トリレンマにご注意を

 うっすら雪化粧の残る街並みは、未だに寒々と凍えていた。
 今日の朝食は、トーストとオムレツ、トマトとレタスのサラダ。それと、カフェオレも仲間の末端につけ加えた。いつも通り旧式のテレビを点け、お天気お姉さんの戯れ言に耳を傾けながらも、テーブルに並べたそいつらの急所めがけてフォークを突き刺した。ぐったりと抵抗もしない身体を口に運んで咀嚼をする。……しかし、これはどうしたことだろう。ちっとも美味しくないではないか。
 トーストは焼けすぎて焦げ気味だし、半熟のとろとろ具合を堪能しようと思っていたオムレツは火が通りすぎて硬くなっていたし、トマトとレタスは日を置きすぎてすっかりしょぼくれた風体となっていた。カフェオレは、ぽつねんと情けない顔つきをしてオレを見つめている。何だ、お前までオレに言いたいことがあるのか。

 “あの日”から、やることなすこと失態続きだった。仕事で注文を取り違えたり、数を間違えたり、食器を落として割ったり、同僚たちはそんなオレの姿を見て「プー助でも失敗することってあるんだな。 珍しい。」と好意的な驚き方をしてくれたのだが、オレは後になってさすがに少しへこんだ。しかしながら、朝食まであっさり毒牙にかかることはないだろう。朝の神聖な儀式の一つだぞ。
 自慢ではないが、オレは大抵どんなことでも器用にこなすタイプだ。勉強も、仕事も、家事も、スポーツも、細々した金銭のやり繰りでさえも。(それ自体が悪いことではないが、器用貧乏という言葉があるように全てがプラスに働きかかるわけではない。時に無用な仕事を押し付けられたり、人からわけもなく頼られたり、損することも多くあったからだ。)
 ゆえに、“朝食作り”に失敗するなどという出来事は、オレの中では死んでもあり得ないことだったのだ。
 わざわざ指摘されずとも、重々承知している。原因は判明しているのだ。それがオレの脳内を支配して、何も手につかなくさせている。
 胸の奥深くに閉じ込めた“マチさん”というキーワードを思い出し、ふいに全身が熱くなった。そんな反応を示す自分がこの上もなく気持ち悪い。
 駄目だ、こんなことではいけない。これから仕事に赴くのだから、一層身を引き締めていかなければ。

 ◇

「あ〜、分かる〜。 オムレツって丁度よく火を通すの難しいよねぇ。 でも固焼きも良いと思うんだよね〜。 あ、あたしチーズ入れたりするのも好きだなぁ。 そんでソースとかも色々凝ってみたりするんだけど、最終的にはやっぱりケチャップに帰るよねぇ。 マヨネーズも美味しいと思うけど、マヨネーズはブロッコリーに限るし。」

 戸愚呂さんはすごい。とにかくすごい。この人はどうやら“人類みなお友達計画”を遂行中であるらしく、誰に対してもこうして親しげに話しかけてしまうのだ。堅物の店長にも、通りすがりのおばあさんにも、道行く柄の悪そうなオニイチャンにも、自分ではっきり自覚できるほど愛想のないオレに対しても。臆することなく平等に。
 対人関係を一番疎かにしてきたオレに「プー助くん、今日は一段と元気がないね。」といの一番に声をかけてきたのは戸愚呂さんだった。オレはオムレツの出来が酷いものになった、と返事をした。戸愚呂さんは「あー、分かる分かる。 オムレツに関して言えば、あたしも満足いく結果を残せたことないもん。」とオレの返答に納得したようだった。非常に実りのない会話だ。きっと、いや確実に、普段のオレだったらここで話を打ち切っていたと思う。
 けれど。けれど今は、心にわだかまりを残していたくなかった。オレの人生を惑わす感情に一刻も早く清算をつけて、亡き者にしたかった。……思いきって、“彼女”について聞いてみようか。

「その、唐突にすみません。 この間来てた女の人って、戸愚呂さんのお友達なんですか?」
「うん? マチちゃんのこと? お友達……お友達……うーん、まぁ、そんなようなもんかなぁ。 昔からの腐れ縁っていうか。 切っても切らせてもらえない仲?」

 ―― 簡単に言うと、家族より繋がりの深い他人って感じかな。
 と、戸愚呂さんのその不思議な言い回しは、何か特別な意味を含んでいるようだった。そのため、オレはあえて言及するのをやめた。何かしら踏み込んでいけない理由があるのならば、安易に首を突っ込むのは良くないだろう。
 だが、彼女はおどけつつも話を続けてくれた。

「でもね、マチちゃんって怒ったら鬼婆みたいに怖いんだよ。 絶対マチちゃんって“埃が隅に溜まってるわよ、ちゃんと掃除なさったの?”って目を光らせながら嫁いびりするお姑さんになるタイプだと思うんだよね。」

 どうやら、戸愚呂さんはこの間彼女からこってり絞られたらしい。“マチさん”に対し完全に腰が引けていた戸愚呂さんの姿は記憶に新しい。(勝手な想像をするに、お調子者の戸愚呂さんが何か叱責されるようなことをしでかしたのだろうけど。)

「で、そのマチちゃんがどうかしたの? あ! まさか無銭飲食でもした? それとも、図々しくお金はあたしにツケとけとでも言ってた?」
「あ、いや、違うんです。 そうじゃなくって、戸愚呂さんに、その、折り入ってご相談というか……。」

 鈍いのか鋭いのか、本当は聡いのか。女性の生態というものはよく解らない。
 しかし、オレが口ごもる様子から何かを察したらしい戸愚呂さんは、指で輪を作るとにやりと笑顔を見せた。

「あぁ、なるほどね。 そういう話、けっこう好きだよ。 ちなみにね、マチちゃん今日もここに来るって。
 この間プー助くんが淹れてくれたカプチーノが美味しかったみたい。」

 その戸愚呂さんの言葉を聞いて完全に舞い上がってしまったオレは、間違いなく恋とやらに落ちている。

2018 0612