明くる日、通路を歩いていた広斗は、副艦長室から聞こえてきた喧しい落下音に足を止め、慌てたようにドアを開けた。侵入者でも許したかという心配をよそに、中にいたのは本棚からぶちまけた仕事用のファイルをあたふたと拾い集める珠夜の姿で──
「いや、違うの、広斗くん! 違うの違うの誤解なの!」
 冷たい視線を浴びせられ、彼女は焦ったように立ち上がり、棚の扉で頭を打った。
「落ち着け」
 痛い、と涙目になる顔に彼は呆れて息を吐いた。
「悪気はなかったんだよ、広斗くん。あのね、珠夜さんはせめてお掃除を手伝おうと思って、お部屋のゴミを集めてきてね、って頼まれたから頑張って回収してたの。で、廊下を渡ってたらドアに副艦長室、って書いてあるじゃないか! あ、広斗くんのお部屋だ!! と思って、ゴミを回収しようとしたらたまたまアルバムが目に入ったものだから、もしかしたら広斗くんの小さい頃が見られるんじゃ?! って、もちろん下心しかなかったけれど、ちょっとくらい見てもいいんじゃないかと思って取ったらこんなことになっちゃったの。だから、なにもやましいことはないんだよ!」
「……言ってることめちゃくちゃじゃねえか」
 髪を掻くようにしてしゃがみ込み、散乱した資料を拾う。思い出したようにせっせとファイルを戻す珠夜の隣で、広斗はふと視界の端に映った懐かしい思い出に手を止めた。
 落ちた衝撃で開かれたアルバムの1ページ。三者三様に枠の中におさまる少年たちの姿。
「これ、広斗くんっ?」
 向かい側から覗き込んできた珠夜を「顔が近ぇ」と押しやって、彼は不機嫌に顔を歪めた。
「ね、ね、見せてっ、見せて! あ、この眉を潜めてる美少年が広斗くんでしょ? で、こっちの頭と目が丸いのが雅貴くん! あと、この、この、もう一人の麗しの君は……?」
 はて、と無垢な眼が首を傾け、広斗は床に腰を下ろした。
「兄貴だ」
「なんと! 広斗くんたちにはもう一人お兄様が! しかももれなく美人さん!! これはもはや奇跡の遺伝子としか言いようがない! 讃えよ、神に愛されし家系!!」
「俺と兄貴たちは血が繋がってねえから、遺伝だなんだは関係ねえよ」
 瞬間、ぴたりと声が止んだ。訪れた静けさを不審に思って顔を上げれば、指で唇を掴んだ珠夜がアヒルのような形相をつくり、黙り込んでいる。
「……何してんだ、お前」
「うるさいだけで空気を読まない要らないお口を縫ってるの」
 彼は思わず吹き出した。「今更気にしてねえよ」と言ってやれば、彼女は反省の色を浮かべ、ゆっくりとその手を離して呟いた。
「一番上のお兄さんの、お名前はなんていうの?」
「尊龍、だ」
「ほうほう」じい、とアルバムを眺めた珠夜がふわりと優しく微笑んだ。「広斗くんは尊龍さんが大好きなんだねえ」
「あ?」
 訝しげな表情で広斗は彼女に目をやった。少年期から青年期の歩みを捉えたフィルムの中で、彼はどれも無愛想で可愛げのないツラをしているはずだ。
「これ見てよくそんなことが言えんな」
「ん? だって、お兄さんと映ってる広斗くん、どれもとっても幸せそうだよ?」
「あ?」
「例えば、これは視線が柔らかいし、こっちは口元が緩んでる。これとこれと、あとこれも尊龍さんのこと見ているし」ひとつひとつを指差して、さも楽しげに彼女は笑った。「きっととっても素敵なお兄さんなんだねえ」
 毒気が抜かれたような心地になって、彼は珠夜をじっと見つめた。
 三人で過ごした、楽しいと呼べる思い出が断片的に脳裏によぎる。平面の中に収まった兄の顔に、広斗はそっと指を伸ばした。
 その時──

 爆発音が波のように伝わって艦を揺らし、同時に多くの悲鳴が聞こえた。警報機がけたたましく鳴り響き、彼らは姿勢を正す。
 珠夜、は目の前にいる。ということは、本物の非常事態のようだ。
「お前はここにいろ」
 一言そう言い残し、彼は人の流れに逆らって音のした方向を目指した。
「広斗!」
 通路で合流した雅貴と目配せし、煙が上がる現場へと急ぐ。薄まる黒煙の向こうから無数の影が姿を現した。
「こんなところにいたのか、雨宮雅貴。随分と探したよ。人の縄張りを荒らしておいて自分は貿易船で高飛びなんて、いいご身分じゃねえか。この間のケジメ、しっかりつけさせてもらうぜ?」
「誰だ、アイツ」と、広斗が問う。
「……さあ?」
「春雨だ!!」トカゲ男が声を荒げた。「お前に組織を潰されたせいで、上から手痛いお叱りを受けてな。この恨み、晴らさずにはいられねえ。この間は油断したが、同じ鉄は二度は踏まない。お前らの首をとって俺たちの名を上げさせてもらうぞ」
「うーわ。もう、逆恨みの上にネチネチネチネチ。京女の腐ったみてえなやつだな。こんなにモテない性格のフルコース、初めて見た」
「うるせえ!!! そんな軽口を叩けるのも今のうちだ。オイ、お前たち、やれ」
 金属音をさせて一斉に向けられた銃口に、彼らは間一髪、左右の通路に飛び込んで攻撃をかわした。休むまもなく撃ち込まれる赤や緑のレーザー光線を横目で見やる。
「いくらお前らが肉弾戦に強かろうと、我らが兵器の前では手も足も出まい。さあ、どうした! 負け犬のようにこのままずっと隠れているつもりか! まあ、オレらはそれでも構わないけどなあ? この艦の乗組員を攫って売り捌きゃあ、それなりに儲けることはできるだろ」
 下卑た嗤いが辺りに響き、耳障りな声に広斗は苛立ちを募らせた。極限まで眉を寄せ、今にも飛び出しそうな弟を雅貴が「おい!」と牽制する。今は抑えろ、と言うように首を振る兄に、広斗は大きく舌打ちを飛ばした。
「なんだ。最強と謳われた雨宮兄弟も兄貴をなくせば大したことはないなあ? やはり我ら春雨がこの宇宙最強の──」
 風を切り、何かが耳元を横切った。鼓膜を揺らした爆風に男は目を丸くする。重い荷が倒れるような音に振り返れば、幾人かの手下が白目を向いて床の上にのびていた。ことり、とひしゃげたファイルが近くに落ちる。
「ヤッベ。珠夜さんノーコンなのすっかり忘れてた」
 開いた日傘を肩にかけ、小柄な女が前を見据えた。
「珠夜ちゃん? ちょ、何してるの。危ないから皆のところに避難しろって!」
「お前」天人は彼女を見つめ、そうかと口の端を上げた。「姿が見えないと思ったら、こんなところにいやがったのか。てっきりオレは恐れをなしてまた逃げ出したのかと思ったよ」
 冷めた表情で男を見やり、彼女は小さく顔を歪めた。
「そいつらにはちゃんと言ったのかあ? 自分が夜兎族随一の落ちこぼれだ、ってことをよ」
 一団が嘲り嗤う。
「戦闘民族に生まれながら戦いを避け続け、ついには見限られ左遷された臆病者が。我々の温情で拾ってやったというのに、騒ぎに乗じて姿をくらますとは。さすがに逃げ技だけは習得してやが──」
 風圧で髪が舞い上がり、またも倒れる音がした。
「べらべらべらべら、個人情報漏洩してんじゃねえよ、爬虫類。このまま冬眠させてやろうか」唸るように彼女は言う。「カンパニーはお客様第一主義なんだよ。お前みたいに頭も口も軽いやつなんて一発でアウトだ。カンパニー、ってなんだかよくわかんないし他にも雅貴くんたち色々言ってた気がするけど忘れたけど、今、お前らを叩きのめさなきゃいけないことは、珠夜さんでもよくわかる。それが嫌なら今すぐお引きとれよ。それくらい言葉通じんだろ」
 一瞬、たじろいだ男が鼻を鳴らして胸を張る。「お前のようなやつに一体何ができるってんだ。宇宙最強の海賊に楯突いて、どうなるか想像ぐらいはつくだろう。いつも通り影に潜んで震えてる方が身のためだ!」
「……やかましいんだよ、さっきから」
 通路の影から広斗が足を踏み出した。沸点に達した苛立ち任せに、鋭い目つきで吐き捨てる。
「無駄に喋るやつなんて、雅貴とその女だけで充分だ。耳障りなんだよ。今すぐ黙れ。お前、こいつが臆病だ、っつったな? 本当にそうならどんなに楽か。面倒ごと起こそうがへらへらへらへら笑いやがって、ツラの皮の厚いこいつの尻拭いさせられる気持ちがお前にわかるかよ」
「辛辣! さすがは広斗くん!!」と、珠夜が後ろからちゃちゃをいれる。
「うるせえ」と、彼はガンを飛ばした。「お前ら天人はどうか知らねえけどな、地球じゃ容易に命奪えるやつを優秀とは言わねえんだよ。躊躇い感じるこいつの方が、てめえらよりよっぽど強い器だ」
「そうそう。珠夜ちゃんはいい子だから、てめえらクズのために闘えるような子じゃねえんだよ。俺たちのために拳振るおうとしてくれる、優しい女の子だ」
 雅貴と広斗が立ちはだかり、怯むように一団が後退する。
「女の子に助けられてるようじゃ、男の名が廃るからなあ。そろそろ俺らも反撃しねえとな?」
「何を生ぬるいことを。おい! お前ら今すぐこいつらを──ッ」
 鈍い銃声と共に青い血を撒き散らし、男が床に倒れ伏した。硝煙の上がる黒い鉄の塊を握り、広斗が冷たくトカゲを見下ろす。「おい……俺らが優しいなんて誰が言った」
「おかしらあああああああ!!!」
 部下の叫び声も虚しく、彼は無残にこと切れた。
「あーあー、いっつもいいとこ持っていくんだから」不満げな顔で雅貴は言う。「まあ、せっかくご足労頂いた客人だけど、これはもう話し合いができる感じじゃないしなあ。交渉決裂ということで、全員やってやるとしますか」
「はい! はいはい! 珠夜さんも!! 珠夜さんも混ぜて!!!」
「ええっ。珠夜ちゃんは危ないから、そろそろ戻った方がいいんじゃない?」
「あのねえ、珠夜さんねえ、あいつら大っ嫌いだったからずっとぶちのめしたかったの。いい機会だから潰しちゃダメ? お願い、お願い!! 雅貴くん!!!」
「う、うーん。まあ、仕方ねえか」
「てめえ足引っ張りやがったらただじゃおかねえからな」
「わーい、やったあ!!!」
 及び腰になる一団に、珠夜はにっと口を上げる。
「さてと。冥土への道引いてやっから、お渡りやがれや、お客様?」



 手についた埃を払い、めいいっぱい伸びをする珠夜の横で、広斗はちらりと目をやった。
「怪我は」
「ん? あ、ないよ! ぜんっぜん! ほら見て、元気!! ──広斗くん?」
 頭に軽く乗せられた手に彼女は目を丸くした。
「お前は……お前の力は、大切なもんを護るために使え。ここにいる限り、無駄な争いはしなくていい。お前のままでいればいい。この艦は、そういう場所だ」
「広斗くん……」
 ポケットに手を入れながら、彼はす、と視線を逸らした。
「昔、兄貴に言われたんだ」いつになく優しげな目で広斗は言う。「俺は、俺たちは、その意思を継いでこの艦を動かしてる。お前はもうここの一員だ。だから、安心しろ」
 ぶっきらぼうに、しかし柔らかく告げられた言葉。気恥ずかしそうにも見える横顔に胸を高鳴らせながら、珠夜は思う。
 ──やっべ。これは任務が面倒でばっくれたとは、もう言えないパティーン。

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