「ちょっと、意味分かんない」

イルミの、イライラした声が一秒の猶予も許さない。その気持ちも、分かる。私だって、自分の割りきれない気持ちにふり回されて苦しい。
ベッドで膝をかかえて座る私に、彼は舌打ちをこらえるように口もとを歪めた。彼は、いつだって誰だって平気で殺すくせに、私には手も上げない。右腕がぴくりとするときがあっても、ぜったいに。

「なんで怒らないの? 殴らないの? 私ばっかり、イルのこと傷つけてるよ」
「は?」

怒っている。すごく。でも、怒鳴ったりはしない。私を、責めたりしない。そういうのは、すごくずるい。
離れたところにいた彼が、足音を立てずに近づいてくる。怒っていたら、こう、どすんどすんとか音がしそうなものなのに、こういうときだって、イルミは至極冷静だ。そういう彼の、強い精神力がうらやましい。私もそれくらい強かったら、彼を傷つけたりしなくて良いのに。

「イルだって、ムカつく私を傷つければ良いじゃん。良いんだよ、べつに」
「するわけないだろ。お前は腐っても女なんだから」
「…なにそれ」

どうにか、抑えこみたいヒステリーが、私のなかをぐるぐる巡りめぐって今度は涙腺を攻撃しだす。おり畳んでいた足をこれ以上ないくらいひき寄せて、その腕のなかに顔を埋める。泣きたくなんか、ない。そんなことしたくない。
なんて、めんどうくさい女なんだ。ほんとうに。たぶん、イルミが私をめんどうと思うより、私のほうが私をめんどうに思っている。間違いなく。
ベッドが小さく軋んで、彼がのっかってきたであろうことを知る。顔をあげられなくて、微動だにできないまま、彼の出かたを伺った。なんで。なんでそんな、やさしいの。

「ナマエは殴る対象じゃない」
「…」
「お前、ほんと、めんどくさいよ」
「…」
「ただ泣き喚いて怒鳴り散らすならまだ良いよ。お前、勝手に落ち込んで勝手に泣きだすし」
「…ごめんなさい」
「めんどくさい、ってゆーか、難しいよ」
「…私も、そう思うよ」
「じゃあ、どーにかしてよ。自分で」
「…それができたら、こんなんならないよ」
「…ん、」
「…?」

突然黙ったイルミを、不審に思って、こわごわ顔を上げた。今度こそ、ほんとうに見捨てられたかもしれない。見放されたかもしれない。それは、嫌だ。
光を反射しないでまるまる吸いこんでしまうような真っ黒の瞳が、少しだけ見開かれて私を見ていた。予想を裏切ったその表情に、どうして良いか分からず私も黙る。

「ナマエ、もしかして、」
「え、なに?」
「生理近い?」
「え?」

あんまり真面目な顔で言うものだから、私はしばし意味が分からず硬直して事態を飲みこむ。ああ、とすべての謎が解けてから、それを彼に指摘されたことにいまさらながら羞恥心がもたげてくる。でも彼は、いたって真剣な表情で、私はまごまごしながらベッドサイドで充電していたスマートフォンを取った。そういうのを記録しているアプリを開いて表示を確認する。

「…あ、ほんとだ、もうそんな時期だっけ」
「…人騒がせ」
「ごめん、」
「…良いけど」

ふう、とイルミは溜息を吐く。それが聞こえて、どきっとしたのを彼は見逃してはくれない。おりかけたベッドにもう一度乗りあげて、私の頬の肉をつまむ。ぎゅっと。

「やれやれって思っただけだから。他意はないよ」
「あ…うん」
「なんなの、そのマイナス思考」
「…分かんないよ」
「オレさ、ちゃんとナマエのこと、好きだと思ってるよ。信じてないみたいだけど」
「そういうわけじゃ…ないんだけど」
「そういうわけだろ」

うまく否定できなくて、たてた膝の、足首を両手でつかむ。私だって、好きなんだけど、とってもとっても好きなんだけど、どうしてか、うまいこと整理ができない。自分のなかで。

「ナマエはオレのことを好きでも、オレが好きなナマエを好きじゃないんだよね。自分は嫌いなのにオレが好きっていうから、おかしくなってんだよ」
「…難しいこと言わないでよ」
「分かってんだろ、ちゃんと」

分かってるよ。私は私が嫌いだから、イルミが私を嫌いと言えばすぐに信じるだろう。やっぱりそうだよね、私もそう思うよ。そう、同意するだろう。
でも私はイルミが好きで、イルミに好かれたくて、そしてあろうことかイルミは私を好きだと言うから。好きや嫌いの回路がきちんと繋がらなくて、ショートして、パンクして、イルミを困らせたりイライラさせたりしてしまう。
困って、イルミを見上げた。いつも通りの無表情な目が私を見ている。どうしたら良いの?そう聞きたい。聞いたら、適切な答えが返ってくるだろうか。

「…ムカつく」
「…ごめん」
「そんな顔されて、殴れると思うの?」
「…それは、イルがやさしいから、」
「オレはべつに、やさしくない」
「やさしいよ。とっても、ちゃんと、やさしい」
「ちがう。それはやさしさじゃない」

イルミの手が、私の左腕をつかむ。強い力でひっぱられて、私はかかえ込んでいた足を手放し彼に突撃してしまう。それでも、彼はビクともしない。あたりまえのように、ぽすんと私を受けとめる。
その、私にはない強さやたくましさが、心の底からうらやましくて、たまらない。おおきな手のひらが。ひろい肩幅が。太い鎖骨が。筋肉が想像できるような腕が。私をしっかり閉じこめてしまえるかたちが。

「ナマエが好きだから、できないだけだよ」

きゅうと、抱き締められて、彼が首をまげて私の首もとに頬を寄せる。なんで、どうして、うそだ、そんなことばかりが私の中をぐるぐるまわる。でもそれと同じくらい、いやそれ以上にその言葉がうれしくて、両腕をひろい背中にまわす。
私のからだとは全然ちがう。幅があって、薄くて、固い。そんな彼が、誰でも簡単に殺す彼が、私は傷つけられないと言う。好きだから。好きだから。

「イル…好きだよ」
「あたりまえだろ」
「うん…イル…ありがとう。ごめんね」
「いーよ」
「ごめん…」
「謝らないでよ。しつこい」
「ごめ…うん」
「好きなんだから、べつに良い」

ぎゅうぎゅう、しがみつく私を、彼の手がやさしく受けとめる。すっぽりおさまるサイズの私に、手加減をして、抱きかかえて、頭を撫でて。
男のひとは、すごい。イルミは、すごい。こんなめんどうな私を、許して、嫌わずに、ましてや好きとか言う。ほんとうに、すごい。ほんとうに。