夏は苦手だ。

 現在、オレと戸愚呂は共に街路を歩いている。ジリジリと焼け付くような太陽光が鬱陶しい。アスファルトから揺らめくような熱気が立ち込めて、全身からは汗が吹き出した。紛れもなく、夏なのだ。上昇し続ける気温に抗う術はない。オレも、人並みに人間というわけである。
 こんな面倒事になってしまったのも、「一度でいいから水族館とやらに行ってみたい。」と戸愚呂が思いつきで言い出したことが発端だ。
 そんな興味本位にわざわざ付き合ってやる必要もなかったのだが、戸愚呂という女はとにかく口喧しいことに定評がある。これまで色んな女と関わってきたが、コイツほど自分勝手で落ち着きのない女は他にいなかった。まるで可愛げがなく、小生意気で口減らずで呼吸をするように文句を垂れるため、そちらの処理の方がよっぽど面倒だったのである。
 つまり、これは慈善活動の一環のようなものだ。

「今日も暑いねぇ。」

 戸愚呂は眩しそうに目を細め、ぱたぱたと服の襟元を扇いでいる。喉元には薄っすら汗を浮かべていた。
 ふと気が付いたのだが、真昼間に外界で彼女の姿を目にしたのはほとんど初めてかもしれなかった。
 “清楚なお嬢さん”を目指してきたらしい戸愚呂は、淡い水色のワンピースに身を包んでいる。レース生地の薄手の作りで、夏らしい装いだ。ついでに付け加えると化粧も普段よりは大人しめで、こういった格好をしていると年齢相応にそこらを往来する一般人ともそう変わらない印象を受ける。
 しかし、やはりどことなく目を引かれてしまうのは、彼女の血腥い生い立ちが原因なのだろうか。

 館内に辿り着くと、さすがに空調が完備されていることもあって、外気に触れている時のような不愉快さは幾分か薄れた。
 だが、目に付くのは魚よりも人の群れの多さだった。騒がしい親子連れ。杖をついた老人。年齢層は様々であるが、一番多いのはやはり男女の若いカップルだ。この暑苦しい中、こういう輩は決まって手を繋いだり腕を組んだりと“いかにも”な様子を見せる。正直うんざりした。

「クロロ、凄いね! あたし、イカが生きて泳いでる姿初めて見た!」

 そんな事もお構いなしに、開けた水槽の前で戸愚呂は子供のように目を輝かしてはしゃいでいる。(しかし何故イカだけに注目したのか、そのセンスの程はよく分からない。)

「意外だな。」
「ん、なにが?」
「お前がこういう場を素直に楽しめるなんて。」
「何それ、嫌味? てんで人でなし、みたいな言い方して。」

 失礼しちゃう、と戸愚呂は口上でむくれたフリをした。しかし、きょろきょろと忙しなく魚の動きを追うことも忘れない。すっかり雰囲気を満喫しているようだ。
 しばらく歩くと人通りが緩やかに減ってきた。人気のある場所と、そうでない場所があるらしい。

 蒼黒い水槽。深海でもイメージしているのだろう。照明を落とした暗がりの中でゆらゆら泳ぐ魚たちを眺めていると、真夜中の戸愚呂の姿をぼんやりと思い出す。幾度見ようが裸体には刺激を受けるし、性欲が尽きることはまず無い。
 淡い明かりに照らされた戸愚呂の横顔が、妙に白く映った。この服の下にはどんな物を身に付けているのだろうか。剥いて押し倒して自身を埋め込んでやりたいし、激しく穿って鳴かせてやりたくなる。
 戸愚呂の機嫌を損ねる事が大いに予想されるため勿論口には出さないが、こればかりは男の性なので仕方ない。
 だが、夏は日没までが長いのが難点だ。それまで待てないほどの青臭さはさすがに残ってはいないが、段取りとは非常に厄介なモノである。

「戸愚呂。」

 なに? とこちらを向いた戸愚呂の後頭部に軽く手を添え、唇に小さくキスを落とした。思わぬ不意打ちに、彼女は目を見開いて固まった。

「こういう、“いかにも”な事がしたくて来たんじゃないのか?」
「……ち、ちがうわよ!」

 明らかに動揺したような声。照れたような、怒ったような、戸惑ったような、そんな複雑な表情を浮かべて戸愚呂は困惑している。

「純粋に、魚を見に来ただけだから!」

 彼女はすっかり俯いて、別人のように大人しくなってしまった。こういう反応は案外悪く無い。彼女の手を引くも、嫌がる素振りは見せなかった。

「これからイルカショーがあるらしい。 観に行くか?」

 そう尋ねると、戸愚呂は声も出さずに頷くので思わず少し笑ってしまった。
 やはり、夏は苦手だ。

海底に埋もれた夜
(もしも「いつか王子様が」シリーズの
二人が普通のデートをしたら。)

170721