戸愚呂=ゾルディックという女は、大層面倒くさい。
こいつは女の嫌悪たる部分を集約させたようなオンナであり、美点こそすれ欠点ならいくらでも並べ立てられる人格の持ち主であった。我儘で甘ったれで、意地っ張りで無駄に自尊心が高く気分屋で移り気な性格をしており、世界が自分中心で回っているかのように高慢で不遜な態度を取ったり、気に入らないことがあるとヒステリックに騒ぎ立てたり、そのくせ人の話には微塵も耳を傾けず、放っておくと一人で好き勝手に喋り続けたり、時折ガキっぽく“一人称が名前”になっていることにも気付いていないし、いざそれを指摘すると「は? クロロの前であり得ないから、あたしは子供の頃にちゃんと矯正したもの。」と頑なにその事実を認めようとしなかったり。
その反面、他人に対しては驚くほど“お行儀”が良かったりするのだ。猫かぶりの演技とはいえ、一見愛想のいい戸愚呂の姿は飢えた男共から好印象に映るだろう。そんな彼女が腹立たしく、また気に食わない。
思い返せども、戸愚呂はオレに愛想よくしたことなんて一度もなかった。薄っすら思い浮かんだのは、彼女と初めて会話を交わしたときのことだ。逆毛立った猫のように、警戒心剥き出しの戸愚呂に“噛みつかれた”。そう仕向けたのは間違いなくオレなのであるが、戸愚呂という余白の中でオレはどのような立ち位置にあるのか……滑稽な疑問である。
「大体ね、童話の中のお姫様ってご都合主義なのよ。 だっておかしいでしょう? 彼女たちって成長したらみ〜んな美人になるのよ、ドブスな女だったら王子様の目に留まらないからって。 でもそれって最も残酷な話じゃない? 美人しか主人公になれないおとぎ話なんて、ブスな女の子の儚い夢を踏み散らすだけじゃんねえ。」
この頃の戸愚呂はやけに勉強熱心だ。現在もオレの足の間に図々しく収まり、『正しい恋人の在り方』と怪しげなタイトルの付いた詐欺まがいの本に没頭している。ちらと見えたページには“彼からお姫様扱いされるためには”という頭の悪そうな文面がつらつら記述されており、あろうことか彼女はその文字列を丁寧に指で追っていた。
そして戸愚呂が何にご立腹であるのか、その意味でさえまるで分からなかったのだが、確実に言えるのは彼女は努力する方向を間違えているということだ。戸愚呂との関係を円滑に進めていく方法をこれまでの経験から心得ているため、彼女が臍を曲げそうな言葉はおくびにも出さないが。何にせよ、こういう場合の戸愚呂は放っておくのが一番だ。
「クロロだって、あたしの身体目当てに近付いてきたんだもんね。」
「それは事実だから否定はしないな。」
「うわ、やっぱそうなんだ。 サイテー。」
そう軽口をたたきつつ、戸愚呂はオレに身体を預けてきた。彼女の体温や皮膚の柔らかさを直に感じ、身体中に張り巡らされたあらゆる神経が徐々に反応を始める。
やむを得まい。腹部に手を這わせ彼女を更に抱き寄せると、互いの身体は一分の隙もなく密着した。ついでに柔和な脂肪の塊が腕に触れたので、正味の話色々と辛くなってくる。こんな体勢を取っているのだから仕方がないのであるが、オレの中でじわじわ灯り始めてきた欲望と葛藤を戸愚呂は知る由もないだろう。時期尚早だ。恐らく、今手を出したらコイツは怒る。
その仮説を証明するように戸愚呂はこちらをやおら振り返ると、挑発的な眼差しを向けてきた。
「まぁ、あたしも他人に触れられて不快じゃなかったのはクロロが初めてだったから、別に良いんだけどね。」
お得意のこまっしゃくれた口調に、可愛げのない不敵な微笑み。こちらの気苦労も知らず、小憎たらしいヤツだ。
しかし、一体どういうわけなのか。わざわざタイミングを計ったり、コイツの機嫌に合わせたり、どうしてここまで譲歩する必要がある?
仮にオレがコイツに殺意を抱いてそれを実行に移そうとも、何ら不思議な話ではないだろう。何故なら動機は掃いて捨てるほどあるのだ。たとえ裁判を起こされたとしても、コイツのこれまでの非道の限りを耳に入れたら、きっと陪審員も仕事を忘れて思わず憐れみの声を贈ってくれるに違いない。
……いや、まずこんな想像を巡らすこと自体馬鹿げている。
「ねぇ、足から心臓にかけて少しずつ輪切りにしてくのはどう? じわじわ命を削られる感覚がして凄く良いと思うんだけど。」
そうこうする間に、戸愚呂の興味は“彼から愛されていると実感するには”という項目に移っている。脳味噌がふやけて溶けそうな題目だ。こんな筋違いの内容を、彼女が真に受けでもしたら堪らない。今すぐにでもこの出版社を誅殺すべきだ。そして、いくら暗殺一家の娘として特殊な教育を受けてきたからといって、すぐに殺害方法に結びつけるのは如何様なものか。
これも可笑しな話ではあるが、戸愚呂は日々“自分がどう殺されるのが一番快いか”を模索している。
「本当は毒で心中するのに憧れるんだけど、それだとあたしだけ生き残っちゃうだろうし。」
「毒に拘らなくとも“心中”する方法ならいくらでもあるだろ。」
「それがね、血の滲むような訓練の賜物だかなんだか知らないけど、困ったことにあたしって耐久性が異様に高いの。 毒じゃなくても、そう易々と死ねないのよね。 あと死ぬことに割と拒否反応が出るみたいだし。」
―― だからこそ、自分がどう死ぬのかが楽しみでもあるんだけどね。
―― でも、殺される相手はあたしが選びたいの。
ぺら、とページを捲りながら、戸愚呂は他人事のような響きで呟いた。つくづく変な女だ。
そして、彼女は思い出したように付け加えた。それは、まるで“何か”を滲ませたかのような声で。
「……ちょっと癪だけど、クロロはもう少し自惚れてもいいかもよ。」
―― 散々殺してやろうって思ってたのに、誰かの命が惜しくなったのって初めてだから。
そう、ぽつりとこぼした戸愚呂の眼差しが、わずかに愁いを帯びたのを見逃したりはしなかった。
これは、つい先日の話だ。“例の決闘”を終えたら、長期に渡り不在にする。そう簡潔に告げると、戸愚呂は「へぇ、仕事? 頑張ってね。」といかにも興味なさげな返事を寄越した。この会話だけ切り取ってしまえば、普段通りの何気ないやり取りに過ぎないのであるが。
だが、戸愚呂自身が「自惚れてもいい」と言ったのだ。ここで、素っ気ない素振りに隠された彼女の本音を掻い摘んでみたとしたら…………
……ああ、これだから。戸愚呂=ゾルディックという女は、心底面倒くさい。
もしも、戸愚呂がこんな面倒な女ではなかったとしたら。素直で従順な、扱いやすいただの女であったとしたら。懐かせるのも躾けるのも、他愛のない作業と化していたはずだ。このように、回りくどい労力を費やすことなど決してなかっただろう。
しかし、だ。
女々しい己の思想が嫌で、安易に認めたくはなかったが。自分勝手で小生意気で、けれどそんな性格に裏付けられた彼女なりの精一杯を知って。そんな面倒な戸愚呂だからこそ可愛いのだ、と思ってしまう自分がいることに最近になってようやく気が付いた。
そんな過程を辿っていくうちに、自然と戸愚呂の頬を引き寄せてその唇を塞いでいた。彼女が瞬時に身を固くしたのが分かったが、構わず深く口付ける。逃がさないよう頭を固定し、互いの唇を擦り合わせて柔軟な感触を味わう。温かいぬかるみに潜り込みたくて、僅かに開いた隙間から舌を差し入れると、彼女の肩がびくりと震えた。尻込みする舌を絡めとり唾液ごと吸いあげると、戸愚呂の鼻にかかったような声が聴こえてきて背中がぞくりと粟立った。
昂ぶる欲が抑えきれなくなる前に戸愚呂を解放すると、予想通り彼女は非難の視線を浴びせかけてきた。
しかし、唇は粘液でしっとり濡れているし、その色付いた頬に説得力はない。
「戸愚呂。 お前、やっぱりオレと来い。」
「……絶対にイヤ。」
「何故だ。」
「どうしていちいち言わなきゃならないの?」
「聞かなきゃ、お前が何を考えているのか分からない。」
そう真っ向から追求すると、戸愚呂は観念したように項垂れた。「クロロって本当に自己中だよね。」と聞き捨てならない不平を漏らしつつ。
「……だって、クロロがあたしより大切にするものの姿なんて目にでもしたら、きっと殺したくなっちゃうもの。
そんなつまらないことで、クロロとの関係を壊したくない。」
「……確かに、それは問題だな。」
同行を許しても、戸愚呂が頑として首を縦に振らない理由がようやく判明した。意外なことに、彼女にも欠片ながら嫉妬心というものが芽生えていたらしい。それに加えて、多少の思い遣り精神も。他の相手だったら煩わしいやっかみも、戸愚呂が相手なら話は別だ。
思わず頬が緩みそうになるのを何とか堪えて、彼女を抱き締める腕に力を込める。
「けど、どうせお前のことだ。 大人しく待ってはいられないだろう?」
「うん、そこは全くもって自信ない。 だって、海と不在は恋を洗い去っていくでしょう?」
「……それは遠回しな浮気宣言か?」
「来ない便りを延々と待ってる馬鹿な女になるよりは、ずっと良いはずだけど。」
―― でも、いつか死ぬときはあたしのことも連れて行って。
「それまで、戸愚呂のこと離さないでいてね。」
そう憂いの影を残した声を上げて、戸愚呂はオレに擦り寄ってきた。そんな彼女の姿に、全てを許されているのだと悟ると、殻を破ったように様々な感情が胸の内から溢れ出してくる。
「戸愚呂、」とだらしない声音で呼びかけつつ、返事の代わりに再度唇を寄せるも、どうやらその行動はお気に召さなかったようで「調子に乗らないで。」と顔を押し返されてしまった。照れ隠しにせよ、せっかく築き上げた雰囲気を台無しにされたら、男として立つ瀬がない。……やはり、これまでの発言は撤回しておこう。戸愚呂なんてちっとも可愛くない。
そして、―― 思った通り“一人称が名前”になっているじゃないか ―― と下らない思考が一瞬脳裏を掠めたが、ここにきて醜い喧嘩を始めたくなかったので余計な言葉は慎んだ。
……はぁ。これだから、戸愚呂の相手をするのは骨が折れる。
たまには、黙って抱かれてくれないか。
おとぎの国で生きたいの
180206