グレイビーを滴らせないように気をつけながら、歯を立てただけでほぐれるようなローストビーフを一切れ食べて、皿を押しやる。間接照明を受けてローズマリーオイルがてらてらぬめるマリネから、オリーブを避けさりげなくオニオンを剥がし、サーモン一枚を口にいれる。その皿もまた、彼の方に追いやって、スモークチーズを一欠片食べた。
店内は僅かに聴き取れる程度のジャズが流れていて、客のざわめきも低く落ち着いている。目の前のヒソカを見遣ると、私が一切れだけ食べたローストビーフを食べていた。明るくない店内に、健康的で完璧な歯列が真っ白でなんとなく眩しい。
「こんなにおいしいのに、もうこれいいの?」
「うん。全部食べて良いよ。マリネも」
ローストビーフ、サラダ、マリネ、ローストビーフ、と彼は手を休めることもなく、速めることもなく、それらを飲み込んでいく。グレイビーやオイルで濡れた唇、それらを拭う赤い舌が、彼を生々しい生きものであると証明しているように見える。
私は、ぱらりとしたチーズが振りまかれたサラダの、ドレッシングがかかっているレタスを一口分、抜き出して口にいれた。彼が、サラダの中のトマトをフォークで刺す。切られたトマトの断面から薄赤い汁がレタスに溢れる。ホットワインを一口。私はフォークを置く。彼はあっという間に、ローストビーフとマリネの皿を空にした。
「ナマエ」
「なあにー」
「もっと食べなよ」
「まだ来るじゃない」
「それだってほとんどボクが食べるんだろ?」
「もちろん」
そう言っていたら、バックリブを載せたポークのパエリアが運ばれてきた。ヒソカが率先して、小皿に私の分を移す。小さい角切りの肉とよく染みた米が同じくらいの量。けして、大きなバックリブを分けることはしない。香ばしい香りを嗅ぎながらそれを受け取ってスプーンを差し込む。
「んー、おいしい! ヒソカも早く食べて食べて」
「おかわりは?」
「要らなあい。全部食べちゃって、サラダも」
「チーズと生ハムくらい食べなよ」
「一口ずつね」
彼の呆れたような視線を笑顔で受け流して、パエリアを食べる。熱々で、噛むほど味が滲み出る。彼はスプーンに山盛りにしてパエリアをぱくぱく食べ進めていた。
私はヒソカと一緒のときだけ、外食をする。食事をあまりしない私は、一人前を食べない。おいしそうなものを手当たり次第に頼んで、それらをすべて一口ずつ食べ、残りはヒソカに食べてもらうのだ。押し付けているのは私だけど、よくもまあそんなに食べられるものだと感心する。
生ハムを食べて、またホットワイン。ちょっと食べ過ぎたなあと思いながら、頬杖をついて彼を眺めた。パエリアの上のバックリブ、彼は器用に骨から外して、大きな口で一切れまるごと食べてしまう。何切れかある肉を、彼はするすると骨から外しながら、私に一口差し出す。どうしようもなくて、口を開けてほんの一口分のそれを食べる。彼はパエリアを食べる合間に、私が残したサラダを食べて、汗をかいているビールを飲んだ。私には絶対、あれは飲めない。
彼は背が高いし、体重もかなりある。全身で膨れ上がる筋肉を見れば分かるけれども、締まっているわりに、重たい。細く見えるウエストですら、ゆうに私の倍はあるのだから恐ろしい。これくらい食べて鍛えないと維持はできないのかもしれない。きっとそうだろう。私はこの、ローストビーフ一切れと、マリネのサーモン一枚と、サラダ四口と、スモークチーズみっつと、生ハム二枚とパエリア四口にバックリブ一口で、三日分くらい食べたというのに。
それでも私は、私のがりがりの体を気に入っているし、彼の筋肉で覆われた鎧のような体も愛している。
「ごちそうさま」
「お腹いっぱいになった? なんか頼む?」
「んー、じゃあ…」
ヒソカがメニューを眺めだしたので、カウンターの向こうにいた店員に視線を合わせて、呼ぶ。ビールとホットレモネードと、ラムチョップとムール貝の白ワイン蒸しを頼んだ。空いた皿も下げてもらって、温くなったワインをなんとなくまわしてかき混ぜる。
彼はとても健康的だ。私から見えるこの景色もとても健康的だった。米、肉、魚、野菜、燻製、そして、よく冷えたビール。彼は躊躇うことなく飲んで、食べて、それらをその体の一部にしていく。取り込んでいく。それらを食べて、おいしい、と言うことを恐れない。
「男の子だから、よく食べるの?」
「そうかも。ナマエは食べなさ過ぎだけどね」
「私はいいの」
「まあ、ボクは鍛えてるからね」
「ね。すごい筋肉」
「アリガト」
「私も男の子に産まれてたら、こうなったかな?」
「ならないだろうね」
ヒソカがはっきりと、でも薄く笑って、私の胸はそれだけで満たされる。私は、スモークチーズをひとつ、彼の唇に押し当てた。僅かに開いた口が、私の指を舐めて甘噛みし、チーズをさらっていく。
すっぴんの目尻が優しくて、前髪の下で黒目が濡れたように光っている。運ばれてきたレモネードを飲んで体を温めながら、ようやく落ち着いてヒソカの近況を聞き、ラムとムール貝が来るのを待った。この街から出ないで生きている私と違って、ヒソカはどこへでも行く。海さえ越えていく。そんな彼の話はとても面白くて、いつか私も見てみたいなあとすら思わせる。蜘蛛の仕事はほとんどサボっているようだが、趣味と実益を兼ねて色々と楽しくやっているらしい。私は、彼の話を聞くのも、とても好きだ。ここにはない景色、ここにはない匂い、ここにはない建造物。おしゃべりが上手な彼の言葉通りに、広がっていく想像の世界。
ラムチョップが運ばれて、ヒソカはその一本だけ、ナイフとフォークで骨から肉を切り離しフォークに刺した肉を私の口元に寄せる。仕方なく口を開いた。咀嚼して飲み込む。彼はラムチョップをぺろりと平らげ、運ばれてきたムール貝も器用に貝から身を剥がして食べ尽くしてしまう。私にひとつくれることを忘れずに。満足気に笑った彼と、カジュアルなバルを出て、私の部屋に戻る。食べものの匂いを洗い流すように一緒にシャワーを浴びて、大して服も着ずにベッドになだれ込む。
「ナマエ、生きてる?」
「生きてるでしょ、ほら」
薄いワンピースしかまとわない私の胸に、彼の大きな手を当てさせた。私の胸の肉を鷲掴める大きさの手のひらが、布越しに体温を主張する。食事をやめて、常に寒がるようになった私には、それがやけに馴染んでくすぐったい。すぐに彼は胸を揉み始めて、私は身を捩る。嫌がる、ふりをする。彼が私の唇に唇を当ててくるけど、私が小さいのか、彼が大きいのか、それはキスというよりも彼が私を食べているようにも感じられる。
「男の子ってずるい」
「…ボクは女の子の方がずるいと思うよ」
「どうして?」
「ボクはナマエを一瞬で殺せるけど、でも殺せないし」
「うん」
「ボクはナマエの言うことならなんだって聞いちゃうからね」
「そうかなあ」
「そうだよ」
ヒソカは私がまとう唯一の布を難なく取り去る。上に乗られてしまっては、もうどうしようもない。また長い口づけをしながら、彼の指が体を這う。私の、くっきり見える鎖骨をなぞり、仰向けになると浮き出る、肋骨を辿る。滑るような感触に脳みそが蕩けそうになりながらも、別の恐怖も覚えて、私は彼の手を押さえる。
「ほら、アバラの太さまで分かるよ」
「やだ…痛いことしないで」
「当たり前だよ。折ったりしない」
「…ほんとに、お願いだから」
「こんなに小さくて細いのに、どうして生きていられるの?」
「…知らないよ」
「ねえ、このお腹の中に、ボクと同じ数だけ臓器が入ってるって、本当?」
「…たぶん、そうだと思うけど」
「ふうん…女の子って、すごいね」
彼が首筋に齧りつく。尖った歯がほんの少し痛くて、声を上げてから鬱血させられたことに気がついた。肌なんて、舐めてもおいしくないだろうに。以前そう言ったことがあるけど、彼は、おいしいよ、とあやしく笑っていた。分からない。私には男の子の考えることや感じることは分からない。すぐにその舌は胸まで辿り着く、私の期待に反応したその先が少し熟れている。舐められただけで、下腹部まで痺れるように気持ち良い。声を殺しきれなかったのを、彼は敏く察知して、舌を使いながら、反対を指先でなぶる。
不安定な体の感覚には未だに慣れることができず、私は両手を動かして彼の首にまわす。とんでもなく太い。気を紛らわせるように、まだ微かに湿った髪の先に触れる。こんなに痩せたのに胸の肉は多少落ちたものの健在で、本当に人体は不思議だ。
「あ、」
彼の空いた手が、肋骨の間をなぞって下りていく。骨がなくなってへこんだ腹部を、手のひらがゆっくりと滑る。あえて密着していないのが、憎らしい。その指先がわざと臍ピアスを引っ掻くように動いて、また私は体を強張らせた。本当に、意地が悪い。
それでも胸の先を舐められる感覚に、思考回路が奪われていく。私は壊れたように短い喘ぎ声を、ひっきりなしに紡ぐ。彼の指が、自然に開かれた私の足の間を撫でて、ぼんやりしていた意識が明瞭になった。
「ひっ、あ、ぁん、ひそ、」
「ナマエ、感じてるの?」
ぬめる液体を分泌しているその窪みに、彼は何度も何度も指を往復させる。分かっているくせに、そう言いたいけど、なぜか言わなかった。とめどなく湧き出るそれを、上の方の突起に擦りつけるように指が小刻みに動く。その刺激のちょうど良い弱さに彼の頭を抱きかかえながら、閉まらない口から上擦った声ばかりが吐き出された。
胸と足の間の愛撫は止まず、私はひたすら彼にしがみつくようにそれらを甘受し続けた。無意識のうちに、さらに開いていく足に羞恥を感じながらも、白んでくる視界が、その訪れを予感させる。
「あっ、あ、あ、いやあ、イく、」
目を閉じてすべての羞恥を遮断する。その舌と指が与える感覚だけに縋る。すべてを理解した上で、少しだけ指を速めて強くするのがもう憎らしいけど求めているもので、私は彼の頭にしがみついてこの体を手放す。
大きく息を吐いた私の額にキスをして、彼は体を起こした。
「ねえ、」
「ん?」
「もう、すっごい、おっきくなってるね」
「なってるねえ」
「なんで? 触ってもないのに」
ヒソカが口の端で笑う。まるで、愚問だ、とでも言うように。起こした体をもう一度合わせて、彼のその先端が窪みをなぞる。ろくに食べていないせいか、現在私は、月経が止まっているし、排卵もひどく不定期でしか起こらない。もう満たされたいと、言わなくても分かったのであろう、血液でぱんぱんに膨らんだそれが、私のずるずるに濡れた穴を拓いていく。指で慣らさずとも簡単に侵入を許してしまうほど濡れていたし、彼の形になっていたのかもしれなかった。両膝の裏を両手で押しつけるように固定して、彼のそれが根元まで突き刺さる。質問に答えてもらっていなくて、でも私はその焦がれていた充足感に頭を占拠されていく。
「なんでだろうね」
「ん、はあ、」
「たぶん、そういう作用があるんだろ」
「あっ、ん、え?」
「女の子には、さ」
彼の腰が、ゆさゆさと動き始める。深く抜かない浅い動きに内壁全体が擦れて、彼の腕を掴んだ。普通に喋っていられる、その強靭さに男の子の丈夫さを思う。この腕の固さや、肌の乾き具合。私たちは、お互いの無いものでしか構成されていないような、そんな気までしてくる。
彼の、私好みの顔立ちや隆々たる筋肉を見ているとさらに快感がぶわりと広がった。私の一部分が体全体に拡張されてしまったような、体全体が私の一部分に凝縮されてしまったような、感覚器官がそんな動作不良を起こしてしまう。そしてその快感は、私にはどうすることもできない。彼が与えて、私は逃げられない。彼が動くままに、がりがりと抉られて抜けていって、また一気に奥まで沈んできても。
「ナマエ」
「…ん、ぁあ、あん、」
「…ナマエ」
何か言いたげな、ヒソカの言葉はけれどそれ以上続くことなく、私は腕を伸ばすことで彼を屈ませる。上半身をぴったりくっつけて、私の腕を絡ませた。彼の肩が私の体をベッドに縫い止める。私が、そうされるのが好きだと分かって、やっている。彼のあらゆるものに満ちた体を頬や、腕や、肩や、胸や、腹で感じながら、わざと耳元で喘ぐ。耳に直接流し込むように、私も分かって、そうする。
食事をしているとき、セックスをしているとき、こんなにも男の子というものが違う生きものなんだと思い出す。浮き彫りになる。私はきちんと食事を摂っていた頃でもあんなに食べられなかったし、そうしようと思えば私の体など彼の良いようにできてしまえる。ただ、大多数の男の子がそうしようとしないだけで。だから、私たちはずるいのかもしれない。肉体の差で、暴力に屈服せざるを得ない私たちに、誰かが与えたずるさなのかもしれない。そう思うと、どうしてか、さらに気持ち良くなる。本当に、人体は不思議だ。私の体なのに、私はこれっぽっちも理解できていない。
彼は私の中を何箇所か、執拗に擦り上げては私を追い詰めていく。彼はいま、体全体に感覚を伸ばして、その尖端ですら思いのままに操っている。それなのに私は、私のどこをどうされるとどうなるのかも知らないまま、私の体を持て余していた。私の支配下に、あるような、ないような、そんな曖昧さでもって。
「ナマエ、後ろ向いて」
「ん、ぅん、あ、」
数えられないほどの収縮を経て、彼の存在が私の中から抜けていく感覚にすら声が出て、それでも私は力の入らない手足を動かしてままならないながらもシーツに頬を当てて伏せる。間髪入れずに深く潜り込まれると、当たる場所が変わってきつく目を閉じた。すぐに始められる動きに、深く探られたくて両腕に力をこめる。けれどそんなの、彼にはお見通しで、大きな体で覆いかぶさって私の両腕を自らの両腕で縫い止めてしまう。せめて声だけは、シーツでくぐもらせて、私はこの愛しい感覚を追う。もっと、もっと気持ち良くなりたい。
「ナマエ」
「ん、ん…んう、」
「脊椎が数えられそうだよ」
「…あ、あん、」
「…頸椎、胸椎、腰椎。骨格標本を初めて作った人も、こんな気分だったのかな?」
「わ、かんなっ、ああっ」
「…ナマエ」
「あーっ、あっあっ」
「…死なないでよ」
「っああ、ひ、」
「…死なないでね」
彼の片腕が離れて、指先が背中を一直線になぞっていた。ぞわぞわして、気持ち良くて、でもやっぱり怖くて、背を仰け反らせる。動きは変わらないのに、彼はやけに詩的な、もしくは感傷的なことを言う。でも私は、この刺激を我慢できずに喘ぐ。彼のおもちゃみたいに。彼のおもちゃには、彼のことは理解できないのは、当然だった。所詮、おもちゃなんだから。喘ぎ過ぎて喉が渇いてきて、足が震えていて、彼がようやく私の太ももに白いものを吐き出す。少しだけ乱れた息を整えながら彼はそれをティッシュで拭って、また挿入してくる。私の体を抱き起こして私の背中を彼の胸にぴったりくっつけ、彼が出入りを繰り返すすぐ上の突起に指先が触れた。私の声が大きくなっても、背中が弓なりになったままでも、気にしない。これくらいじゃ、死なないことを彼は知っている。
仰向けのときからずっと、イき続けていて難しいことが考えられなかった。私はいま生きている。不必要な物質の摂取を拒んでも。生にも死にも、なんにも執着していなくても。浅く呼吸をしながら、私は汗ばむ肌を感じていた。熱くて熱くてたまらなかった。燃料もないのに、私の体はいま確かに燃えている。