波打つ長い髪を、柔らかい櫛で梳かす。束がほどけてふわりと広がるプラチナブロンドが部屋の明かりを受けてきらめく。この白い肌よりも白いネグリジェを着た私は椅子から立ち上がった。鏡の中には、人形のような表情の私が映っている。リモコンで部屋の照明を消した。バルコニーから入り込む月明かりが強すぎて、苛立つ。
いくら美しく整えても、何の意味もなさないことはもう分かりきっていた。けれど些細なプライドが、私にいつまでもそれを続けさせる。彼だけにはこの世の誰よりも美しいと思われていたい。けれど、それが叶わぬと知った。だからせめて、彼以外のすべての人に、この世の誰よりも美しいと思われたかった。こんなにも美しい妻がいる。そう認識されたかった。
この大きな部屋には私しかいない。彼はいつも仕事で留守にしている。そうでないときは修練、とやらで部屋に帰ってこない。この、屋敷の中にはいるらしい。今日は、前者だった。あと数時間で今日が終わる。あのひとは帰らない。部屋を横切って大きな天蓋ベッドの上に座った。部屋を見渡す。もとは、彼がひとりで使っていた部屋だ。彼と私は、私たちがまだ幼い頃に両親たちが決めた通り、成人と共に結婚した。私の希望を彼が聞き入れる形で、私は彼の部屋に越してきた。左側にはバルコニー、一番遠くにドアがある。彼はいつも真夜中に、外の空気をまとって帰ってくる。そしてすぐにシャワーを浴びる。私は、それが彼なりの配慮であることを理解していた。私のものでない、華やかな匂いを洗い流してから、ベッドに入るというそれが、私に唯一見せる気遣いのようなものだった。
張り詰めていたシーツをくしゃくしゃにしてから、私はまたすべてが嫌になって、ベッドから降りた。彼と私は同じベッドで睡眠を摂っている。それ以上でも以下でもない。それが、どれほど私を傷つけ、苦しめ、侮辱しているか、彼は分かっているのだろうか。部屋の真ん中に置かれた、大きなソファーに座ってクッションにもたれる。透けるような柔らかいひざ掛けを手繰り寄せて、体にかけた。剥き出しの腕や足に滑らかにまとわりつく感触に目を細める。
眩しい月明かりが私を照らしていた。腹立たしくて視線をやれば、大きな丸い月が見える。満月なのかもしれない。標高がやたら高いせいで、月が本当に大きくて明るい。目を閉じても、それのせいで視界が暗くならなくて、私は自分がこの世で一番不幸な気になって泣きそうだった。それでも目を閉じて眠ろうと努めた。意識を追いやってしまいたかったし、明日も私は美しくなければならない。












「…ナマエ?」

かたん、と小さな音がして眠りから少しだけ覚める。彼のひそめた声が聞こえた。ドアが閉まる音。彼が、鍵を置く音。私は、少しだけ覚醒している。目蓋は開かない。指先も、動かない。きっと彼がシャワーを浴びて出てくる頃には、もう一度眠っているだろう。いま何時だろう。目を閉じているのに、やっぱりまだ目蓋の裏が白む。
するりと、かけていたひざ掛けが剥がされる。落ちてしまったのかもしれない。肌に触れる空気の冷たさに、指先がそれを追うも届かない。んん、と唸る。寒くはないけれど、ひんやりしていて私は体を縮こませようとさらに丸くなった。首筋にまとわりついていた髪が、動きに合わせて頬や胸元に垂れる。それが月明かりを遮ったためにようやく闇が訪れた。そう思って、また意識を手放そうとしていた。
温かい何かが、ソファーと私の体の間に潜り込む。私はもう殆ど寝ている。それは私の背中の辺りと膝裏を捉えて、私の体が宙に浮く。接触した、温かいそれから嫌な鉄の匂いがした。私は少し宙を彷徨って、ベッドに置かれる。めくれたネグリジェの裾を整えられ、掛布を隙間のないようにかけられ、髪を梳かれて。
イルミ。そう、思う間もなく私はまた深い眠りに落ちた。意識のない間だけ、私はあらゆる痛みや苦しみから解放される。











目が覚めた。小鳥が鳴いていた。たぶん、バルコニーにいるのだろう。ソファーで寝たはずなのに、私はベッドにいた。横たわったまま、右側を見る。彼がいた。私に背中を向けていた。すぐに目をそらす。揺らさないように慎重に掛布をめくって、ソファーの足元に置いてきたはずのファーに包まれたルームシューズに足を入れる。掛布を直して、鏡の前に立って軽く身支度をした。
下着の上にワンピースだけを着て、振り返るとソファーが目に入る。畳まれた、シルクのひざ掛け。それを見たときに、昨夜の夢のような記憶を思い出した。ああ、と吐息のような声が出そうになったのをぎりぎりで留める。彼が私をベッドに入れてくれた、あの美しい記憶を反芻する。あの、嫌な血の匂いと共に。
彼の顔を見に行きたかった。でも、それが許されるか分からなかった。彼はいつも私を拒絶している。彼は、私を抱かないという明確な意思表示をもって、私を拒絶している。薬指の指輪さえ無ければ、本当に婚姻関係にあるのかすら疑ってしまうだろう。シンプルな形に、小さめの石。内側の文字は上下に分かれていて、彼の方の指輪の上に私の指輪を乗せると読めるようになる。どちらも私が選んだものだった。彼に決めてもらえば良かったな、と後悔しているのも事実だった。
溜息をひとつ吐く。せめて寝顔だけ、と思い、またベッドに戻って、傍にしゃがみ込んだ。閉じられた目蓋と、僅かな寝息。顔を見れば、今度は触れたくなってしまう。そのあさましさに出そうになった溜息を堪えた。

「早いね」
「え、あ…はい」
「おはよう」
「おはようございます…」

彼の目がぱちりと開く。動揺した私を、彼が無表情に見つめる。何か言い訳をしようと慌てて理由を探して、ベッドに運んでもらったことを思い出した。

「あ、の、私昨日ソファーで寝てしまったんだけど、」
「風邪引くから、ちゃんとベッドで寝て」
「…はい、ごめんなさい」
「別に」

彼が体を動かして起き上がる。それが、この会話は終わり、という拒絶に感じられて私は口を噤んだ。











maybe never end ... ?