シャルの淹れてくれたコーヒーは大層美味しかった。
コーヒーメーカーを使ったんだから誰が淹れたって同じ出来栄えになるのかもしれないけど。でも、やっぱり何だか違う気がする。その違いを上手く説明できそうにはないけれど。
強いて挙げるとするならば、何となく、あの感覚に近い。使い古した毛布に包まれているような、そんな安心感に似ている。ずっと側にいて、身体に合わせてぴったりと寄り添って、確実な安らぎをもたらしてくれる。何も言わずともあたしのことを一番理解してくれる。
そんな存在だからこそ、シャルの淹れてくれたコーヒーは“当然”美味しいに決まっていた。
つまり四次元ポケットを持つロボットより、よっぽどシャルのほうが頼りになるというわけだ。
コーヒーを一杯飲んだら、頭がしゃっきりとしてきた。
すると、どうだ。途端に自分の身なりが気になりだしてきたではないか。なにせ、先程ヤツに笑いを噛み殺されたばかりなのだ。センチな乙女ゴコロとしてはかなり複雑な気分である。
試しに顔を洗ってみる。浮いた油分があらかた落ちたので大分マシになったが、今度は髪や身体に染み付いたアルコールや煙草の臭い(どうしてもフィンクスを連想するので気分は最低最悪になった)が気になり始めてしまった。
この臭気を落とすにはシャワーを浴びる以外の選択肢は無いだろう。ファブリーズをかけたところで効果はたかが知れてるし。……やれやれ。
脱衣所で衣服を脱ぐときにふと同じ部屋に“男”がいることが気がかりにはなったけれど、考えるだけ無駄だと思いやめた。
だって、そもそも、第一、シャルだし。何も気にすることはない。
あたしが一番自然体でいられるのはシャルの前だけだ。
爽快なシャワーを浴び終えると、完全に脳細胞が目覚めた感じがした。感覚、って表現するよりは“感じ”っていうかんじ。
うん、朝風呂って清々しくて良いね。中々気に入った。わざわざ習慣化するほどではないけど。
だらしのないあたしの髪からぽたぽたと雫が垂れて床を濡らした。タオルで拭うも、さらにぽたりと一つ落ちる。……のでキリがない。
まぁ、いいか。さして影響はないだろう。どうせ自然に蒸発するのだ。
このまま“自然”に流れを任せよう。これは単なる“面倒くさい”の言い換えだけど。
◇
シャルはしばしの間まどろんでいたのか、瞳を閉じてじっとしていた。
そういえば自分のことでいっぱいだったから考えもしなかったけど、シャルは昨晩寝なかったんだろうか。
ベッドはあたしが占領していたはずだし、このソファはシャルが寝るには少しばかり小さい。もしそうだとしたら、夜の間中シャルは何をしていたのだろう。
夜に眠れないのは、中々に堪えるだろうに。
あたしの気配に気付いたのだろう。閉ざされていたシャルの目蓋がゆっくりと開いた。誰にも言ったことはないが、どんな宝石よりシャルの翠玉のような瞳が好きだ。
シャルはあたしの恰好を見やると、かすかに笑った。
「……なにそのダサいジャージ。 フィンクスみたい。」
「あ? 女子が全員ジェラピケ愛用してると思うなよ。 これ上下で980ジェニーの掘り出し物なんだから。 安いけどめっちゃ丈夫なんだぞ舐めんなよ。」
ふぅん、とシャルは退屈そうな返事を寄越した。いや、そう興味もないなら聞くなよ。腹立つなあ。
やはりシャルは眠気と戦っているようだ。だって、塩をまいたナメクジみたいにしょぼくれて見えるんだもの。
「そういや、昨日はシャルがあたしを連れ帰ってきてくれたの?」
「オレ以外に誰がいると思う?」
「……天才的なあたしが帰巣本能に基づいて颯爽と帰宅した、とか?」
「酔っ払ってぐにゃぐにゃになってたくせに、よく言うよ。」
「はい、ごめんなさい。 大変ご迷惑をおかけしました。 いつも感謝しております。
でも、珍しく優しいじゃん。 なに? 何か見返りでも要求するつもりだったの?」
「だって戸愚呂を一人にして帰ったら孤独死とかしそうじゃん。 オレ、戸愚呂の死体の処理とかしたくないし。」
「なんだ、やっぱ打算なんじゃん。」
そう言っていつもの調子で笑いかけると、シャルは曖昧な笑みを浮かべて頷いた。
あれ、これは一体どうしたことだろう。この反応は予測していなかった。普段の軽薄なシャルとは、少し様子が違う。
あたしの戸惑いを察したのか、シャルは急くように「それじゃ、」と腰を上げた。
「戸愚呂の無事も確認したし、そろそろ帰るよ。」
「えっ、何で? まだ良いじゃん。 あたしの体調もフリーザ様並みに復活してきたし、お礼にご飯でもご馳走するよ。
眠いならベッドも貸すし! いくらでも寝て良いよ!」
「や、今日はいいよ。」
静かに、けれどきっぱりとシャルは言った。
何も寄せ付けたくないと言わんばかりの、切り捨てるような響き。どういうわけか、胸がざわざわとした。
「これから何か用事でもあるの?」
「……いや、そういうわけじゃないけど。」
―― けど、
―― なんていうか、
とシャルは歯切れ悪く続けたあと、今度はやけに苦々しい顔をした。
「色々つらい、っていうか……。」
「……え!?」
シャルがつらい、だなんて。あたしに向けてそんな弱音を吐くだなんて。よっぽどの事態に違いない。
やはり無理をさせていたのかもしれない。いくらあたしより頑丈に出来ているとはいえ、シャルだって生身の人間なのだ。あたしの世話を焼いて疲れてしまったのかもしれない。実は二日酔いに苦しんでいたのかもしれない。はたまた単に眠気がピークに達しているだけかもしれないけど。
「大丈夫? 頭でも痛むの?」
心配になってシャルの顔を覗き込むと、苛立ったような、張り詰めたような、そんな余裕のない翠玉と目が合った。
180722