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まだ夜明け前の、薄明の空の中。儚い蒼は淡く揺れていた。
目が覚めると隣には誰の姿も無かった。やけに冷静な頭で、やはりあれはただの幻覚だったのだろうと結論付ける。
幻でも成長を遂げた戸愚呂と再会できたことを喜ぶべきだろうか。それとも、すっぱり忘れてしまうべきだろうか。迷う意味がない。上に立つ人間らしく、男らしくケジメをつけるべきだろう。
それでも、まだこの余韻を味わっていたいと思う自分の本心には到底抗うことは出来なかった。いっそのこと、手を繋いで、抱き締めてしまえば良かったか。キスの一つでもしておけば良かったか。
こんなもの所詮は男の下心に過ぎない。どんなに気取ったところで本能には勝てないというわけだ。
満たされたような、それでいて渇いたような複雑な心境のまま寝返りを打つと、一つの物体が取り残されていることに気付いた。
大振りの、一枚の羽根だ。
戸愚呂が、置いていったのだ。
◇
ネクタイもスーツも着崩れてしまっていたが、そんなことは気にしていられなかった。
勢いに任せ扉を開くと、見張り番の部下がのん気に武器の手入れをしている姿が目に入った。刃の先を研磨でしきりに擦っている。そこには女の姿はない。周りには誰もいない。
―― もっと他にすべき事があるだろうに、コイツはまるで何も考えていないのか。
普段ならまず先に叱責するところだが、そんな間も惜しかったのであえて触れはしなかった。
「彼女……戸愚呂は!?」
「戸愚呂って、昨日ボスを訪ねて来た女性のことですか?」
「そうだ。 彼女はどこへ行った?」
「え〜と深夜くらいですかね、ひっそり出て行きましたよ。 確か、時間がないとか何とか言って。」
オレの剣幕が伝わっていないのか、部下はのんびりとした調子で答えた。
「でも、言伝だけはちゃんと預かってますよ。
『また徳を積んだらきっと会いにくるから。 それまで元気でいてね。』だそうです。 “徳”って、一体何のことですかね?」
人助けをするとか? 人に優しくするとか? 罪を浄化するとか? 今更考えたところで仕方ないですけど。
でもカノジョ、儚げな雰囲気がなんかイイですよねー。 妙にそそるというか。
あ、もちろんボスの女を寝取ろうなんて間違えても考えたりはしてないですがね!
そんな部下のくだらない話は耳にも通らなかったが、証言から判明したことはある。
戸愚呂は確かにここに居たのだ。夢でも幻想でもなく、“戸愚呂”として。
血も通っていないのに、握りしめた地走鳥の羽根は仄かな暖かさを有していた。まるで、戸愚呂がすぐ傍にいるかのように。
―― クラピカ。
耳の奥に残っていた戸愚呂の声が蘇ってくる。ひどく優しくて、残酷なほど暖かくて。柔らかい、彼女の声。
昨晩、意識が途切れたとき。思考の裏側で確かに彼女は言わなかったか。
“出来ることなら、一緒に歳を重ねていきたい。でも、多くは望まない。”
“過去より今がずっと大事。クラピカの声を聴けたら、ただ生きていてくれたら、それだけで幸せ。”
―― だから、…………
彼女の言葉を思い返そうとした次の瞬間、何かが霧散して大気へと融けて消えた。反射的に正体不明の何かを掴もうとするも、その手は呆気なく空を切るだけだ。
目を凝らそうにも何も見えない。物体と物体の境界線が明瞭に引かれているだけだ。
ただ、周囲には透き通った蜂蜜色の輝きが充ち満ちていた。
「……戸愚呂?」
呼びかけても当然返事はない。だが、何となく彼女は笑っているような気がした。何故なら、胸の内は未だ暖かいのだ。
それと同時に無性に淋しさを覚えたが、これは一時的なものに過ぎないだろう。人生において、戸愚呂に再会するという目標が一つ付け加えられた。それだけで十分だった。
「……きっと、いつかまた会おう。」
深く、根を張るように。彼女の幸福論は世界に溶け込んでいる。
世界に、瑞々しく溢れている。
「 幸福論 」
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