「この前記念日だったからお菓子を作ろうと思って、でも全然うまくできないの! かたくてぽそぽそするし、うまく膨らまなくて。お菓子作りってなんでこんな難しいのかなあ?」
は? 何言ってんの? レシピ通りに作れば失敗するわけなんてないじゃん。 お菓子作りなんて、何から何まで細かく指定されてんだからその通りに作れよ。私いままで何回も何種類もお菓子作りしてきたけど、失敗したこともおいしくできなかったことも一度もないけど。なにそれ、どんな才能?
「えー、ナマエちゃん、お昼全然食べないよね? 足りるの? 私のいる?」
要らねえよ。要らねえから、ミネストローネだけ食べてるの、分からない? そもそも揃いも揃って、何その、チーズとベーコンがとんでもないカルボナーラとかチーズミートソースとか、アラビアータはまあ良いとして、モッツァレラトマトのニョッキとかポテトチーズのキッシュとかシーザーサラダって。どんだけチーズ食べるの? ていうか私に食べさせようとしないで。あと、そのテカテカの唇、拭いて。
「ナマエちゃん、ほんと細くて羨ましいなあ。私も痩せたあい」
寝言は寝て言えよ。こんなにカロリーとか糖質とか脂質とか、とにかくそういうギトギトドロドロしたものにがっつきながらよくそんなこと言えるな。余計なものばっかり取り入れるくらいならサプリだけ飲んで生きてろ。毎日毎日食い過ぎてんだよ、この、デブ!


て、いうことがあってね、と私は言う。深夜、仕事を終えてククルーマウンテンの自宅より近かった私の家で、シャワーを浴びたイルミはボクサーをまとっただけの格好で、私に背中を向けながら何かしていた。私は明日も仕事だし、彼も恐らくいつも通り、私が家を出るのと一緒に自宅へ戻る。本当に、私に会いがてら寝に来ただけだ。定期的に会わないと私の機嫌が悪くなるのを、イルミはよく理解している。
会えなかった時間を塗りつぶすように私は彼を見つめ続けた。細く見えるけれど脱ぐと筋肉が主張する、その肩幅や腰回りなんかが、とんでもなくセクシーで見惚れる。胸筋や腹筋が見たくて、こっちを向いて、と念じると彼は念願通りに振り向いてベッドに向かってきた。見たくてたまらなかった彼の肉体を目の当たりにして、ランチタイムから引きずっていたイライラがようやく薄まっていく。そんなはしたなさを隠し、平静を装って話しかけた。

「寒くないの?」
「別に。どうせこの後脱ぐんだし」

その言葉の意図するところを察しながらも、立てかけた枕に背を預けて座っていた私は彼が入ってくるために素知らぬ顔で掛布をめくる。掛布がかかっていた私の足は、部屋着のワンピースの裾が大きくずり上がっていて、下着すら見えそうだった。イルミはシーツの隙間に入り込みながら、私の足を撫でるのを忘れない。
滑らかなシーツはすでに私の体温を存分に吸い上げていて、違和感なく彼を迎えいれた。私の腰に腕をまわす、彼を見上げてひとつキスをする。

「ナマエ、毎日そんなイライラしてるの?」
「してるの。もうずーっと、仕事もできない、お菓子も作れない、節制もできない、そんなのとずっと一緒に仕事してるの、ほんともう無理」
「だから、結婚しようよ」
「えー」
「結婚したらそんな仕事辞めて、ウチでのんびりできるし」
「のんびりなんてできないでしょ? 毒物とか、無理だよ。死んじゃうよ」
「大丈夫。死なないところから始めるから」
「イルミと一緒にしないでってば」
「オレがついてるんだから平気だよ。結婚しよ。それで、いっぱい子ども産んでね」
「もー、そんなの、全然のんびりできないよ」
「やってみないと分からないでしょ」

ごまかすように、イルミがまた私の唇を塞いだ。このままなし崩しだな、と思うけど、たぶんその通りに彼の手が足から私の体をまさぐる。私は建前で、その手を剥がして彼の足の上に置いた。ふて腐れたような表情に少し笑って、温かい体に身を寄せる。体を合わせるのももちろん必要だけど、私はまだイルミと色んなお喋りを続けたい。

「でもさ、イルミがいてくれなきゃ、私、こんなに頑張れてないよ」
「そんなに?」
「そんなに。毎日ダメージ食らってるの」
「ハンター協会の事務ってそんな大変なの?」
「大変だよ。私は会長寄りの人の紹介で入ったけど、ほとんどみんな副会長寄りだし、私もそういうことにしとかないと、色々めんどうだし」
「なにそれ、ダル」
「もー、毎日毎日、仕事ばっかりで、あいつら、仕事すらできないし。何度言っても、全然覚えないの」
「うんうん」
「器用貧乏ってこういうことなんだよ、たぶん」
「そうだろうね」
「だからさ、イルミだけが、なんていうんだろ、一服の清涼剤っていうか、癒しっていうか、潤いっていうか、そんな感じなの」
「ふうん」

イルミは私の髪をどうでも良さそうに撫でる。でもそれが、ひどく私を安心させる。目を閉じたら、このまま眠れる気がする。ほんとうに、このつまらない、同じことを繰り返す灰色の毎日で、イルミだけが救いだった。なるべく、これ以上傷つかないように頑なになっている私を、一瞬で解きほぐすことが、彼にはできた。イルミを見るだけで、ほうっと深く息ができる。私にはイルミがいる。そう思うだけで、私はどんなに苦しい毎日だって乗り越えてきた。
体の向きを変えて、彼にしっかりと腕を回して抱きつく。ほのかに漂う彼の体臭が、これ以上ないくらいに好きでたまらない。鼻を寄せながら、さらさらの肌に私の肌を当てる。大きな体。豊かな筋肉。乾いた肌。恐るべき握力を発揮するその手のひらは、それでも私の体を優しく包む。

「イルミー」
「なにー」
「ふふ、大好きー」
「知ってるー」

意外と茶目っ気のある彼は、私が語尾を伸ばすのを真似る。けれどきっと表情だけは何にもなくて、それでも、その優しさと愛らしさで私は胸がいっぱいになって仕方がない。好きで好きでたまらない気持ちを、まさしく痛感していた。
私はこうやって彼にしがみついて、私の、生きる力、みたいなのを補給する。にやけもせず、このときばかりは私も無表情で、なるべくたくさんの部分を触れ合わせ彼を感じる。彼の熱、乾いた肌、滑らかな髪、優しい匂い。私にはイルミがいる。何があっても忘れないように、そう、深く濃く体に染み込ませていく。

「ナマエさ、」
「んー?」
「オレといるときはそれなりに食べるよね?」
「うん。イルミとは楽しくゴハンしたいもん」
「普段は食べないの?」
「あんまり。太りたくないし」
「なんで? いまだって、折りそうなくらい細いよ」

折れそう、じゃなくて、折りそう、という言葉を選んだイルミにお腹の底の方がきゅんとする。とても適切な言葉だ。私の希望通りだ。私が痩せていたいのは他ならぬイルミのためだけであり、折られるならイルミ以外にないからだ。
彼の手がワンピースをたくし上げ、ごく自然に私のウエストをなぞる。彼が片手で掴める厚みのそこが、私はとても好きだ。その手は何度も私の肌を撫でる。彼の熱が、じわじわと注ぎこまれる。熱い、ような気がして、息を吐く。

「イルミに、デブって思われたくないから」
「ナマエが太ってたことなんてないと思うけど」
「でも痩せたでしょ? 細い方が良いでしょ?」
「うーん…よく分からないけど、さらに華奢になったなとは思うよ」

彼にナンパされて関係を始めた頃の私を、それでも悪く言わないイルミの優しさが胸に沁みる。でも、それに胡座をかいているのは嫌だった。私はもっと、どこから見ても格好良いイルミに釣り合うようになりたいし、いつだって彼に可愛いと思われていたいし、体型のことを考えずに彼とのセックスに没頭したい。
なんとなく、合わせた視線が外せなくて、引き寄せられるように唇を重ねる。私の方が分厚いけど小さいそれを彼のそれが優しく食んで、私は彼の固い曲線を描く二の腕に縋る。たまらず口を開けば待っていたかのように温い舌が入り込んだ。角度を変えた彼を感じながら、やっぱり私から足を絡ませる。ウエストを撫でていた手は、体を這い上がりキャミソールの下に潜り込んで胸を荒々しく掴んだ。大きな手が、肉の弾力を確かめるように動く。親指がその先に触れて、鼻から息が抜ける。気をそらしたくて、彼がベッドについたままにしていた手を掴んで握った。すぐに巻き込むように握り締められて、気をそらす役目を果たせないことを思い知る。

「ナマエ」

呼ばれて、目を開けた。いつから見ていたのか、彼と目が合う。下瞼のふちが、ほんのり赤く色づいていて、綺麗だった。彼の、血の気。
リップ音を響かせ、唇が離れる。手に促されるまま腰を上げワンピースを脱がされて、彼がまた私の唇を奪う。体に張りつくようなキャミソールの中にまた手が侵入してくるけど、その光景のいやらしさに目を閉じた。レースから透けて見える、彼の指。男の人は、どうしてこんなに指が太いのだろう。脱がされた後、繋ぎ直された指の感触を辿る。大人と子供くらいに差がある、太さ。私の、ジェルを施された長い爪と、彼の短い爪。指の腹で、彼の爪をなぞる。私のように、ふっくらせず、つやつやもしていないしぴかぴかもしていない。爪も肌も滑らかでも固くて、舌を絡め合わせたまま夢中で手をまさぐる。彼が呆れたように私を見、舌を引き抜いて下唇だけを離した。

「ナマエ、くすぐったい」
「だってえ、イルミの手だよ?」
「意味分かんない」
「おっきいし、ゴツゴツしてるのにさらさらなんだもん」
「ナマエ、バカになったの?」

溜息をつきながら、イルミは未だまさぐる私の手とまさぐられたままの手を見る。つられて私も視線を下げた。微動だにしない彼の指に絡みつく私の指が、なんだかみだらで、動かすのをやめて握り締める。彼が、鼻で笑ったのが聞こえて、恨みがましい視線を送る。

「イルミのバカ」
「責任転嫁しないで」
「ちがう。イルミの指がやらしいせい」
「は? やらしいのはナマエの存在でしょ」
「なに言ってんの。やらしくない」
「これのどこがやらしくないって?」

大きな右手が直接、左胸をぎゅうと掴む。びっくりして、一瞬目を閉じた私を彼はまた鼻で笑って、私は頑張って彼を睨め付ける。悔しくなるくらいに余裕綽々だ。
いま触れられているのは胸だけなのに、しかもどちらかというと乱暴な手つきなのに、足の間が露骨に反応を示し出して、困る。
彼は私から手を離して、体を下に引っ張り、枕の向きを直した。掛布を片手で追いやったベッドに仰向けに転がされた私と、私に乗っかるイルミ。期待に、胸が弾む。けれど顔には出さずに、彼に手を伸ばした。彼の首に腕をかける。彼は私の着ていたキャミソールをまくり上げる。胸にしゃぶりつく彼の髪が、私の体じゅうに散らばってくすぐったい。その舌の感触に、声を我慢せずに、小さく漏らす。

「んふ、ん…」
「痩せてるのに胸はあるって、ほんとやらしいね」
「ちが、んん、」

彼の舌になぶられながら、もう片方をぐにぐに揉まれる。その手の感覚だけで息が上がる。全身に血が巡る。彼に、触られている。この体はそのためだけにある。彼に触られるためだけに。
胸への刺激だけで生じた足の間の甚大なぬめりに耐え切れずに、私は彼の手を胸から剥がして平らな腹を這わせた。やっぱり彼は鼻で笑って、今度は自らの意思で下腹部へ下りていく。完璧に手入れの施されたそこに、待ち焦がれたイルミの指。その固い指の腹は、ひとりでに熟れた突起を素通りして、湿り気を帯びた部分に触れる。

「あーあ、びっしょびしょ」
「あっ、ぁん、ああ、ひゃあ!」

湿り気を塗り広げるように、彼の指が大きく動く。そして、じんじんと腫れて熱を持つ突起を、軽く撫でる。敏感な部分を直に擦られて、私は目を閉じて彼の頭を掻き抱いた。すぐに、足の間を滴るくらいの量が分泌されてしまう。ぐにぐにと表面をしつこく擦られると、私は安易に息を荒げて遥か彼方へのぼり詰める。彼の頭を一層強く抱いてから、力の抜けた手足を放り出すも彼はすぐに興奮を分泌するそこに指を入れた。抜き差しせずに内部を擦る動きにまた体に熱が灯る。

「イル、まって、」
「やだよ。これ好きでしょ?」

そう言いながら、親指が先ほどいじめ抜かれた突起をやんわり押し潰す。その刺激に真っ直ぐ仰け反った喉から、甲高い声が漏れた。私の腕からイルミが出ていくのが分かって、顎をひいて彼を探す。体を起こした彼とすぐに目が合った。冷ややかに私を見下ろす彼に、しっかり見られながら私は喘ぐ。恥ずかしさに顔を背けたけれど、それでもそれは消えない。彼の指に翻弄されている。全身に血を巡らせて、逃げられない快感に悶えるさまを、見つめられている。そう分かっているのに、彼が擦る私の内壁がぶわりぶわりと広がるように私の感覚をおかしくしていって、私はまた頭を真っ白にして体を激しく強張らせた。
荒い呼吸をしながら、横目で彼を見た。目が合う。口元が笑っている。ひどく悪い顔で。

「なんかこう、征服してるみたいで良いよね」
「…みたいじゃない…」
「オレ、ナマエを征服したの?」
「してる…とっくに、」
「へー、ナマエ、オレに征服されたの」
「…征服、され、ま、した」

また私を鼻で笑った彼の意図するところを理解した。さっきから、私がもっとと要求するたびにそれをひしひし感じていたはずだ。彼の加虐本能は、もうずっと前に私を侵して征服している。彼はそれをよく理解していながら、私に言わせたがったことは間違いない。

「ナマエ」
「…なあに」
「ゴムつけなくて良いよね」
「…ほんとのほんとに結婚してくれるの?」
「もちろん。誰にも邪魔はさせないよ」

父さんでも母さんでも、ナマエでも。
彼は誰に言ったのか、そう低く呟いて、血液でぱんぱんに膨れ上がったそれを私に擦り付けて、ねじ込ませた。あの太い指ですら比べものにならない質量と、熱。私の中を余すところなく擦り上げていく。彼の手が私の足を押し上げる。さらに深く沈み込んだ感触に、私は脳内のすべてを放棄した。
ベッドに放り出していた両手が握られる。それが嬉しくって、拙い動きで握り返す。お互いの熱が混ざり合う。ただただ熱い。私と彼から分泌される液体の音。肉がぶつかる音。私の、悲鳴のような悦楽の声。体じゅうを駆け巡る、すべての快感に私は全身を乗っ取られて明け渡す。激しい動きの最中、また彼が、鼻で笑うのが聞こえた。

「でもさ、優越感あるでしょ」
「あっあっあっ、えっ? あぁん、ぁ、」
「なんだかんだ言って、彼氏はイケメンで強くて金持ちで結婚迫ってて、セックスも上手いんだよ」
「っうん、ぅん、ある、っ」
「そう思ったら、別に他のことなんてどうでも良くない?」
「あっ、いい、んん、どぉでも、いい、からあ、っ」

どこまでも余裕な彼の誘導尋問に、彼の期待通りの回答をする私。ナンパされても、男なんていなくても生きていけると思って遊ぶだけのつもりだった私を、やすやす虜にした、その目と、声と、生き方と、肉体。私を支えていた虚勢はあっという間に砂のようにさらさらと、煙のようにするすると雲散し、その程度のもので何とか支えられていた私を、今度は彼が支えてくれたのだ。その、揺るぎない手で。そうなったらもう、私は彼から逃れられない。お遊びでは、済ませられない。
人形のように、彼に動かされるままの足や腕。彼は私の足を自らの肩にかけて、下半身をより密着させる。打ちつけるのをやめずに、私と指先を絡めキスをする。そこから伝わるものの温かさに、弾け飛びそうなくらいに胸がいっぱいだった。
イルミが何度も私の名を呼ぶ。でも、私を抉る彼の熱に耐えられない。聞こえてるのに。聞こえてるんだけど。口からは短い喘ぎ声だけがこぼれていく。ふ、と彼が鼻で笑う。聞こえてるのに。聞こえてるんだけど。

「あー、もうヨすぎて、なんにも聞こえてないや。愛してるから良いけどね」

聞こえてるのに。聞こえてるから。聞こえてるんだって。ねえ。