは持ってると思う」
「なんで?」
「大規模侵攻の時家族みんな死んで、その保険とか遺産とか」

 だからだろうか、不躾な質問にもするりと応えてしまった。
 凄惨な過去だという自覚はある。事実を打ち明けた時に動揺されたことも、一度や二度ではない。けれど、漆間くんは相変わらず平べったい声で「そりゃ大変だ」と相槌を打った。それがどこまでも他人事で、なんだかおかしくて安心した。

「一人暮らししてんの?」
「……ううん。親戚のおじさんが引き取ってくれたから、そのひとと」
「ふうん」
「漆間くんは、一人暮らし?」
「そう」
「そっか」

 だらだらと会話を続けている内に、駅のホームが見える十字路に差し掛かる。わたしは右折、漆間くんは直進。必然的に、ここでお別れだ。

「じゃあまたな」
「うん。……あ、待って待って」
「うお」

 名残惜しさのひとつも見せることなく背を向けた彼を慌てて呼び止める。肩から提げていたバッグのショルダー部分を引っ張ると見事につんのめり、恨みがましい瞳が向けられた。眉が八の字に曲がってしまっていて、ガラが悪い。

「連絡先、教えて」
「……」

 眉間の皺が一層深くなる。それでも引かずにいると、彼は諦めたように息を吐いてスマートフォンを取り出した。随分前の機種で少し驚いたけれど、余計なことは言わないようにと口を噤む。
 電話番号とメールアドレス、それからチャットアプリの連絡先を教えてもらって。今度こそ、互いに路地に向かって歩いた。手を振るわたしと反対に彼は一度も振り向くことすらしてくれなかったけれど、早速チャットで「またね」と送ったらよく分からない表情の黒猫のスタンプが返ってきた。それだけで、すごく胸が高鳴った。
 漆間くん、頼んだら手とかも繋いでくれるのだろうか。どこまで許してくれるんだろう。そんなことを考えながら残り少ない帰路を進む。
 黒やグレーの瓦屋根が並ぶ中、少しだけ目立つ臙脂色の屋根の一軒家が、今のわたしの住居になる。わたしを引き取った親戚が三門にやってくるのと同時に中古で購入したものだった。前の住人は襲撃直後に三門から引っ越したらしい。そういう空き家が、周辺にはぽつぽつある。
 ガレージには車が止まっていない。ほっとした。
 玄関を入ってすぐ右側にある階段を駆け上がり、二階のトイレ横の洗面所で手を洗ってから自室に入る。鍵付きの引き出しから日記帳を取り出して、一番最後のページを見開きで開けた。所謂やりたいことリストがそこなは記されていて、ずらりと並んだその項目のひとつに線を引く。『彼氏をつくる』の文字全てが線で隠れたあと、ぱたりとノートを閉じて。わたしはそれを、宝物のように抱き締める。
 不意に、玄関の扉が開く音が聞こえた。「ただいま」と声がして、ぎくりと心臓が鳴る。急いで日記帳を引き出しにしまい、わたしは部屋の扉を開けた。「おかえり」階段の上から声をかける。
 大丈夫、大丈夫。今日はとってもいいことがあったんだから。だから、なんにも怖くない。



 翌日もその次の日も、そのまた次の日も。漆間くんは二万円と引き換えに、わたしと下校を共にした。
 七月の太陽は溶けた水銀のように輝いている。日差しが強い。漆間くんはシャツのボタンを緩めて胸元をぱたぱたさせながら、だらしなく「あちぃ」と言った。男の子にしては長い髪をばっさり切ってしまえば少しはマシになるんじゃないかと思いつつもぐっと堪えて、わたしは鞄の中から折り畳みの傘を取り出す。

「日傘あるけど」
「さして」

 会話を被せる程の勢いでそう言われた。涼しげな水色の傘を広げて、二人の間で構える、が。

「……もうちょい高く」
「無理、腕痛い」
「オレは頭が痛いんだけど」

 身長差のせいで、うまくいかない。二言三言押し問答をした後、結局漆間くんが傘を持つことになった。その内独占されるんじゃないか、まあそれでもいいかと思っていたけれど、意外にも彼は二人が半分ずつ影に入れる繊細なコントロールで歩き続けている。

「おまえ、部活入ってねえの」

 それから珍しく、彼の方から問いかけた。いつも話題の提供はわたしからだったのでぎょっとして、つい上擦った声が出た。

「なんで」
「体育とかすげえ活躍だったじゃん」
「えっ、見てたの」
「あんだけうるさかったら嫌でも目に入る」
「言い方」

 もうちょっとポジティブな言葉をつかえないのかと恨めしく見つめると、ばっちり目が合ったので驚いた。「な、なに?」「は?質問の答えがまだだろ」冷静に告げられ、一瞬でもどきりとしてしまった自分が馬鹿に思えてくる。熱くなった顔を隠すように視線を逸らし、「入ってない」と、今度こそ彼の求める返答をする。

「中学はバスケ部だったけど。それどころじゃなくなったし、遅くなるとおじさんもあんまりいい顔しないから」
「ふうん」

 そっちが話を振ったのに、と突っ込みたくなるくらい。いつもと同じ淡々とした声音で彼はぼんやりと相槌を打つ。

 そんな風に過ごしている内に、アブラゼミの声は日増しにうるさく、照り付ける暑さもじりじりと強くなり、やがて夏休みに突入した。全員がほぼ同時刻に一斉に帰る終業式の日はさすがに二人で帰ることができず(まだ付き合っていることは周囲に隠しているので)、その日の夜に夏休みに二人で出かけたいとチャットを送った。海、プール、夏祭り。人混みは嫌いだと全て断られたが、それでもめげずにいると『夏祭りだけなら』と彼の方が折れてくれた。画面の向こうで、眉間に皺を刻んだ漆間くんの表情が容易に想像できる。いつもより多めにお金を渡そうとそっと決め、スマートフォンの画面をオフにした。
 彼との約束の日までは、友人とカフェに行ったりカラオケに行ったり。部活もバイトもしていないわたしは大抵一日暇なので、宿題も早々に手をつけた。叔父が仕事でいない時は家で。逆に、叔父が仕事で休みの時は図書館に出かけるようにした。お昼のお弁当を作っていれば、叔父は大方機嫌よく送り出してくれる。「気を付けて、暗くなる前に帰るんだよ」肩をなぞる掌が離れ、糸目で微笑む彼に送り出される。
 じわりと滲む汗を真っ白なハンカチで拭いながら、照り返しの強いアスファルトを突き進む。市役所から歩いて十分程の位置に佇む味気ないグレーの建物が、三門市の市立図書館である。随分昔からここにあるらしく、近年増えている、室内にカフェが併設されていたりガラス張りのお洒落な外観をした図書館とは似ても似つかない。
 自動ドアが開き、中に入る。途端、寒さを感じる程の冷気が流れ込んできた。冷房がよく効いていてありがたい。空いている机を探し、まずは一階をくるりと回る。夏休み期間ということで、老若男女が入り乱れていた。座れるところがないかもしれないと思って間もなく、わたしは見知った顔をみかけた。思わず、ぱっと、表情が明るくなる。

「漆間くん」

 傍まで寄って声をかけると、げんなりした顔がこちらへ向けられる。
 無地のTシャツに黒のスキニー、A4のプリントや筆記用具が入る程度のトートバッグ。どこまでも漆間くんらしいスタイルだったけれど、相変わらず伸ばしっぱなしの髪を首元で緩く括っていて、いつもと違う雰囲気にどきりとする。

「向かい側座っていい?」

 彼は無言で、散らばっていた筆記用具やプリントを自分の方へと引き寄せた。これはきっと肯定だ。お礼を言って席につき、わたしも宿題のプリントを取り出す。
 図書館という静かな空間でぺらぺらと喋ることは憚られ、会話は最小限に抑える。分からないところがあったら、こそりと尋ねる感じ。漆間くんはわたしよりもだいぶ頭が良くて、眉を寄せながらも解き方が載った教科書のページを開いてくれた。
 数時間後、正午を告げるチャイムが鳴る。ぐいっと伸びをした漆間くんが、「おまえ、昼どうすんの」と、不意に尋ねた。

「えっ、どっか行こうとは思ってるけど」
「一緒に行く?」
「!行く!」

 がばりと体を起こすと、思い切り眉を寄せられた。「声」と小声で叱咤され、「すみません……」しなびた植物のように、しおしおと席に着く。机上のプリントや筆記具をしまいこみ、漆間くんが立ち上がる。わたしもその背中を追いかけ、図書館を後にした。
 ぶわり。熱気を含んだ風が体に纏わりつく。
 蝉の声がうるさい中を歩き、四階建ての雑居ビルの前で漆間くんは足を止めた。その一番下の階の入り口に、今にも落ちてきそうな看板が張り付いている。外壁はところどころひび割れがみえて、何のお店か不安になる風貌。少なくとも、わたしひとりだったら、絶対に来ない。
 漆間くんは臆することなくスライド式の戸に手をかけた。建付けが悪いのか、ガラ、ガラガラ、というその内壊れそうな音を立てて扉が開く。

「……らっしゃい」

 中から、不愛想な声がした。それから、ふわ、と食欲をそそる匂い。厨房の方ではもくもくと湯気があがり続けていた。なるほど、ラーメン屋。物珍しくてきょろきょろと辺りを見渡しながら、漆間くんについていく。思った以上にお客さんは入っており、カウンターには一人で来たのであろう男性がずらりと並んでいた。漆間くんは少し広めのカウンター席を陣取り、

「嫌いなもんある?」
「えっと、特には……?」
「じゃあオレと同じのでいっか」

 そう言って、お冷を持ってきた店員に「塩ふたつ」と注文した。めちゃくちゃ慣れている。

「漆間くん、ここよく来るの」
「作るの面倒な時とか。スーパーで弁当買うより安いから」
「へえ」

 失礼な言い方になるけれど、こういうお店、どうやって見つけるんだろう。ぼんやりと思っている内に、注文していたものが運ばれてくる。ちょっと怖いくらい、提供が早い。それともこれがラーメン屋の普通なのだろうか。なんだか世間知らずみたいで聞かずにいたけれど、わたしの頭の中は疑問ばかりが浮かんでいく。
 男の子らしく大口で麺を啜った漆間くんの約二倍の時間をかけ、熱々のラーメンを食べ終えた後、スーパーのお弁当よりも随分安い金額を払って店を出る。本当に安い、大丈夫なのこの店。そんなことをぐるぐる考えるわたしの背に、「あざっしたー」やる気のない声が降りかかる。

「おまえ、ああいう店入るのはじめてだった?」

 暫く歩いて。そう尋ねた彼に、「はじめてだった……」と答え、ようやく息ができた気がした。高級レストランとは真逆だったけれど、ある意味で同じくらい緊張していたと思う(高級レストランなんて、まだ行ったことないんだけれど)。

「まあ女はなかなか行かないか」
「わたし以外誰もいなかったけど」
「そりゃデートでもまず選ばねえだろうしな」

 じゃあなんで選んだんだ、という言葉を必死に喉元で押しとどめる。平然と「安いから」と返されるなんて、聞かずとも分かる。

「不味かった?」
「いや普通……、値段の割には普通に美味しいんだろうけど、なんかもうそれどころじゃなかった……!」

 正直に振り絞ると、「ふ」と小さな笑い声が聞こえた気がした。え、うそ。今、漆間くん笑った?
 思わずじっと見つめるも、彼は相変わらずいつもの無表情で。夢か幻だったんじゃないかと思えるけれど、なんとなく、今は機嫌がいいことだけは読み取れた。はっとして、わたしは足を止め、「漆間くん」と少しだけ真剣に彼を呼び止める。

「なに」
「あの、その。……手、繋ぎませんか」
「……は?」

 うわ、ついに言っちゃった……!降りしきる太陽のせいでただでさえ熱い体が、更に熱を帯びる。
 ちらりとその表情を盗み見ると、先程までの機嫌の良さが吹き飛んだかのような険しい顔。やっぱり言わない方が良かったと後悔してももう遅く、ど、ど、とうるさい心臓をなんとか落ち着かせながら漆間くんの言葉を待つ。そして。

「いや、こんな暑い中嫌だけど」

 やっぱり、あっさりと振られてしまう。
 悲しいというよりも恥ずかしい気持ちが勝り、「ごめんなさい」と謝罪。それから、しょげた様子でぽてぽてと歩くわたしに彼が何度か声をかけるが、数秒前の自分に恨みつらみを脳内で零し続けるわたしはその声に気がつかず。あからさまにイラッとした彼がわたしを小突いてようやく、話しかけられていたことに気がついた。

「いった!?え、ごめん何!?」
「だから、もうちょい涼しくなったらいいって言ってんだよ」
「え。え!?」

 その発言の意味を理解するまで数秒。それはつまり、手を繋ぐこと自体はそこまで嫌じゃない……?
 けれどこの話は終わりだと言わんばかりにスタスタと歩く彼に、再度問いかける勇気はなくて。結局わたしは、慌ててその背中を追いかけるだけだった。



 それから一週間程して、夏祭りの日がやって来た。この時期限定で設置されている大きなバルーンの前でそわそわと待っているわたしに、待ち合わせぴったりの時間に現れた彼が声をかけてくれる。漆間くんは相変わらず、無地のTシャツにスキニー姿だった。あの日と変わっていることと言えば、ちょっとお洒落なネックレスが首からかかっていることと、バッグが一回り小さなボディバッグになっていることくらい。

「一瞬どこにいるか分かんなかった」

 頭のてっぺんから爪先まで。さらりと視線を動かして彼が言う。
 今日のわたしは気合を入れて浴衣を着ていたから、きっと、雰囲気が違ったのだと思う。
 紺色の生地に、赤い金魚が泳ぐ柄。その長い袖をしゃらんとはためかせ、「どう?」と問いかけると、「どうって……。動きにくそう」ロマンスの欠片もない感想に、唇を尖らせる。
 人混みの中をのろのろと歩き、屋台では食べ物ばがりを買い占めた。恋人と綿菓子を食べ合う、というのに憧れていたから、さりげなく彼の口元に持っていくと、一口食べて「甘」としかめっ面をされて終わった。でもまあ、一口だけでも食べてもらえたのだから良しとしよう。金魚すくいやヨーヨー釣りも、本当はしたかったけれど。わたしも彼もそれを家に持って帰る気にはならなかったから、結局辞めにした。
 一通り屋台を回ったあと、わたしは漆間くんを引っ張って祭りの喧騒から離れた神社へと向かう。幼い頃から、父と母がよく連れてきてくれた場所だった。河川敷で打ちあがる花火は遠くて迫力に欠けるけれど、人混みに押しつぶされることなくゆっくり見られるから、と。
 石段の一番上に座り込んで、花火が打ちあがるのを待つ。先程とは打って変わって人気がなく肌寒い。黙って身を寄せたら、漆間くんは何も言わずに受け止めてくれた。触れあった肩の温もりが心地よい。
 やがて近所のご老人がぽつぽつと集まり、挨拶を交わしてくれる。「若い頃を思い出すわあ」と微笑まれ、気恥ずかしさが募った。漆間くんは相変わらずの無表情だったけれど。
 やがて遠くで、花火が上がる。赤、黄、青。小さな花が、夜空で光っては消えていく。わたしたちはそれを、寄り添って眺め続けた。もうすぐ、夏が終わる。




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