シャワーの栓を捻ると全身にお湯が降り注いだ。雫が傷口に染みてじくじく痛み出す。幸いなことに鼻血はすっかり止まっていた。あとは痕が残らないことを祈るばかりだ。
 浴室から出てタオルで頭をごしごし拭っていると、件の箱が目に入ってきた。せっかく埃を落としてさっぱりしてきたばかりなのに、じとりと背中に嫌な汗をかく。
 ヤツの目的は、十中八九報復だろう。しかし殺ったのはあたしではない。……取り逃がしただけだ。あたしが恨まれるのは御門違いだが、ヤツはあたしが悲痛にもがく姿を見て愉悦に浸りたいと思っているに違いない。
 ……まさかとは思うが、爆弾でも入っているんじゃなかろうか。それであたしは木っ端微塵に吹き飛んで、物語は無事完結。みんな幸せに暮らしましたとさ。どんな事があっても悪党の意志はゴミのように捨ておかれるだけ。しかし勧善懲悪とはそういったものだ。
 確かめてみるが特に念でギミックが込められているわけでも無さそうだ。おずおずと箱を開けると、中には簡素なブラックドレスが入っていた。肩が出ているショートデザインだから決して野暮ったくは見えない。が、あたしは華やかな色彩で着飾るのが好きだ。ヤツはまるであたしのことを理解していない。何がめかし込んで来い、だクソ野郎め。
 愚か者を笑うように試しに身につけて鏡越しに見やると、あたしのためだけに誂えられた物のようにしっくりと合わさっていた。正直、今まで選んできた物の中で一番似合っている。今なら王子がガラスの靴の合う女探しに躍起になる理由にもうなずけるかもしれない。

 しばらくあたしは鏡の前から動くことが出来なかった。


 指定された場所は、世間でも名の通った高級ホテルだった。利用客は羽振りの良さそうな富裕層ばかりだ。
 しかし殺し合いまでした男と、どの面を下げて仲良く食卓を囲めというのだろうか。思考回路がまるで理解できない。もしやショート寸前なのではなかろうか。ムーンライト伝説だ。
 クロロは黒のタキシードに身を包んで、見事周囲に溶け込んでいる。いや、むしろ浮いているのか。通り過ぎる女たちがチラチラ彼に視線を投げかけているが、いかんせん彼は興味なさげだ。
 あたしは仕方なく、昨夜食べ損ねたボロネーゼを注文した。

「ねぇ、マイペースだってよく言われるでしょ。」
「いや?」

 絶対に嘘である。自分のペースを崩さないで、自分の優位に事を運ぶ。周囲を巻き込んで目的を達成。頭がいいことは確かだろうが、何しろやり方が卑劣だし汚らしい。
 こいつ裏で陰口叩かれてるタイプだよ、きっと。

「やはりよく似合っているな。」
「……え?」
「そのドレスだ。」

 どうして馬鹿正直にこんな服を着て来てしまったのだろう。いや、まず素直にこの場に来たのが間違いだった。視線を飛ばされて、急に気恥ずかしくなった。まるで意味はないだろうが、慌てて誤魔化しにかかる。

「そ、そんなことはどうだっていいから、あたしの質問に答えて!」

 クロロと出会ってから、危うい不意打ちを食らってばかりである。彼は淡い笑みを含みながら「どうぞ。」と一言。既にあたしの目論見はバレているようだ。

「名前は?」
「クロロ=ルシルフル。」
「年齢は?」
「20歳。」
「職業は?」
「盗賊だ。 駆け出しのな。」

 既出のデータばかりで話が全くもって先に進まない。あぁ、しまった。あたしは昔から緻密に頭を使う計算が苦手だった。
 生唾を飲み込みながら、思いきって核心に触れた。あたしだって時に緊張ぐらいする。

「どうして、こんな回りくどいことをしたの?」
「お前が好みだった。」
「……それだけ?」
「それだけだ。」

 はあぁ、何だか拍子抜けだ。だったら、他にもっとスマートな方法があったんじゃないでしょうかねぇ? え? 簡単に手に入るものは詰まらない? そうですか、そうですか。 あたしの意志はまるで無視ですか。 もう知りません。
 気が抜けて、たちまちテーブルに突っ伏して顔を覆いたくなった。食欲もすっかり失せている。しかし淑女として人目を憚かる行動を取るのは気が引けた。仕方なしに、遊ぶようにフォークでスパゲティをつつく。

「もう食わないのか?」

 するとクロロはそんな的外れなことを言っている。……あぁ。なんか、もう、どうだっていいや。どうせあたしの完敗だし。確かにこのボロネーゼは美味しいし。

「はぁ……。 どうしてあなたなんかと出会っちゃったんだろう。」
「さぁ?」

 運命なんじゃないのか。
 彼は素知らぬ顔をして答えた。まるで適当であるし、非常に心が込もっていない。ここまであたしばかり惑わされているなんて馬鹿げている。
 なんだか考えるのも疲れてきたし、ミントアイスでも頼もうっと。あたしがウェイターに注文するとクロロは有り得ない、とおもむろに嫌そうな顔をした。
 あ? こちとらテメーの好みなんて知ったこっちゃねえんだよ。
何せミラクル・ロマンス
170602