「ナマエは、ケーキとか食べないの」
語尾が上がらないその言葉が、質問なのかそうでないのかよく分からないまま私は顔を上げた。テーブルに肘をついたイルと目が合う。手入れのために分解した愛銃のパーツを床に広げたまま、私は顔を上げたときの表情のまま愛想なく口を開いた。
「食べないよ」
「…プリンは?」
「食べない」
「…ドーナツは?」
「食べない」
「…シュークリームは?」
「食べない」
イルミの口から、こんなにたくさん可愛い単語が出てくるなんて信じらない気持ちで私は掴めない質問に答え続けた。彼も無表情で口元だけが動いている。
私たちは、休日をともにするということがとても少ない。彼は大体、仕事を詰め込んでしまう。暗殺業があんなにも忙しいだなんて世も末だと思うし、客層が気になるところだけど、私はその辺りに口を挟まない。私には堅気の仕事があったし、お互いそういうタイプでもないせいで、月に数回会えれば良い方だった。だからこんな風に、丸一日彼といられる日があると、それはそれでどうして良いのか分からず、手持ち無沙汰に愛銃の手入れなんかを始めてしまうのだ。
「ふーん…甘いもの嫌いだっけ?」
「好きか嫌いかで言うと好きだよ」
「でも食べないんだ」
「太るからね」
私は自嘲するように素っ気なく言い放ち、視線を落とした。窓から差し込む太陽光を受けて銀色が白く光っている。それを、元通りにひとつひとつ嵌め込んでいく。冷たい部品、もう見なくてもできるほどに解体しては組み立てたパーツたち。銃は、スマートで不必要なものがなくて、分かりやすくて、ほんとうに、良い。
「ナマエてそんなこと気にするタイプだっけ?」
「そうだよ。可愛げないタイプなの」
「それは知ってるけど」
グサっと、イルの言葉が突き刺さったのを、手を止めないまま、笑顔でやり過ごす。可愛げがない。そんな自虐を、訂正されることなくそのまま肯定されることなんて、想定の範囲内ではあるけれど。その決定打が、私の頭の中で再生されるものか、現実で彼が発した言葉かで殺傷能力に大きく差が出る。
身体もこうやって、分解して、掃除をして、また組み立てられたら良いのに。余計なものを、取り除くことができたら、良いのに。
「なんで太りたくないわけ」
「なんでだろう」
「自分で分かってないわけないよね?」
「太い身体より細い身体に価値を見出してるからかな?」
「わざと難しく言ってない?」
どうして、イルミはこういうのを容赦なく見抜いてくるのだろう。見抜いた上で、逃げることを許してくれないのだろう。
私は組み立て途中の銃身を置いて、座った足を見た。重ね合わせて座ることで、肉が両側に潰されている。その、ラインすら、美しくない。肋骨が透けるほど痩せても、まだ掴める腹部の脂肪。なかなか細くならない二の腕。私はそういうのを思い出す。ひどく、嫌な気持ちになりながら思い出す。
「綺麗な女優さんとかモデルさんとかはさ、みんなもっと細いじゃない。私も、あれに近づきたいだけ」
「それ以上細くなりたい感覚が理解できないけど」
「男の人には分からないと思うなあ」
私はわざと茶化すようにして笑った。感覚の問題じゃないとは言えなかった。私にとって、美意識の問題でもなかった。
「好きなものを好きなだけ食べて、太って、好きな人に嫌われたくないって、思うんだよ。女は」
自分で言っていて、可笑しかった。なんだかとても、女の子みたいなことを言っている。似合わない。私には、最初から最後まで似合わない言葉たちだ。
自信のなさを、どこで取り返すか。好きな人に、好きでい続けてもらうためにはどうしたら良いか。私は、いや、私たちは、多分常にそれを意識して生きているんじゃないかと思う。だからこそ、もっと痩せなきゃ、とか、もっと可愛くならなきゃ、とか、もっと白くならなきゃ、とか、あれこれ考えているのだ。彼の目に映るすべての女たちより、美しくありたいとただそれだけを。
私はそんな悲愴な言葉を発してしまったことを後悔しながら、組み立てを再開した。イルの顔を見る勇気がなかった。私は彼と見つめ合うのが苦手だった。俯きたくなる。それは、彼を見たくないからとか、そういうのではない。単純に、私は私を見られたくない一心だった。私を見ないで。ちゃんと見たら、よくよく見たら、幻滅されて、嫌われてしまう気がする。
「…ナマエ、気づいてないみたいだけど、冷蔵庫にお土産入ってるんだよね」
「お土産? 見てないや」
私はそう言いながら、また手を止めて今度は立ち上がった。イルは昨日、私が寝ている間に合鍵で家に来た。私は起きてから、常温の水を飲んだだけで、冷蔵庫は開けていない。冷蔵庫を開けると、飲み物と、わずかな調味料と、生ハムとチーズと、白い箱が入っている。覚えがないのはこの箱だけで、私はそれを取り出してキッチンに置いた。噛み合わさった持ち手部分を外して開くと、作り物のように美しい、ケーキやタルトなんかが複数個入っていた。長方形のケーキの上に隙のない形で絞られたクリーム。濃いチョコレート色や、真っ白なショートケーキに、苺味と思われるピンク色のケーキまである。タルトは香ばしい色の生地で、載せられたカット苺がつやつや光っていた。そして私は、自分の失言を知る。
「食べないなら、まあ適当に処分して良いから」
イルの言葉が、またグサリと刺さったけれど、多分私も幾つも刺してしまったことを思うとひとりで傷ついているのもずるい話だと思う。
箱の中に、プラスチックのフォークとスプーンを確認して、私はその箱を両手で慎重に持ってテーブルに移動した。彼の向かいに座って、箱を置く。
「別に、わざわざ自分で買って食べないってだけだから」
「気、遣わなくて良いよ」
「ほんとだよ。あったら食べちゃうから」
「…」
「だから買わないの」
私は、そのおいしそうなケーキたちから視線を上げてイルミを見た。さっきの話をしているときと同じ顔をしていて、苛立つ。彼は本当に、表情からその心の機微を読み取ることが難解で、困る。
見つめ合うのは、本当に苦手で、すぐに俯きたくなるけれど、今度ばっかりはそうも言っていられずにその強迫観念に耐えながら彼を伺う。
「もし、それ食べたとして、どうするの? 吐くの?」
「そんなことしないよ。私、そこまでじゃない。この後少し減らして、帳尻合わせるだけだよ」
「ふうん」
「イルが、せっかく買ってきてくれたんだから、食べるよ。嬉しいもん」
「太るのに嬉しいの?」
「違うって。別に、ちょっとケーキ食べるくらいどうってことないよ。イルが買ってきてくれたケーキを食べることで、私はイルの気持ちをちゃんと受け取るんだよ」
そう言うと、イルミは口を閉じた。私は自分の発言を振り返る。また失言してしまったか、適切な返答でなかったか、そういうのを確認しないと不安で不安で仕方がない。
黙ったままの視線に耐え切れずに、私はフォークをビニールから取り出して、箱を開いて解体して、チョコレートケーキのフィルムを剥がした。層になった色の違うチョコレートが、どう見てもおいしそうだった。フォークをいれて小さく切ると、しっとりとした感触がフォークからも伝わる。ふんだんに使われたクリームにたまらなくなって、突き刺して口に入れた。とろけるような柔らかいクリームが舌の上で溶けて、咀嚼すると苦めのスポンジに挟まれた甘いクリームが溢れて口の中に広がる。
「え、おいしい。これどこの?」
イルは有名な高級菓子店を告げる。この辺りにはないお店だった。ゆっくり味わいながら半分ほど食べたところで、気づいて彼にもフォークに刺したひとかけを口元に寄せた。早く、落とす、と急かしてようやく開いた口に容赦なくそれを入れる。
「どう? おいしいでしょ」
「…よく分かんない」
「じゃあ覚えといて。そのケーキはとってもおいしいチョコレートケーキ」
「…うん」
私はそのケーキを食べ終わる。高級菓子店の、小さめなサイズが有難い。それでも、それなりの値段がするであろうことは想像に難くない。次は苺のケーキのフィルムを外す。甘酸っぱいクリームを堪能しながら、またイルにもひとかけを食べさせて完食した。
「残りはお昼に食べることにする」
「そう」
「どうもありがとう。とっても美味しかった」
「…別に、無理する必要はないよ」
「してないよ。私、甘いもの好きなの知ってるでしょ」
だからこそ、イルはお土産にケーキを選んだはずなのだ。外食ではデザートをふたりでシェアしたりするし、ドライブに行けば出先でアイスやクレープなんかを食べたりだってする。我慢しているだけで、新製品なんかを見つけたら欲しくなるし、食べたくなる。それでも私はそのすべてに耐えて、毎日毎日低カロリーの、味気ない食事で空腹を満たす。サプリを主食にして、それでも足りないと鳴く腹を、膨らますただそれだけのために、食べる。
彼はなんとなく腑に落ちないような表情を薄っすらと見せながら私を見ていた。
「身体動かして痩せようとは思わないわけ?」
「歩いたりはするよ。ヨガとか、良いなあって思うけど、なんか敷居高いし」
「ふうん」
イルの、ふうん、は、納得してない事柄について用いられることが多いと私は思う。私は箱をもう一度組み立てて、食べた後のゴミを捨てて箱を冷蔵庫に入れた。
食べても太らないなら、私だっていくらでも食べる。この世にはおいしいものがたくさんある。おいしいから直結する幸せを、私だって感じたい。でも。でも、私はイルミと向き合えるだけの私でいたいし、そのためには超えなければならないハードルがたくさんある。この華奢な身体も、そのひとつだ。
「ナマエさ、」
「ん?」
「もっと太れって、絶対言われるよ」
「誰に?」
「母さんに」
「…なんで?」
「いっぱい子どもを産んでもらうために」
イルミが、呆気なく言う。私はそれを愛銃を組み立てながら、俯いたまま聞く。金属の音が聞こえる。窓からは、太陽光が射し込む。私は呆然としながら、黙って手を動かしていた。イルミの言葉が意味するところが、ひとつしか見つけられない私はやっぱり顔を上げられなくて困る。椅子が動く音がして、残り少ないパーツを広げた床に影が落ちる。顔を上げるよりも早く、イルがしゃがみこんで次に嵌めるパーツを取った。カチン、とそれは彼の手で元の場所に収まる。彼の手は、銃に触れたまま。ようやっと見上げたすぐそこにイルがいて、何も言わないのにキスをされた。