「精が出るな。」
それは、あたしがすごすごとゴミの後片付けを始めようとしていたときのことだ。
地面一帯に転がる酒瓶・空き缶。想像を絶するような惨状に、あたしはまず言葉を失った。ショッキング映像とは正にこのことか。いくらコンクリートが剥き出しの、愛らしさが一切ないアジトだとしても、この散らかり具合は余りにひどいだろう。(唯一“可愛い”と思えるのは、あたしが密かに育てている“クロロちゃん”くらいのものだ。)
足を一歩踏み出すと、爪先に当たった瓶が“かちゃ……”とあからさまに悲壮感漂う声を上げた。「どうしてアタシを置き去りにしたのよ! 楽しむだけ楽しんで後はポイッ、だなんてろくでもない連中ね!」とでも言いたげな風情だ。……いや、知らねえよ。本当は空き瓶の気持ちなんて知らねえよ。何で無機物の気持ちに寄り添わなきゃならねえんだよ。こうしてあたしが代弁する意味も分からねえよ。「ごめんなさい、空き瓶さん。あなたを守ってあげられなくて……。」なんて素面で言っちゃう頭のおかしい女にだけはなりたくねえんだよ。
しかしまあ、そんなことはさて置き、だ。これは本当に少人数で、そしてたった一晩で平らげた量なのだろうか。どう考えてもアルコール過剰摂取で誰かしら死んでてもおかしくないと思うのだけれど。……ま、訃報は届いていないから大丈夫か。(この様子から察するに、どうやら後からノブナガとウボォーも合流したらしい。単細胞な強化系って後先考えずに散らかすからマジでムカつくよね!)
つーか、やっぱこれいちいち全部片付けんのめんどくせえな。
フェイタンの能力でアジトごと燃やしたほうが手っ取り早いんじゃねえの? と大人としてイケナイ考えが脳裏をかすめてしまったほどだ。(そしたらゴミの分別もしなくて済むしね。)
そう所帯くさく、ゴミ袋片手に立ち尽くしていたあたしに対し、冒頭のように揶揄してきたのは他でもないクロロだった。(しかも何故か爽やか風味な出で立ちでの登場だったので、いよいよ意味が理解出来なかった。)
……あー。はいはい、キミは昨晩楽しめたんですね。出すもの出しきったって感じの爽やかな顔つきしてやがってよ。こちとら二日酔い明けでナーバスになってる上に、酒宴の後片付けまでしなきゃならない状況に陥ってるから、その“落差”に煮え切らない思いを抱くんですけど。
そして、だ。
クロロは空気が読めない。それも物凄く。
あたしが熱烈な“団長、手伝ってよ”光線を飛ばしても、意にも介さず瓦礫の上に腰を下ろした。そうして、自然な流れで懐から本を取り出したではないか。ほう……。憐れな戸愚呂を手伝おうという意志は完全に無いというわけか。お前のような人でなしは、痔にでもなって惨めな苦しみでも味わえば良いんだ。
そして、再度ここに宣言しようと思う。
―― クロロは空気が読めない。それも、物凄く。
「戸愚呂。 お前、シャルに何をしたんだ?」
―― 珍しく落胆してたぞ。アレはもう立ち直れないかもな。 続けざまに、クロロはそう言い放った。
“ゴミ”について頭を一杯にして、まるで始めから何事も無かったかのように“今朝の出来事”を忘却しようと努力していたというのに、クロロのせいで鮮明に記憶が呼び起こされてしまったではないか。
そして、身体の芯が一気に熱くなった。何故、クロロはこうも人の弱味に付け込むのが上手いのだろうか。
けれど、クロロの思うがままに反応を示すのは癪だ。あたしは一旦虚勢を張ることに決めた。
「どうして、あたしのせいだって思うの?」
「昨日の今日で、お前以外の原因が特に思い当たらないからな。」
「……あっそう。」
ただ、虚勢とは見せかけばかりの強がりでしかないのだ。
“シャル”は、今朝のことを後悔しているのだろうか。
「もしかして、シャル……何か言ってた?」
「気になるか?」
そんな当然のことを、意地悪く聞いてくるクロロに腹が立った。
「ひどい! 第一、クロロが言い出したくせに……!」
「ふむ、お前でも思い悩むことがあるんだな。 新たな発見だ。」
「う、うるさいよ! っていうか、人を頭空っぽの能無しみたいに言わないで!」
「別にお前を卑下したわけじゃないさ。 お前のその性格は短所でもあるが、転じて長所にもなるだろう?
それに、助言が欲しいならくれてやる。 お前の求める解答になるかどうかは分からないがな。」
この状況では、明らかに優位に立っているのはクロロの方だ。上から目線で物を言われるのには釈然としなかったが、クロロにはとうの昔にお見通しなのだろう。
「助言は要らない、から……。 その……。」
この提案を切り出すのには、それなりの勇気を絞り出さなければならなかった。
「手、……繋いでみても良い?」
「……何故だ。」
「……確かめたいから?」
一瞬怪訝そうな表情は浮かべたが、あたしがめげずにそう続けると、クロロは黙って手を差し出してきてくれた。あたしより一回り大きくて、一切を委ねることが出来る力強い手だ。
―― クロロ。
あたしのすきなひと。あたしの憧れのひと。
クロロという存在が無ければ、きっと“あたし”という人間は成立しない。クロロはそのぐらい大きな価値を占める、あたしに取って無くてはならない人物だ。意地悪だし、横暴だし、我儘だし、腹が立つこともいっぱいするけれど。
クロロ……。暖かい。優しい。安心する。だからこそ、二人の間に流れるのは規則的な鼓動だ。
クロロの手を控えめに握ると、彼は何かを察したようだった。
「なるほど、読めた。」
「……何がよ。」
「いや、こっちの話だ。」
クロロだけが冷静に状況を俯瞰して、当事者を置いてけぼりに勝手に納得するのはやめて欲しい。
けれど、クロロのおかげでささやかな日常があることに気付かされたのもまた事実だった。
口では「面倒だ」と言いながらコーヒーメーカーの使い方を教えてくれたのも、あたしの羨望の眼差しに気付いてダンスのパートナーとなってくれたのも、当然のように「好きだろ?」ってワインを差し入れてくれたのも、あたしの取り留めのない愚痴を聞いてくれたのも、初めて見返りを求めないプレゼントを贈ってくれたのも、振り返ってあたしがはぐれていないか確認してくれたのも、廃棄物の中から“あたし”を見つけ出してくれたのも……。
思い起こせば、それは、ぜんぶ、ぜんぶ、シャルで。
シャルとの思い出で。
筆無精者が多くて、何ヵ月も平気で連絡を取り合わないなんて団員間でも当たり前のことなのに、シャルに数日会えないだけで不安になって、何か面白いことがあるとまずシャルに話したくって、時には下らない喧嘩もいっぱいしたけど、あたしの一番の宝物は、シャルから貰ったエメラルドだ。
シャルの、エメラルドだ。
そんな些細なことに今頃になって気付いて。
―― 今、無性にシャルに会いたいと思った。
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