打ちっ放しのコンクリート壁から流れ込む外気が冷たい。砕けたガラスが飛び散った廃墟の中で、二つの影が間を詰め、あるいは広げながら闇に踊っていた。
一体、この不毛な攻防を始めてからどのくらいの時間が経過しただろうか。徐々に辺りは白み始めてきている。夜明けが近い証拠だ。
そして、いかんとも埋めようのない実力差が、如実に顔を覗かせ始めていた。
閃光のような鋭い蹴りが幾度となく頬をかすめそうになる。小さく舌打ちをしつつ、上体を捻って攻撃を避けた。追撃も紙一重で躱し何とか着地すると、無残にも限界を迎えようとしていた膝がぐらりと揺れた。世界が反転する。
当然彼がこの機を逃すはずもない。しくじりを悔悟するより先に背後から後ろ手に自由を奪われると、そのまま容赦なく顔面から地面に叩きつけられた。ぎりぎりと腕を縛り上げられて、ミリ単位ですら身体を動かせなくなる。鼻からどろりと生温い血液が垂れてきて気持ちが悪いが、それを拭うことすら許されなかった。
次いで左手を取られると、クロロは見透かしたようにせせら笑った。
「お前を離さないのはこの傷跡か?
……妬けるな。」
―― まるで思ってもないことを……!
悔しさで歯の奥がぎりりと鳴った。
あたしは声を失うのも、他愛もなくあぶくと消えるのもイヤだ。泣き寝入りなんて、何も出来ない馬鹿な女のすることじゃないか。しかし、この状態を打開する方法がまるで見つからない。
クロロは容赦なく続けた。
「楽しいか、道化を演じるのは。」
執事も、家族も、自分自身のことですらずっと偽ってきたというのに。この男は造作もなく全てを暴こうというのか。密やかなあたしの努力が水の泡と消えた瞬間、反吐が出そうになった。
「……悪趣味ね、あなたみたいな意地悪な人って大っ嫌い。 いいから早く殺してよ。」
これ以上の恥辱はもう沢山だ。どうせ効果はないだろうが、下から射殺すように睨み上げる。彼は黙ってあたしを見据えていた。そしてどこから取り出したのか、地面に白い箱を放った。小さく埃が舞うのと同時にあたしの拘束も解かれる。
「これを着て、19時までに地図に記したホテルのロビーに来い。
ゆっくり食事でもしよう。」
「……は?」
戸愚呂、きちんとめかし込んで来いよ。 そう言い残して彼の気配はどこかへ消えた。
言うなれば理解不能、である。そして現状なるは、完全なる敗北だ。内臓を掻き毟りたくなるほど腹がいきり立って仕方がない。あたしは伏したまましばらくその場から動くことが出来なかった。
ただ、柔らかな朝日だけが左手をじんわりと照らしていた。
溺死した人魚達
170529