ほろ酔い気分で道を行く。天人たちが行き交う飲み屋街を雅貴はどこか不貞腐れた面持ちで歩いていた。大口の取引を終え、降り立った惑星で久しぶりに遊び倒そうと夜の街に出たはいいが、どこに行ってもイイ女には巡り合えず、果ては言葉の通じぬ天人からすり寄られる始末。うさを晴らすように酒を煽り、そろそろ艦へ戻ろうとした矢先、彼は灯りの届かぬ路地の隅で何かが蠢く様を目撃した。
「なんだ?」
 目を凝らせば、屈強な異形の天人が暴れる女を取り押さえ、影へと引き摺り込んでいる。
「……おいおい」
 人目を気にするように姿を消した男の後をつけ、雅貴はひっそりと路地裏を抜けた。
 先の道は乗船場へ続いていた。ぽつぽつと点在する街灯がぼんやり照らす人影に気づき、彼はコンテナの後ろに隠れ、静かに様子を窺った。暴れる女を担いだ天人が埠頭に向かい、仲間と落ち合う。目の前に広がる光景に、雅貴は思わず顔を顰めた。「……マジかよ」
 明かりの消えた暗い宇宙艦。その前には、数多の影が並んでいた。手に拘束具を付けられ、恐怖や諦めを漂わせる者たち。どこからどう見てもそれは、人身売買を行う密航船に違いなかった。
「あー、なんだよ、もう」厄介なものを見てしまった、と雅貴は頭を掻きむしった。その時、ふと脳裏に閃くものがあり、彼はぴたりと動きを止めた。捕らえられた女たち。密売人、倒す。開放。感謝される、俺──!
 出来た図式に顔を緩め、そうと決まれば、と気合いを入れて、彼は素早く距離を詰めた。
「オラ、さっさと行け!」トカゲに似た異形の男が人々を蹴り出すようにせっついている。「ちんたら歩いてんじゃねえよ。お前ら下等生物に割く時間は俺たちにはねえんだ。これ以上余計な手間かけさせやがったら腹に穴が開くぞ。オラ、行けよ!」
「あーあー、女はもっと優しく扱わねえと。お前、そんなんじゃ一生モテねえぞ」
「──ッ、なんだテメエは!!」
 向けられた銃口に「うおっ」と声を出し、雅貴は両手を上げて後ずさった。
「まあ、こうなるよな」
「下手な真似しやがると、その身体が蜂の巣になんぞ」
「うわあ、なにそれグロっ。ちょっとそれは勘弁だわ」
「何者だ、キサマ」
「ん? まあ、そうだなあ。強いて言えば、泣いてる女を放っておけない通りがかりの地球人、ってとこ?」
 顔を強張らせた天人がす、と警戒を緩める。警察だとでも思っていたのだろう。自分の思う脅威でないとわかるや否や、彼はすぐにも態度を変えた。
「ヒーローごっこをするつもりなら当てが外れたな。我ら春雨の一団にケンカを仕掛けるとは! おい、コイツも牢にぶち込んどけ」部下の一人に命を出し、彼は威張って胸を張る。「劣勢遺伝子の地球人如きがオレたちに勝負を挑んでくるとは驚きだ。そんな女みてぇなツラして、一体何ができるってんだ。怪我したくないなら大人しくしとけ?」
「……あ?」
 背後に生き物の気配を感じる。足音から複数いるのは予想がついた。しかし、雅貴にとってそんなことは重要ではない。見下すように吐かれた言葉が琴線に触れ、青筋が立った。ヒヤリとした空気が漂い、鋭い視線が矢のように相手を射る。
「──ブチ殺されてえのかテメエ」



「意味がわからねえ」
 艦内で治療を受ける兄を前に、広斗は冷ややかな態度で言った。「こんな夜中までどこほっつき歩いてるかと思ったら、密売人相手に喧嘩? 一人でやることじゃねえだろ。馬鹿か」
「ってて……ちょっと、満身創痍のお兄ちゃんにそういうこと言う? 見てよこれ、傷だらけよ? もうちょっとこう、労いの言葉をかけてやろう、みたいな優しい気持ちはねえのかよ」
「どうせまた女絡みだろ」
 眉根を寄せて見下す弟に、兄は口を尖らせる。まさにその通りであるのだから言うに言い返せない。
 船員すべてを叩きのめし、老若男女、人種問わず牢に押し込まれた者をも開放した雅貴であったが、ことは彼の思うようには進まなかった。自由を取り戻した人々は我先に外へ出ようと散り散りになり、残されたのは床に伸びる天人と彼ばかり。
「そりゃ気持ちはわかるけどさっ? もーーちょっとお礼とか感謝とか、あってもいいんじゃないかと思うわけよ?!」
「自業自得だろ。春雨相手に厄介事起こした挙句、あんなもんまで拾ってきやがって」
「おい、そんな言い方すんなよ。仕方ないだろ? あの子だけ帰る場所がないって言うんだから」
 彼らの視線の先には、乗組員に手当てされ、出された夜食を戸惑いながらも口にする小柄な少女がいた。忙しなく辺りを見回す挙動不審な様子を見やり、広斗は渋い顔をする。
「まあまあ。今更一人増えたところで別に大して変わらねえよ。それに、あのままにしたらまた同じ目に合いそうだったし。ほっとけって言われても、なあ?」
「ったく……」
 ため息まじりに闊歩する弟を慌てたように雅貴は追った。「おい」と、いうぶっきらぼうな声を聞き、少女が後ろを振り返る。ぽとり、手にしたおにぎりから一口分の塊が落ちた。
「事情は兄貴から聞いた。行く当てがないだか何だか知らねえけどな、この艦に乗ろうってならお前にもそれなりの働きはしてもらうぞ。客人扱いするつもりもタダ飯食わせるつもりもねえからな。それが嫌なら今すぐ出てけ。俺たちはもうすぐこの星を発つ」
「おいっ。お前、そんな言い方──あ、いきなりで驚いちゃったよね。こいつは俺の弟で、この艦の副艦長の広斗くん。まあ、見かけ通り愛想はねえけど、根はいいやつだから、怖がらないでやってほしいな」
 朗らかに肩を叩く兄を横目で見やり、広斗は鬱陶しげにその手を払った。痴話喧嘩のようなやり取りを見つめ、彼女の唇が薄く開く。驚いたような表情に、雅貴は小さく首を傾げた。
「ん? なに。どうかし──」
「なんてこった!?」声が響き渡った。「イケメンのお兄さんの弟は国宝級の超イケメン! せっかく両親白鳥でも子供がハゲタカとかザラなのに、兄弟揃って優生遺伝子だなんて。まさにDNAの生んだ奇跡!! 二人のご両親に今世紀最大の賛辞を贈りたい。尊い顔をありがとう!!!!!」
 幾重にも反響する言葉に、艦内の空気が固まった。しん、と静まり返る空間で、二人は互いの目を合わせる。
「……大丈夫なのか、コイツ」
「たぶ、ん?」

 懸念は見事的中した。
 少女は、名を珠夜といった。どの部署で働かせようか思案する二人に彼女は「珠夜さんは落ちこぼれだからね、できることなんかなんにもないよ」などと言う。試しに入れた厨房で、彼らはその意味を知ることとなった。
 仕事開始から一時間も経たぬ頃、艦内を揺らすほどの爆音が轟き、乗組員たちは何事かと騒ぎの場所に集まった。群衆をぬって到着した雅貴と広斗は、ものの見事に吹き飛ばされた調理台の一角を茫然と眺めた。もうもうと上がる煙の中から出てきた珠夜は髪を焦がし、「だから言ったでしょ!」と誇らしげに腕を組む。広斗のげんこつがその脳天に直撃するまで、わずか三秒。
 その後も、洗濯場は洪水となり、取引先のズラは宙を舞い、果てはボイラー室がショートして墜落の危機を迎える羽目にまでなった。
「──お前は、俺たちに何か恨みでもあんのかっ」声を荒げた広斗が怒鳴る。
「えぇ、そんな! 珠夜さんこんなに一生懸命頑張ってるのに!! そもそも、無理だよ、って言ってるのにゴリ押ししてきたのは広斗くんじゃん。珠夜さんのせいじゃなくない? そんなに悪くなくない?」
「そうか、わかった、もういい、わかった。お前は何もすんな、動くな、息だけして座っとけ!」
「えぇ?! そんなっ、それはいやだよ。仲間外れみたいなことしないでよ! お願い、なんかやれって言って!!」
「じゃあお前は何ができんだよっ」
「はい! はいはい!! 神に恵まれしそのご尊顔を一日中眺めてることができます!!」
「オイ、誰かこのドア開けろ!! 今すぐコイツ叩き出してやる!!!」
「おい広斗、待てって! ここ宇宙!!」
 船員たちが笑い声を上げる。口を尖らせ、眉を下げてしょげる珠夜に料理番の女性が声をかけた。
「まあまあ、珠夜ちゃん、元気出して。ドーナツいるかい? 揚げたてだよ」
「ドーナッツ?! 食べるー!!」
 目を輝かせ、脱兎の如く飛び出して行く姿を見やり、広斗は苛立ちのまま拳を突き立て、壁に穴を開けた。
「どうどうどう」
「馬じゃねえんだよ」たしなめる兄に睨みをきかせる。「アイツ、飯だけは人の倍以上食いやがって……いつかぜってえ締めてやる」
「んな怖いこと言うなって。仕事の件は、まあともかく、見ろよ。珠夜ちゃんが来てからこの艦、明るくなったと思わねえか?」
 二人の視線の先には、乗組員たちに囲まれ、肩を叩かれ励まされる珠夜の姿があった。へらへらと頬の緩んだ締まりのない顔に目を向け、広斗は思う。
 兄の言葉は確かに、一理ある。彼女が仲間の一員になってからというもの、艦内には笑い声が増えた。天真爛漫な態度と歯にきせぬ物言い。馬鹿正直な素直さとユニークさは人を惹きつけ、心を開かせるらしく、珠夜は短い期間に多くの者から可愛がられるようになっていた。粗相をした取り引き相手も結局すべてを水に流し、契約が破談になることもなかった。

 着陸した異星に広がる青空を甲板の上から眺めながら、広斗は自分の考えを改めるべきだろうか、と思案していた。暖かな陽の光の中に立つと、気持ちが穏やかになっていく。随分前に「散歩に行ってくる」と、意気揚々と日傘をさした珠夜が町に出向いているからか、艦内もまったくもって静かなものだ──やはりこのところの騒動は全て彼女が引き起こしているではないか。
「副艦長」
 舌打ちをしかけた広斗に声をかける者があった。
「あ? どうした」
「あの、今、連絡があって。珠夜ちゃんが迷子になった、って」
「……やっぱりアイツは一回締める!」

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