それから数週間後。
指定されたホテルへと向かいながら、グラディオから聞いていた話を思い出した。
―イグニス・スキエンティア
彼が務めている企業の名前はこの国に住んでいるなら誰しも知っているどころか、他国にも支社がいくつもある企業だった。
その現社長の跡取りでもある息子の世話役をしつつ企業にとっての重要なブレーンとしても彼のみならず、一族が働いているとのことだった。
ホテル入口へと入るとスタッフがにこやかに出迎えてくれてエレベーターの40階ボタンを押してくれた。
エレベーターのドアが開き目の前を見ると、ソファに座っている一人の青年が居た。
すぐに彼だと分かり向こうもすぐに気付いて立ち上がりこちらに向かってきた。
「はじめまして」
一見、神経質そうに見えた顔立ちだったが物腰は柔らかく耳心地の良い声だった。
「はじめまして...お待たせしてしまいましたか?」
「いえ、ついさっき来たところです」
お互いの名前を伝え合ってから、彼がエスコートしてくれる方へと向かった。
「スキエンティア様、お待ちしておりました」
いつも利用するホテルなのか、スタッフは顔見知りの様だった。
辺りを見回すとガラス張りのラウンジは午後の陽の光を入れ込み、遠くには美しい山々が見えた。
◆
奥の個室へと案内され、座って一息つくとティースタンドと飲み物が運ばれてきた。
「何が好きか分からなかったので....」
「甘いものは、何でも好きです」
良かった、と言って意外にも柔らかな笑顔を一瞬浮かべた。
紅茶を一口啜るとイグニスの方から口を開いた。
「グラディオから話は聞いているかとは思いますが....単刀直入に言います。結婚を前提にお付き合いをしていただきたい」
突然の申し出にソウェイルは目を見開き、今しがた飲んだ紅茶が胃から逆流してしまうのではないかと思った。
「け...結婚?」
「はい」
グラディオからは確か、“良いヤツが居るから紹介をしたい”と言われたはず。
―沈黙が流れた。
ソウェイルはどう答えたらいいのか分からなかった。
「あなたの....」
咄嗟に出た言葉は自分でも予想しないものだった。
「あなたのお話を聞かせてもらえますか?グラディオからは何となくは聞いています。でも...直接あなたの口から聞きたいです。」
真っ直ぐに自分の目を見てそう伝える女性はきっと、包み隠さずに話してほしいという事を言っているのだとイグニスは分かった。
グラディオからもそれとなくは伝えた、とは聞いていてそのあとに“アイツは感が良いから隠し事は通用しないぞ”とも言われた。
「...うまく伝わらなかったり、貴女を不快な思いにさせてしまったら申し訳ない」
ソウェイルは、イグニスが伏し目がちにそう言う姿を見て彼はきっと信頼がおける人だと直感的に感じた。
「貴女と結婚したい気持ちは正直な気持ちです。一目惚れをした、と言えばそうかもしれない。僕はあなたを見かけたことがあったので...」
ソウェイルは頷き少しずつ話すイグニスを見つめた。
伝わるように伝えてくれているのが見て取れた。
「偶然にもグラディオから紹介したい女性が居ると言われたのが、貴女だった」
その時、グラディオとした会話が思い浮かんだ。
―『ワケあり?』
「僕の私生活を知った上で貴女を紹介してきたという事は、貴女ならきっと...」
そう言った後は言葉を詰まらせてしまった。
ソウェイルは少しの好奇心ときっと今まで自分が体験したことない世界へと行くのではないかという気持ちが湧き上がった。
「あなたの...私生活は」
イグニスの目を逸らさずに聞いた。
「僕には、幼い頃から世話をしている子息が居ます。社長の...」
次の言葉をどう伝えようか悩んでいるようだったがイグニスはそのままを伝えた。
「彼とはずっと、恋人関係でいました」
過去形で言っているが、その関係はまだ続いているのだとソウェイルは分かった。
「彼もいずれは相応しい女性と結婚をして企業の後を継ぐ身です、だから―」
だからそろそろ離れなくてはいけない―と。
きっと“普通の女性”ならばここで立ち上がり憤怒するのかもしれない。
或いは、何を言ってい居るのか分からない!と。
イグニスが次の言葉を言う前にソウェイルは被せるように言った。
「いいですよ」
えっ―と小さい声が漏れてグリーン色の美しい瞳と視線が絡んだ。
「いいですよ、って上から目線みたいですね...ごめんなさい。」
ソウェイルは一瞬視線を逸らしてから再びイグニスの目を見据えて伝えた。
「私と結婚してください。そして...彼ともお別れしなくていいです」
予想外な答えにイグニスは動揺しているようにも見えた。
「その..ご子息がお父様の跡を継いでも、結婚されてもあなたはきっとお世話役か秘書として側にいるのでしょう?ならばそのままで良いです...そのままのあなたで」
ソウェイルは自分の口からスラスラと勝手に出た様な言葉に自分自身でも驚いた。
でも、本心でもある。
自分こそ一目惚れなのかもしれない。
ロビーで初めて姿を見た時
彼のグリーン色の美しい瞳を見た時、この先この人のこの瞳に映っている自分で在りたいと思った。
ふふっと小さく笑いが込み上げてしまった。
イグニスを見ると不思議そうな顔をして、少し照れているような顔もしていた。
そして軽く眼鏡を押し上げてから緊張が解けたのか、紅茶を飲んでいた。