すっかり夜も更け、自分たちの足元には数え切れないくらいの酒瓶や空き缶が散らばっていた。当然の話であるが、辺りにはむせ返るようなアルコールの匂いが充満している。
 もはや何合酒を平らげたかなんて、正確に覚えているヤツは誰もいない。そんな数にも意味はないが、やはりその中でいち早く限界を迎えたのは戸愚呂だった。

「あ、戸愚呂のヤツ寝やがった。 汚ねェな。」

 泥酔状態となった戸愚呂はだらしなく床に寝転んで、何やら呪文のような無意味な言葉を呟き始めた。
 まるで覚えたての喃語を話す赤ん坊のようだ。それかサルだ。

「あー、仕方ないな……。」
「シャル、戸愚呂なんて転がしとけばいいよ。 害虫並みにしぶといから早々は死なないね。」
「……まぁ、でも戸愚呂も一応女だし。」

 汚いとか、害虫並だとか。フィンクスもフェイタンも、女である戸愚呂にさえおよそ容赦がない。こうやって心配する自分のほうがおかしいのではないか? と妙な錯覚に陥ってしまうほどだ。
 自分自身戸愚呂相手にフェミニズムを発揮しようとは思わないが、さすがにこの状況で放っておくのは酷だった。

「ほら戸愚呂、起きなよ。 もう帰ろう。」
「うん、……おっけーい。」

 ふにゃふにゃに崩れた戸愚呂を起こすと、彼女はかろうじて返事を寄越した。
 正直死ぬほど面倒に感じたが、この調子でフィンクスとフェイタンが情け心を出すわけもない。自分が貧乏クジを引くしかないだろう。

「じゃあ、オレ戸愚呂を家まで送ってくるから。」
「おう、そっちの処理は任せたわ。 オレ達はもうちっと飲んでくからよ。 戸愚呂が起きたら後片付けよろしく、って言っとけよ。」
「リョーカイ。」

 つくづく便利屋扱いされている戸愚呂だが、お人好しの彼女はフィンクスの言葉に何の疑問も抱かないんだろうな、とも思った。


 千鳥足になった戸愚呂を片手で支えながら帰路へと着く。
 本当は抱えて帰った方が手っ取り早いに決まっていたが、取り立てて急ぐ理由もなかったため戸愚呂のペースに合わせてやることにした。

「あ、あそこにもシャルがいるー!」

 戸愚呂は薬局の前に鎮座しているカエルのようなゾウのような大型人形を指差し、何がおかしいのかケラケラと笑い出した。

「世界はこんなにもシャルで溢れてたんだねえ。」

 ―― あー、良かったあ。
 と、間延びした意味不明な発言を残し、戸愚呂はなおも笑い続ける。
 酩酊状態の酔っ払いの会話に付き合うことほど不遇なものはない。おめおめ付き合わされるこっちの身にもなって欲しいものだ。

「ねぇ、どうしてシャルはあたしを置いてったりしたの?」
「どうして、って。」

 そもそも、“置いていった”に心当たりはなかったが、照らし合わせて考えてみると、恐らく“この間”の一件を示しているに違いなかった。
 別にオレとしては戸愚呂を置き去りにした、という意識はなかった。が、裏を返せば彼女は“そう”捉えていた、ということになる。

「アレは……ちょっと自分が情けなくなっただけだから。」

 今更言い訳してもどうしようもないが、一応返事だけはしておいた。
 肝心の戸愚呂は聞いているのかいないのか、「まぁ、人生そういう日もあるよねー!」と謎のフォローを入れたのだった。

 ◇

 ようやく玄関までたどり着くと、暗がりの中で湿った戸愚呂の瞳と目が合った。
 それは戸愚呂が陶酔しているから当然のことで。けれど、どこか期待を膨らませるような風情があって。

「シャル、脱がして。」
「…………は?」

 一瞬、全ての思考回路が停止した。
 戸愚呂の言葉の意味がまるで理解出来ない。その真意を確かめるべく彼女を凝視すると、彼女は視線を下にずらした。

「靴、自分じゃ脱げない。」
「……あぁ、靴ね。 はいはい。」

 一瞬でも“別のこと”が頭によぎった自分が愚かしい。
 確かに、女物の靴は留め具の着脱が面倒だ。
 しゃがんで戸愚呂の足に手を伸ばす。留め具を外す。間際にちら、と彼女の様子を窺うと意味もなく微笑まれた。
 ……勘弁してくれ。

 やっとの思いで戸愚呂をベッドに放る。こちらの気苦労をまるで知らない彼女は、そのまま安らかな寝息を立て始めた。
 能天気で憎たらしいヤツ。本当にムカつく。
 ……けど、…………。

 ベッド脇のサイドテーブルには、あの時のエメラルドが置かれていた。戸愚呂は、何故かこれを宝物だと言う。オレにはそんな彼女の思考が理解出来ない。随分と長い付き合いになるにも関わらず、だ。
 いや、だからこそ。かつてボロ切れを身に纏っていた戸愚呂の姿を知っている。屈託なく笑った戸愚呂の姿を知っている。一生懸命手を差し伸ばしてきた戸愚呂の姿を知っている。
 だが、知っているからといって、それが何だというのだ。

 ―― クロロって凄いんだね! 頭が良くって物知りなんだ!

 同時に、きらきら瞳を輝かせた戸愚呂の姿を思い出してげんなりとした。
 迂闊だった。淀んだ水面を安易に覗き込むべきではないというのに。

「戸愚呂、ごめん。」

 それが何に対する謝罪なのかも分からないまま、オレは戸愚呂の頬に手を伸ばした。すると、さら、と彼女の髪は揺らぐ。
 ……ああ、全く。このままではまるでダメだ。
 直ちにシャワーを浴びて頭を冷やそう。ついでに間違いを犯さないよう処理も済ませておこう。
 今のミジメな自分にはそれが必要だ。

180314