あたしの左手の甲には、決して癒えぬ傷跡が残されている。幼少時にナイフで抉り取られたのが原因だ。まだ念を習得していない時分だったため、大出血して家中えらい騒ぎになったことをよく覚えている。後から聞いた話によると出血過多で途中死にかけたらしい。そんなことよりも傷を付けられたという事実があたしには衝撃的で、傷を付けた張本人は顔色ひとつ変えなかった。
神経に傷が付かなかったことが幸いして手を動かすのは何ら問題ない。もっとも、そんな思い出話は今はどうでもいいことなのだけれど。何しろ、あたしは今人生初のナンパというものを体験しているからだ。これは、焦る。どうしたって、うろたえる。
「あれあれ、彼女、カワイイねェ〜〜!? 年はいくつ? どこに住んでるの? 彼氏はいるの?」
「あの、えと、えへへ……。」
こんなに矢継ぎ早に質問されたのは初めてで、いささか戸惑いが隠せない。えっと、こういうのって素直に答えたほうが良いのかしら? 住んでるのはククルーマウンテンの頂上で、暗殺業やってます☆ 特技は瞬時に心臓を盗むこと。ムカついたり殺したいヤツがいたら3割引きで請けおいましょうか?なんて言ったら「気の利くいい子だな〜。」ってポイントも上がるのかしら。
「珍しい髪色してるねェ〜。これって染めてるのォ? それにすらっとした指で、綺麗な手を……。」
ナンパ男はあたしの左手を取ってから、即座に固まった。そんなに褒めちぎられたり、見惚れられたりすると、どうすればいいか分からなくて困る。
「な、なんだか痛そうな傷跡だね……。」
「……え? これ? もうとっくの昔に完治してるし、痛くもなんともないのよ。」
「そ、そうなんだ……。」
何故だか分からないけど、先ほどの勢いはどこへ行ったのか男はしどろもどろな返事をした。あれ? あたし、何か間違えた?
「そ、そういえばオレって肝心なこと聞き忘れてたよね。 ……君、名前は何ていうの?」
「戸愚呂。戸愚呂=ゾルディックよ。」
「ゾル、ディック……って、あの、暗殺で有名な……?」
「あら、知ってたの。 そう、あたし、暗殺業をやってるの。 良ければ3割引きで……。」
「う、うわぁぁぁぁぁぁ! オレに近寄るんじゃねェ! 化け物女!」
「……は?」
名前を出した途端、男は蒼白になり飛ぶように逃げ出した。そして唐突に浴びせられた罵声に、あたしの頭はついていけなくなる。さっきまで、可愛いだの、綺麗だのってほざいてた口は、どこに消えたのよ。
ところで、化け物女……って、ナニ。
「ねえ、お兄ちゃん。」
「なに。」
「ムカつくんだけど。」
「オレに言われても困るんだけど。」
「いや、だからさ、お兄ちゃんにムカついてるんだってば!」
いきり立ってイルミの眼前に左手の甲を突きつけた。兄は、はて? とわずかに首をかしげる。(いや、この人の場合、地の表情のレパートリーが非常に少ないので実のところ何を考えているのかよく分からない。)
「これが何。」
「見覚えあるでしょう、この傷跡。」
そう、傷跡。今回の問題はそれだ。幼少時にできたカワイソウな古傷。その傷を作った張本人が、目の前にいるこの人というわけだ。
「ちっちゃい時、お兄ちゃんにナイフで抉られた跡なんだけど。」
「……ああ。 兄妹の楽しき思い出ってやつ?」
「いやいや、これ美化するところじゃないからね。 今日初めてナンパされたってのに、この傷跡のせいで化け物女だって馬鹿にされて逃げられたの! 確実にお兄ちゃんのせいだからね!」
「へぇ。」
兄は心底どうでも良さそうに相槌を打った。(これは本当にどうでもいいと思ってるな。)
ナンパ男は、この傷跡を見て明らかに態度を豹変させた。つまり、一般受けしないことが大いに考えられる。
思えばキズモノは、あまり愛でられる対象に入らないのではなかったか。もしもそうであるのならば、運命の王子様だってこの傷跡を見たら、あるいは……。
「あたしの、この一生消えない古傷のせいで結婚できなかったらどうしてくれるわけ!?」
「どうもこうも、そしたらどうしようもないんじゃない?」
「うわーん! 最低! ヒトデナシ! オニ! あたしの夢を返して!」
兄は「うーん」と取りあえず考えるフリをしている。(実際は何も考えていないに違いない。)
「そもそもさ、暗殺一家の娘が一般人と対等に付き合おうっていう前提に無理があるんじゃない?」
「そ、そんなことないよ! 素性を隠せば案外バレないし。」
「喧嘩とかした時に勢い余って殺っちゃったりするんじゃないの。」
「だから! あたしはそれがイヤなの! 殺しとかもうたくさん! 一般人はそんな事言わない!」
そんなもん? 兄は再び首をかしげる。あたしの運のツキは、この家に生まれ落ちた時点で終わっていたのだ。ああ、悔しい。人生最大の汚点だ。トイレに流し込めるなら流したい。
さっきの男は、ムカついたので細切れにして流してやったが。おかげでトイレが詰まったので更にムカついた。
「……だから、責任取ってよ。」
「今更そんな傷、時効じゃない?」
「あたしの心には新たな傷がついてるんだから! ね、ね、かっこいい人紹介してよ。」
「オレ、お前の求める一般人の知り合いなんていないけど。」
「ああ、もういいや。 この傷見ても引かないイケメンだったら。」
「…………。」
傷口に愛を注ぐ
170501