最悪だ、と思ったのは視界がぐわんぐわんと蠢いたからだ。幾度もの修羅場をくぐり抜けてきた経験から確信する。診断名は“二日酔い”で間違いあるまい。
いや〜、確かに昨晩はいささか飲みすぎたもんなあ。さすがに調子乗ったわ。飲むだけ無限にアルコールを吸収してしまうこの身体が憎い。でも決して反省は致しません。
さて、冷静に状況を確認してみようか。視線を四方に動かしてみるが、ここはマイホーム、そしてマイベッドで間違いなさそうだ。
しかしまぁ、不思議なこともあるものだ。
いつのまに帰宅して、いつのまにベッドで寝て、いつのまに夜が明けていたのか。まるで覚えちゃあいない。
昨晩は途中から記憶が薄れたけど、薬局前で異彩を放つカトちゃんだかサトちゃんを見て爆笑した覚えがあるので、恐らくはそれなりに楽しんだんだろう。けど、ちゃんと家に帰ってこれたんだから関心物じゃないか。
化粧を落としていないせいで顔がどろどろなのと、身体からはアルコールとフィンクスの煙草の臭いがしたので確実に女子力は減ったでしょうけど。でも、おちおちそんなことを気にしてはいられない。
それに、二日酔いと言っても多少の頭重感と視界が揺らぐぐらいで、吐き気にまで及んでいないからマシな部類に入るだろう。この症状もしばらく時間を置いたら緩和するはずだ。うむ、ポジティブに生きていこう。(きっとあたしの肝臓はハンカチを握りしめて「私のことはどうだって良いのね!? だったらアナタの好きにすれば良いじゃない!」って言いながらむせび泣いてるんだろうけど。“沈黙の臓器”なんだから、どうかそれらしく泣き寝入りしててちょうだいね。)
ここでふと、コーヒーの芳しい香りが鼻先を掠めた。
カレーとかもそうだけど、コーヒーも例外ではなくて、嗅覚を刺激されるだけで「あー、コーヒー飲みたいかも。」と思ってしまうのは一体どういったメカニズムなんだろうか。脳からの指令か。そこにシナプスは関係あるのか。無いのか。学が無いからよく分からない。
けど、摩訶不思議なのはあたしはコーヒーなんて淹れた覚えはない、ということだ。こんなリアルなコーヒーの幻臭に悩まされるほど飢えてもいないはず、なのだ。
実を言うと最近コーヒーメーカーなる便利用品を手に入れたものの、説明書に目を通した時点で電源を入れることすら諦めたのだ。バイト先でわざわざコーヒー豆を買ったのに、未だ活用せず封すら開けていない。(自助努力は嫌いだから、誰かが来たときに起動してもらおうと思ってたの!)
はて、あたしって夢遊病の気なんてあったっけ。未来の世界のネコ型ロボットを雇った覚えはないし、あたしは未だにのぶ代を引きずっているし。あたしに念を使う才能があったなら、是非とも四次元ポケットとやらを発現させてみたいものだ。そしたらクロロの“盗賊の極意”なんて目じゃないはずだ。あたしがクモ次期リーダーになったって何らおかしくはない。
……って、夢物語もいいところなんだけどね。朝からこんな妄想に耽るなんて、成人女子として痛すぎる。そうだ、もっと賢そうなことを考えよう。コーヒーメーカーのことよりも、シュメール人のことについて考えよう。
「あ、起きたんだ。 おはよう。
戸愚呂もコーヒー飲む?」
「えっ……と、おは、よう……? 飲むよ……?」
そんな風に下らないことを考えていたら、予想外の出来事に思考が緊急停止した。ただでさえ寝起きで頭の回転が鈍っているというのに、とんだ不意打ちを喰らってしまったものだ。
キッチンからひょっこり顔を出したのはドラえ……ではなく、シャルナークだった。何故シャルがここに? という疑問が一瞬芽生えたものの、ままあることなので気にしないことにした。こんなことでいちいち驚いていたら、こちらの身が保たない。
シャルはあたしが早々に見限ったコーヒーメーカーを易々と使いこなしているようだ。……普通にすげえ。
「戸愚呂さー、ろくに説明書も読まずに使うの諦めただろ?」
「あぁ、うん。 時には諦めることも必要だ、って安西先生が……。」
「新品のまま放置とか、宝の持ち腐れだよ。 あ、そういやシャワー勝手に借りたから。」
「……あぁ、はいよー。」
シャルはあたしにマグカップを手渡しながら、悪びれる様子もなく言った。
コーヒーメーカーに続いてシャワーまで? シャルよ、キミは本当に遠慮というものを知らないんだな。そして今気付いたが、キミが着てるそのTシャツも何だか見覚えがあるぞ。入手難度がかなり高かった伝説のロック・ギタリスト限定仕様のやつじゃなかったか? あたしがそれを手に入れるのに、どれ程の労力を費やしたか知らないわけじゃないよね? ええ?
……まぁ、別に良いけどさ。入手するの手伝ってくれたのはシャル自身だし。
「っく、それにしても凄い顔だね。」
「…………。」
シャルはあたしの顔を一瞥すると、手の甲で口元を押さえ小刻みに震え始めた。どうやら笑いを堪えるので精一杯なようだ。
辛うじて吹き出さなかったことは褒めてやるけど、およそレディに投げかけていい言葉ではないだろう。
単純に寝起きなのと、化粧を落としていないせいで脂が浮いているのと、多量飲酒のせいで顔がむくんでいるのと、ヘアセットもおざなりなものだから、シャルが言うように“凄い顔”になっていることは安易に想像はつくけども。
でも、何だかあたしの中にある女子力ゲージが(ただでさえ低下しているのに)ごりごり減ってるような気がするのは、多分気のせいではないよね?
「……さすがにそうやって笑われると傷付くんだけど。」
「ごめん、ごめん。」
全く謝罪をする気がなさそうなシャルは、尚も笑いやがったのでかなりムカついたけど、その反面どこかで安堵してしまっている自分がいた。
180717