ようやく姿を現した男を両眼で捉える。頭のてっぺんから爪先にかけて、偽物ではない正真正銘のクロロだった。そうか、彼は幻想ではなかったのか。
クロロはあたしと、隣に横たわる死骸を見比べて何となく状況を読んだらしい。
「色々問いただしたいことはあるが、まずは風呂だな。」
涙の跡を拭われ、おもむろに髪を触られる。
あたしの全身に付着した血液は、既にパリパリに乾いた血糊になっていた。
「生臭いぞ、お前。」
衝撃的だ。そして、直接的表現すぎる。
やはりあたしの周囲には女子に優しくしようというまともな神経を持ちえた男は誰もいないらしい。血みどろなんだから仕方ないでしょう! こんなときにフローラルな香り漂わせる女なんて逆に気色悪いわ! とヒステリックに喚きたいところであったが、どうにも言い返す気力は湧いてこなかった。
呆けて立てないでいると、無理やり俵担ぎにされて浴室に連れ込まれた。クロロさん。どうせならお姫様抱っことか、もっとロマンチックな方法は取れなかったんでしょうか。
更に「お前のせいで、オレまで汚れた。」と文句をつけられたので無性に腹が立ってきた。知らねえよ、自分で勝手にやったくせに。
◇
泡風呂を提案したのはあたしだ。身体が綺麗になった途端に、生きる活力とやらを取り戻せてきたような気がする。
狭い浴槽の中で、一回り大きいクロロの身体にすっぽりと包まれて事のあらましを聞かされた。はたから見たら、まるで恋人同士のようだろう。
「……除念師を探してた?」
「あぁ、もう目処はついたところだ。」
「……ってことは、まだ除念出来てないってわけ?」
「そうだな。」
「はぁ!? クロロって、本当にバッカじゃないの!?
どうして、こんなところにのこのこやって来たのよ!」
言わば、彼は完全なる丸腰状態というわけだ。例えあたしの稚拙な念といえど、彼にとっては致命傷になり得るだろう。しかし、これで大義名分が完成してしまったのだ。
―― あたし、クロロのこと殺せちゃうじゃない。
ぽつりとこぼすと、クロロは目を丸くさせた。どうやら本当に想定していなかったようだ。
「え……? あたしに殺されるって、思いもしなかったの?」
「何故だろうな。 自分でも意外だが、正直言うと微塵も頭によぎらなかった。」
安易な自分自身に驚いているような声だった。やはりクロロは大バカ者だ。
「……ま、いいや。 しょうがないから、クロロが念を使えるようになるまで殺すのは待っててあげる。」
だって無抵抗の人間を簡単に殺したら、さすがに寝覚めが悪いでしょ?
まだ部屋には可哀想な遺体が転がっているので、非常に苦しい言い訳にしかならなかったのだが。けれど、クロロだってあたしなんかに易々と殺されたいとは思ってはいないだろう。
そして、ふと考えてみる。彼の失った能力とは、一体どんな物なのだろうか。
「そういえば、クロロの能力って何なの?」
それなりに付き合いは長くなるが、クロロの念について聞いたことは全くなかった。まず興味を抱かなかったためであるし、問いつめたところで彼が素直に吐くとも思えなかったのだ。
「他人の念能力を盗む能力だ。」
しかし、何故かあっさりと白状されたので必要以上に驚いてしまった。見逃すついでに、あたしが秘密を守るとでも思ったのだろうか。それとも、もう用無しだとあたしを殺す気になったのか。どちらでもいいけど。
それにしてもまぁ、傲慢で強欲なクロロらしい能力だ。
「なら、あたしの能力も盗む?」
「お前の能力を見たことがないから、何とも言えないな。」
なるほど、そうか。確かにわざわざ晒したことはなかった。そんな必要性も全くなかったわけだし。
「あたしのはね、これよ。」
念で具現化したピンク色の注射器を見せてやる。
「あたしの体内に取り込んだ毒をオーラに変えて、これで相手に注入してやるの。 まるで無駄な能力でしょ?」
「確かに、わざわざ体内に毒を取り込む必要も、注射器を具現化する必要もないしな。」
「そうなのよ。 あんまり実戦向きじゃないでしょ? でも、相手と密着すればする程有効よ。 オーラで針の強度が上がるから……。」
説明してから、墓穴を掘ったことに気付いた。……しまった。クロロがくつくつ笑ったのを背中で感じる。
「ならお前は、オレを殺るチャンスを今まで逃してきたというわけだな?」
「……ま、そうなるわね。」
彼はそれ以上を追求しなかったが、きっと丸ごと馬鹿な女だと思われたに違いない。
知ってるわよ、そんなこと。生まれてきた頃から。だって、あたしはゆっくりと咀嚼しないと物事を上手に飲み込めないんだもの。
「あーっと、……そういえばね、クロロが前に言ってた意味がようやく分かったの。
別れを惜しみたくないなら、ってやつ。」
一つ思い出したことがあったので、苦しまぎれの話題として使ってやった。
“愛別離苦”ってことでしょ?
愛する恋人を作ったって別れるときの苦しみを味わうだけだ、って親切にも教えてくれたのね?
そう言いつつクロロを流し見すると、彼はふいと視線を避けた。
「別に、お前の好きにすればいい。」
「もういいの。 懲りたし。」
なにせ、離れてしまう苦しみを味わったばかりだ。恋人なんて傍迷惑な存在は有り難くもなんともない。
でも、会うは別れの始めと言うし、どんなに願おうとも別れは確実に訪れるのだ。それならば、せめて生きているうちに人生を楽しまないと損じゃないか。
「だからね、クロロ。 別れを惜しみたくなるぐらいのキスをちょうだい。」
愛憎を込めてクロロを見つめると、戸愚呂、と名前を呼ばれ優しく唇を塞がれた。より彼を深く感じるため、瞼に想いの丈を全て閉じ込める。何度も何度も、今までの空白を埋めるかのように口付けを交わす。大きな手でそっと身体を引き寄せられ、ますます素肌が密着したので心臓がうるさいくらいに跳ねた。これじゃあ、クロロにはお見通しね。それでも構わない、とあたしはひたすらに彼との情欲に溺れた。
子供じゃないんだから、ハッピーエンドなんてこの世のどこにも存在しないってこと、もう分かってる。
だからこんな風に胸を焦がしたくはないけれど、出会った事実を取り消すことはもはや不可能だ。それならば、あたしは大人しく惚れた病に効く特効薬を待つことにするわ。
……別れが惜しくなるまでね。
真実の愛を、カモメへ
「愉快犯はカモメと踊る」end
170621