「私、ヒソカのこと好きじゃないのかもしれない」
彼の後ろ姿を見ながら呟いた言葉は、思ったよりもよく響いて、何より悲壮感でいっぱいに聞こえて、自分で戸惑った。
ヒソカは振り向く。上がった口角と、少し眇められた眼差し。それが、そういうふうに貼り付けられたものなのか、それともいま心ごとそういう表情だからなのかは分からない。傷つけたかもしれない。でも、私は彼のことが全然分からなくて、彼が誰かの言葉で傷つくのかすら分からなかった。
「どうしたんだい、急に」
優しい声は、私を責めない。近づいてきた彼はソファーにぺたりと座る私の頭を撫でる。例えば、この手が彼のものじゃなくちゃいけないのか、それが分からない。誰でも良いわけじゃない。でも、彼だけじゃなくちゃダメなわけでも、ない気がしてならない。彼は頭を撫でながら、隣にかける。
その美しい作りの顔をまっすぐ見つめた。この顔を見るだけで、私は彼が好きになる。何度も何度も。でも、この好き、が、ほんとうの意味での好き、なのかが分からない。彼以外の男でも美しい顔立ちであれば好きになってしまうという可能性を、私は愚かにも否定できないと思った。
「分からない」
「そっか」
彼は明快に笑う。
なんだって、ひとつに決めるのは難しい。好きな食べ物だって、たくさんある。どれもおいしくて、ひとつだけなんて決められない。お気に入りのお洋服だって、鞄だって、靴だって、いくつもあって、ひとつだけを選ぶなんてできない。それなのに、好きな男はひとりに決めるなんて、できるのだろうか?
それでも、ヒソカのことが気に入っているのは確かなのだ。この顔も、匂いも、手のひらの感触も、落ち着いた声も、私をすっぽり包む大きな身体も、溢れ出るような優しさも。好きなことには違いない。けれど、彼以外にも素敵な男性はたくさんいることだって、事実で、それは私をぐらぐら揺らす。
「好きってなに?」
「なんだろうね。ボクも分からないよ」
ヒソカが、はっきりと明るい声でそう言って、私は絶望した。私が、恐らく愛されていないという事実にだ。彼への気持ちが、好きなのかが分からない。それが私だけでないと思い知らされる。私は彼だけを愛する自信がないというのに、彼にはそれを求めてしまう。それがどれだけ間違っているのか、分かっているつもりだ。
彼の手は、私の頭から滑り下りて、頬を包む。顔の全てを覆い隠せてしまいそうな大きさ、その指の力強さを私は知っているけれど、彼は私を硝子細工のように繊細に扱う。けして、その指に力を込めたりしない。私はそれに気づくたびに胸がいっぱいになる。確かに。間違いなく。
「好きってなんなんだろう。私、ヒソカのこと好きなの。好きなんだけど、ヒソカだけが好きなのか分からない。これって、好き、になるの?」
「ナマエがボクを好きだと思うなら、たぶん、好きなんじゃない?」
「でも私、例えばだけど、イルミに誘われたらセックスしちゃう気がする。でも、ヒソカが他の女の子とセックスするのは嫌。これおかしいよね?」
「うーん、ワガママなお姫様だなあ」
彼は、目を伏せて笑う。睫毛が綺麗なカーブで、少しだけ上がった口角が優しい笑みを作っていてそれにすら見惚れた。
「仕方ないよ。ナマエはワガママなお姫様だから、色んな男にちやほやされたら、好きになっちゃうんだろ」
そう言いながら、彼は私にキスする。それを拒まない私を、バカにしているのかもしれない。それでも私はその甘いくちづけにうっとりと、とろりと、溺れてしまう。目の前の甘い甘い快楽を拒めない。私に優しい彼を拒めない。
彼が顔の角度を変えて、ぬるりと舌が入り込む。私のそれを絡めると、その甘美さに頭の芯がふやけて蕩けるような錯覚を起こす。座り込む私の後頭部を大きな手が支える。それは私を逃がさないためなのかもしれない。ヒソカからは、逃げたりなんてしないのに、と思いつつ私はきちんと彼に捕まっておく。それで得られるものを、私はよく分かっているのだ。
舌がするりと抜け出す。啄むようなキスを幾度かされて、唇が離れた。ゆっくり目を開けてヒソカを見つめる私の目がどんな色をしているか、自分でも分かる。まだ、まだまだ足りないし、もっともっと欲しい。
「ナマエがイルミとセックスするなら、」
「…ごめん、あの」
「どうなっちゃうんだろうね」
「あの、ものの例えというか、」
「それはそれで見てみたいな。今度、イルミも誘おうか」
「え…」
私はただ、ヒソカを失いたくない気持ちだけで首を横に振った。彼はそんな私を笑う。
その手が、じわじわと私の肌を伝っていく。ワンピースの肩紐を、何気ない動きで落とす。露わになった胸を包み込むように触れながら、彼が髪を除けて首筋に吸い付いた。私はどうにもこういうのに弱くて、それは彼が上手いからなのかもしれないけれど、のぼせるような気さえしてしまう。気持ち良いことから、逃げられないし、拒むこともできない。身体中が、もっと触って、こっちも触って、と疼き出して止まらない。
ヒソカの手でこうなる、ということは確かで、間違いないことだけれど、例えばイルミやクロロだって、私の好みの顔立ちをしているわけで、もしかしたら彼らに触られてもこうなってしまうのかもしれない。ならない、と言い切れないことがヒソカを裏切っていることになるのだと、よく分かっているのに、彼ひとりに決めなくちゃいけないことも分かっているのに、理性で彼以外を拒むことはできるけれど、本能で拒む自信が、どうしてもない。ダメなことは分かっているから、ダメだと言えるしヒソカ以外と身体を重ねないと決めて、その通りにすることはできる。できるけれど、それは私の意思による、しない、であって、彼以外とはできないししたくない、ではないような気がして、ひどく困る。
「…ん、んぅ、」
「ナマエは女の子だからさ」
ざらつく舌に撫でられる肌の感触が私を追い立てていく。痺れるような、溶けるような、燃えるような、そんな感覚が彼に触れられた場所から身体中にどんどん拡がっていく。彼は私の上半身を腕だけで持ち上げ、私を膝立ちにさせた。ちょうど良い高さにある私の胸に彼は唇を当てる。
ヒソカの声に、快感に伸びきった首を縮めて顎を引き俯きながらその顔を見た。涼しい顔の、熱い吐息。その指先や舌だけじゃない。彼はその美しい貌で私の身体を濡らす。その鋭く笑む口角に、覗く赤い舌先に、私を見つめる小さな黒目に、私は発情する。
「そういうものなんだよ」
「あ……ん、」
「神様がそういうふうに、作ったんだろうね」
ヒソカの口から、神様、だなんて言葉が出てくるなんて似合わなかった。神様なんかこれっぽっちも信じていなさそうな目つきで、彼は私の胸の先を舐める。窄めるように尖らせるようにして私をダメにしていく。そうしながらもその手は肩紐という支えをなくしたワンピースをすとんと落とし、腰の浅い位置で結ばれたふたつのリボンを解いていく。
その扇情的で背徳的な光景に、私は目を反らせない。その太い指が華奢な紐を、人差し指と親指だけで掴んでゆっくりと引いているだなんて。
「神様もよく考えたよね。強くて大きい男が、か弱くて小さい女にひれ伏すように作るなんてさ」
「ひれ伏す、なんて…」
「その美しさに、男は勝てないようにできてるんだよ」
片方の紐を解かれ、隠されていた肌が外気に触れる。滑り込む甘い空気。男を受け入れるための器官が、何よりも私の心が、解放されたような錯覚を受ける。その手のひらの、熱。私の肌より熱いそれが、他人に触れられることのないウエストの辺りにわだかまっている。私は私の境い目をなくしていく。この肉体を手放していく。身体のどこに心があるのか分からないけれど、私はもうそろそろ心だけの存在になりそうだった。持て余す、この身体。いまはもうただの、彼の、ヒソカの、おもちゃでしかない。
「なに、が…勝ち、になるの?」
「…負けだと思うからだよ。ボクはナマエの顔とか、身体とか、つまらないことで悩むような心とか、そういうのをいちいち愛おしく思ってしまうんだ」
しばらく黙って、その指先で私の濡れた皮膚を探りながら、ヒソカは小さく、なんでだろうね、と言った。なんでだろう。私も分からない。彼の唇が、彼の舌が、彼の指先が、彼の肌の質感が、彼の体臭が、彼の態度が、彼の喋り方が、彼の目つきが、彼の身体の動かし方が、それらそのものが、好きだと、いま身体中で実感していた。少なくとも私は、ヒソカのことが間違いなく好きなのだ。他に誰か好きになれる人がいるとしても。
男の子の力強さを、強引さを、そういうのをすべて我慢して、彼は私に触れている。違うかもしれないけれど、そう思うと、私だって彼が愛おしく感じる。
その指先が、柔らかく、当たるか当たらないかの距離感で、濡れた場所の上にある充血した突起を撫でる。びりびりと、直接的な刺激に目を閉じた。気持ち良い。それしか考えられなくなる刺激だった。私から分泌される粘着質な液体を、塗り込めるように潤滑剤代わりにしながら、優しい力加減が私を熱くしていく。血液が、彼の手によって沸騰させられている。
「あ、あ、あ、だめ、んあっ、やぁ」
「…しがみついてて良いよ」
洗い立てのヒソカの髪をくしゃくしゃにしながら頭に抱きついて、膝立ちの足を震わせながらこの快感に集中する。もっと気持ち良くなりたい。この感覚を怖がっても、私はどうにもできない。すべては彼のさじ加減で、そういう意味で私は彼のおもちゃであるのは正しい表現だと思う。けれど、彼は彼のおもちゃで好きに遊ばない。いまこの瞬間、彼は彼の意思でなく私のすべてを優先し尊重しているからこそ、私は彼のおもちゃでいられる。多分これが、ヒソカの言う、負け、なんだろう。
小刻みに喘ぎながら、迫り来るそれに不安でいっぱいの心が彼を強く強く抱き締めた。彼は片腕で私を抱き締めてくれて、私は喉の奥で叫びながら彼を待つ穴を強く締めて絶頂する。薄っすらと目を開けて息を整える私を無視するように彼の指が、それに焦がれていた穴に入り込む。もう多分、どこをどう触られても気持ち良いのだから仕方ない。
「ボク結構…ナマエのこと理解してると思うんだよね」
「あっあっあ、まっ、いやあ、」
ズルズル動く指に翻弄されて、意識が熱に強く浮かされる。身体中が熱い。彼の指が、中を擦るようにだけ動く。抱きかかえられたその先にある胸の尖端を、彼が口に含んだ。唸るようにしながら恐ろしい身体の変化を目の当たりにする。自分が自分でなくなる瞬間が、いやにスローモーションで、完全なる有意識下にあって、私はもう怖くてたまらない。ただ、彼が私を傷つけたりしないことだけを信じて、彼を止めない。
荒い息を吐きながら、目を強く閉じる。彼の頭を掻き抱いて、背中を何度も跳ねさせて私は果てる。
「…イルミじゃこうはいかないかもね」
「…ごめ、ごめんて…ほんとに、ごめんなさい…」
「もっと強く、ボクを刻まないと忘れちゃうかな?」
そう言って、ヒソカは私の腰を掴んで座らせる。その先には上を向く彼のものが待ち構えていて、私は勢い良くそれを受け入れてしまう。迸るように喘いだのも無視して、彼は私の身体をおもちゃのように、腕だけで持ち上げたり、手を離して落っことしたり、しながら、粘膜を合わせ続けた。深く入るだけ入ってしまうその作法に、ヒソカの腕を掴むも指が震えて役に立たない。
「ナマエ」
「ん、んぁっ、ひ、ヒソ…」
「ボクの顔見て。ボクの顔見たら、このセックスを思い出すようにしっかりね」
ヒソカが目を眇める。緩く上がった口角が、自嘲的にも取れて胸が痛んだ。随分と根に持たれてしまって、私は不用意な発言を強く後悔する。それと同時に、彼もやっぱり心というものがあるのだと実感した。彼を尊重したくて、言う通りに目を開いて目前のヒソカを目に焼き付ける。この顔を見ただけで、発情して、じゅんと濡れてしまうように。大きくて、段差のあるそれが、私の中を掻き乱していく。私の膣の中も、心の中も、一心不乱にすべてを掻っ攫っていく。じゅぶじゅぶなる水音と、私の高い喘ぎ声がこだまする。腰を反らせて臀部を突き出すようにしながら、彼の身体に縋りつく。
「ひ、ヒソカ、」
「なあに?」
「っき、きもひいぃ、ああっ、あん、」
「それは良かった」
「ねえ、ね、ちゅ、しよ、あぁん、してよぉ」
「良いよ」
ヒソカは私の腰を掴んだまま、顔の角度を変えて唇を重ねる。振動に耐え切れない私は、彼の首に両腕でかじりついてそのキスを堪能する。頭の中が、とろとろする。もしかしたら、心も頭の中も、粘膜でできているのかもしれない。もうどこが気持ち良いのか、そうでないのか、分からない。ただただ、全ての体力を消費するような激しい交配に、根刮ぎ私を奪われていく。
奥まで深く座り込んだまま、私を持ち上げるのをやめて彼はキスを続けながら私をソファーに倒した。広くもないそこで、身体中をぺったり密着させながらヒソカが腰を使い始める。その鍛え上げられた身体の、強靭な動きに私は幾度も幾度も痙攣を繰り返した。彼の存在を、強く強く感じる。目で、唇で、舌で、腕で、胸で、足の間で、両足で。ぼんやり開けたままの視界いっぱいに、彼。私たちはキスしながら見つめ合う。汗ばむ身体を重ねて、彼にすっぽり覆い被さられて、粘膜も皮膚も混じり合わせて、私はヒソカに溺れていく。腹の奥まで抉られるような振動、痛いくらいの衝撃、彼が私で発情しているという現状。永遠にも感じられるような、意識の飛びそうな長い律動。
もう全部奪ってくれれば良いのに。私を空っぽにしてくれれば良いのに。そしてそこにヒソカだけを注ぎ込んでくれたら良いのに。彼が腰を小刻みに動かして、私の中に温かいものを放出する。その微かな違和感を捉えつつも、私はそれでも彼の表情を見つめ続けた。彼が分からないのは好きの仕組みで、私が分からないのは唯一の好きで、ひとを愛するということは本当に難しい。でも多分、きっととても単純なんだろう。仕組みが分からなくてもひとを好きになれるし、理性で唯一を決めることはできる。この世に、彼だけだったら良いのに。この世に、私だけだったら良いのに。そう思いながら、その熱い眼差しを受け続ける。