散歩に行ってきます。果たし状のように殴り書きされた紙がバイクのハンドルに挟まれ、風に揺れる。報酬の詰まったアタッシュケースを手に、雨宮兄弟はじ、とその言葉を見つめた。
 山王地区の片隅で広斗は舌打ちをした。「アイツは、いっつもフラフラ、フラフラ──!」
「なんかもう、驚きもしなくなってきた」と、雅貴は言う。
 どうするよ? と、投げ掛けられた兄の視線に広斗は「ほっとけ」と返事をした。
「仕事は終わっただろ。もう帰ろうぜ」
「そう、ね。まあ、まだ昼近いし、そんな心配することもねえか。あー、でも珠夜ちゃん、黒双までの帰り方わかっかなあ」
「ガキじゃねえんだ。連絡くらい寄越すだろ」
 彼らの同居人、珠夜は少しばかり気の抜けたところがあり、何かと騒動に巻き込まれやすい人間だ。持って生まれた精神力ゆえか、本人は至って平然としているが、周りの者はどこぞでまた渦中の人物になってはしないか、と気苦労が絶えない。
「ハゲるぞ」
 ため息を吐く兄に向かって、広斗は冷たく言い放った。
「ハゲない! もう。お前たちのことが心配で、お兄ちゃんは夜も眠れないよ」
「昨夜もでけえイビキかいて爆睡してただろうが。つか何で俺が入ってんだよ」
 不満げな視線を向ける広斗に、今日も今日とて生意気な弟だ、と思いながら雅貴はヘルメットを手に取った。「あ。そういえば、近くに山王の溜まり場あったよな?」
「あ? あぁ」
「もしかしたら、珠夜ちゃん行ってるかもしれねえなあ。一度寄ってみるか」



「なーあー、お前らちょっとうるせぇって」
 仮眠をしようと転がった畳から身を起こし、村山は教室に反響する大声ではしゃぎ回る仲間と客人に目を向けた。きょとん、とした表情でこちらを見つめる関と珠夜の存在にため息が零れる。
「すいませっん!! 村山さん!!」
 勢いよく立ち上がった関の前でガラガラと音を立ててジェンガが崩れ落ちた。
「あーっ!」と、珠夜が声を上げる。「倒したなー。はい、関ちゃんの負けー」
「えッ?!!」
 注意をしてもしなくても変わらぬ音量に、村山は「……まあ、知ってたけどね」と頭を掻いた。
 校門の前から決闘を申し込むような叫びが聞こえ、彼女の訪れを知らせたのが一時間ほど前のこと。たまにふらりとやって来ては、関たちと遊んでまたふらりと帰っていく。珠夜は、マイペースで掴み所のない不思議な女だった。
「珠夜ちゃんさあ、こんなとこに一人で来たら心配するやついるんじゃねぇの?」
「うん?」
「オレたち、保護者と揉めんのは勘弁だかんね」
「ん? 大丈夫だよ。珠夜さんがママンから学んだ最大の教えは、自由に生きろ! ということだから」
「違ぇよ、そっちじゃなくて。雨宮たちのこと」
「え、ちょっと待って、村山さんにとって、広斗くんたちは保護者なの?」
 くるりと目を丸くして、彼女は「おかしいな」と呟いた。「珠夜さん、れっきとした成人女性なのに、高校生から子供扱い」
「まあ、おれたちもとっくに成人はしてるんだけどねっ」関が糸目を細めて告げる。
「だってぇ、雨宮の家に居候してるんでしょ?」と、村山は言う。
「うん」
「で、雅貴に飯つくってもらって」
「うんっ、雅貴くんのつくるご飯おいしーよ!」
「家のこともほぼ二人任せ」
「まあ、そうだね」
「保護者じゃん」
「そうかもしれない」
 あれ? と首を捻る珠夜を前に、村山はまたも畳に転がりながら両手で顔を覆った。
「おまけにあの広斗まで過保護になんだもんなぁ。も、怖ぇよー。また難癖つけられて喧嘩吹っかけられる」
「え。ちょっと待って、珠夜さん知らない。広斗くん、村山さんに喧嘩吹っかけたの? 何で?」
 指の間からじとりと向けられた眼差しに戸惑いながら、彼女は口を開けて、閉じた。深く追及してもいいものだろうか、と頭を悩ませていると後ろから優しく肩を叩く者があり、振り返れば、朗らかな笑顔を浮かべた関がカードを掲げていた。「珠夜、トランプ、やりません?」
「……やるぅー!」
 呆けた表情をがらりと変え、彼女は「何やる、何やる?」と身体を揺らした。関がわくわくと同調しながら提案を出す。「じゃーあ、ババ抜きとかどうっすか?!」
「えー、いいよー! やろー!!」
「嘘でしょ。二人でババ抜きやんの」



 小気味のよいベルの音が鳴り、コブラは無意識にドアの方に目をやった。ランチ時も過ぎて新たな客とは珍しいと雑誌を机に置けば、仕切りの向こうから現れた予想外の顔ぶれに、彼は表情を固くした。
「雨宮……」カウンターに座ったヤマトが呟く。
 きょろきょろと辺りを見渡す兄弟に、声を落としてコブラは尋ねた。「何かあったのか」
「あ、いや、今日はそういうんじゃなくて」と、雅貴が言葉を濁し、頭に手をやる。「珠夜ちゃん、はー、いねえみてえだな」
「無駄足じゃねえか」ふてくされたように広斗は言った。「ほんっとに雅貴の勘は当てにならねえ」
「なんだと?」
「珠夜?」と、ヤマトは首を捻る。「って、あれか。最近お前らの後ろをよちよちヒヨコみたいについて行ってる」
「幼児みてえな表現すんなよ」広斗が渋い顔をした。
 彼女がいないなら戻るか、と踵を返そうとした二人の背に、プレートに乗った料理をかき込んでいたヤマトが呼び止めるように声をかけた。「せっかくなんだからなんか食ってけよ。お前ら金持ってんだろ?」
「……どうする?」
「あ? 別に、構わねえけど」
 満足そうな笑みを浮かべるヤマトの顔を一瞥し、彼らは長テーブルの席に腰掛け、手早く注文を済ませた。ぼんやりとイトカンの内装に目を向ける彼らに視線をやり、感慨深げにコブラが呟く。「まさか、お前たちが、赤の他人に世話を焼くようになるなんてな」
「あ?」と、広斗は眉を潜めた。
「珠夜のことだ。俺はてっきり、お前たちは自分のテリトリーに誰かを入れることを嫌うやつらだと思っていた」
「あ、それ俺も思った」頬張った食べ物を咀嚼しながらヤマトが言う。「昔から群れるのが嫌いっつうか、兄弟以外信じてねえ、みたいな顔してたもんな。よかったじゃねえか! 大事な妹分ができて」
「……そんなんじゃねえよ」



 慣れたように裏口から忍び込んできた珠夜と目が合い、KOOはわかりやすく顔を顰めた。
「雨宮兄弟のコバンザメが何の御用ですか?」
「あ、ロッキーの腰巾着に用はないですぅ」
「……今すぐ叩き出されたいようですね」
 威圧感を漂わせ近づいてきた彼の脇をすり抜け、彼女はホールへと続く出入口までを一気に駆け抜けた。
 開店前だというのに、一階席では従業員が忙しなく行き交っていた。キラキラした電飾で飾られた階段を眺めていると、二階席のフェンスに手をかけ、ロッキーの隣できびきびと指示を飛ばしていたキジーが彼女の存在に気づき声をかけた。「珠夜」
「あ。やっほーだよ、キジーちゃん」
「アンタ、また遊びに来たのね。ちょっと、そこ邪魔だからこっち上がってきなさいよ」
 おずおずと、どこか申し訳なさそうな足取りで彼女は階段をのぼっていった。
「なんだか、忙しいときにお邪魔しちゃったみたいだね。ごめんなんだよ……あ、なんなら珠夜さん出直すから今日は──」
「気にするな」と、ロッキーの声がした。「外からの意見は役に立つ。感想があれば、遠慮なく言ってくれ」
「珠夜さんのなけなしのセンスに意見を求めたらお店が大変なことになっちゃうよ。ロッキーはクラブヘブンを潰したいの?」
 真面目な顔に見上げられ、彼はサングラスの奥で目を丸くした。
「心配しなくてもアタシに任せてれば間違いないわ。ちょっとそこ! そのオーナメントは白とゴールドを交互に、って言ったでしょ! 誰?! 赤と緑なんて持ってきたやつは!!」
 凛々しい麗しいキジーちゃん、と珠夜はロッキーから差し出された棒付きキャンディーのセロファンを外しながら、美意識を発揮するその後ろ姿を見つめた。
「でも大変だね。この間ハロウィンが終わったのに、もうクリスマスのこと考えなくちゃならないなんて」
「それだけじゃないわよ? これが終わったらニューイヤーイベントのことも考えなくちゃならないし、この時期は気が抜けないわ。みんなてんてこ舞いで、余裕のない人間も増えて──あら。そういえばKOOがよくアンタをここに通したわね。バックヤードで仕事していたはずだけど、会わなかったの?」
「その野良犬が勝手に滑り込んできたんです」階下から苛立つような声がした。「このクソ忙しい時期に部外者を店の内部に入れるなど、私の管理不足が招いた完全なる失態ですね」
「あら。珠夜は野良じゃなくて、首輪をつけた立派な飼い犬よ。ねえ?」
「……飼い主が誰か見当がついてきちゃった珠夜さんはもうダメかもしれない」
 作業がひと段落ついた頃、そういえば、と思い出したようにキジーは呟いた。
「アンタ、今年のクリスマスは恋人とどう過ごすか決めてるの?」
「え。珠夜さん、恋人なんていないけど」
「……は?」
「へ?」
 大きく首を傾げると、キジーは休憩がてら口にしていたコーヒーの缶を強く握り、ワナワナと小刻みに震えだした。
「じゃあ、何よ、雨宮の弟はアンタ、遊び──? まァ!! 私はそんなふしだらな子にアンタを育てた覚えはないわよ!!」
「まず育てられた覚えがないけどちょっと落ち着いて?!」
 ホールに残っていた従業員が何事かと彼らを一瞥し、関わり合いにならないようにとまた作業に戻っていった。
「広斗くんは、あの、恋人とか、そういうんじゃなくて、いや、大切な人だしもちろん大好きなんだけど、それは珠夜さんの一方的な想いというか、何というか……」
「信っじられないわ。アンタたち、朝も昼も夜もいつ見かけてもべったりだから、てっきり付き合ってるものだと思ってたわよ」
「そんなに一緒にいるかな?」
「いるわよ。この間はダァと夕飯の買い出しに行ったときにばったり出くわしたし、その前はダァとプリクラ撮りに行ったときにUFOキャッチャーに精を出すアンタたちを見かけたし、その前はダァとツーリングに行ったときに──」
「惚気かな?」
 珠夜は口を尖らせる。否定をしたいような、したくないような、妙な気持ちが渦巻いた。
「でも、でもさ、いつも一緒にいるのは雅貴くんも同じだから、別に広斗くんが特別、とかそういうわけじゃ……」
 眉根を寄せてキジーは呟く。「あのスケコマシが邪魔なのね」
「そんなこと言ったら雅貴くんが泣いちゃうよ!!」



 イトカンの外に停めたバイクの前で、彼は盛大にくしゃみをした。吹き抜ける冷たい風に身震いし、一刻も早く家に帰ろうと心に刻む。
「風邪か?」メットを手にした広斗が尋ねた。
「わかんね。どっかで誰かが噂してんのかも。ッハ、ついに俺にもモテ期到来?」
「気をつけろよ」
「何だよ、広斗。珍しくお兄ちゃんを心配してくれ──」
「移すんじゃねえぞ」
「そっちの心配ね?!」
 エンジンをふかし、ハンドルを切ろうとした雅貴は、家とは反対方向に進み出そうとしている弟の姿を捉え、どうしたんだと声をかけた。
「少し流してくる。兄貴は先に戻ってろよ」
 排気ガスを撒いて走る背中を見送りながら、雅貴はにやける口元が抑えられなかった。
「なんだよ。やっぱ心配なんじゃん」

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