賑わいを見せる通りを珠夜は何とも不思議な気持ちで歩いていた。
 数日前、今度の祝日は開けとけ、と加藤から有無を言わさぬ呼び出しを食らった。なんでも、天道地区をあげて行われる大規模な行事ごとがあるらしい。
「もう家族みてえなもんなんだから、お前も来いよ」
 嬉しいような鬱陶しいような、余計なお世話のような勘弁してほしいような──様々な思いの浮かぶ言葉を受けて、珠夜は渋々指定された場所へとやって来た。

 おお、と彼女は声を上げる。辺り一面には、紅を基調とする絢爛な飾り付けが施されていた。普段であっても、年中祭りが催されているように和風の装飾が目につく場所ではあるが、言ってしまえばそれは異質で、異様な空間に迷い込んだ独特の妖しさがあり、安易には近づき難い空気が漂っている。
 集まる人間もその中に溶け込む者、言ってしまえばガラの悪い、アンダーグラウンドな男たちが多く、一般の身からすれば、できる限り関わり合いを避けたいヘビーな印象がこの地区にはあった。
 しかし今日はどうだろう。辺りはやけに活気づき、道行く人たちの中には子供連れの家族の姿まである。どうりでここに至るまで、道が混み合っていたはずだ。普段を知る珠夜にとっては違和感を感じる光景ながら、よそ行きの服を羽織ったような今日の姿には、確かに日の目が馴染んでいた。
 通りに立ち並ぶ提灯や絵付けがされた地球儀型のランタン。今は本来の様相は見えないが、日が暮れれば明かりが灯り、ぼんやり光るホオズキのように妖しくも幻想的な風景を映し出してくれるのだろう。
 出店や建物の壁には、打ち上げ花火や花魁道中、芝居小屋など、催し物の案内が描かれたチラシが貼られている。祭り好きの一団が主催者とだけあって、本当に、えらい張り切りようだ。
 ふと足を止め、頭上から垂れ下がる金と紫の房飾りに何気なく手をやり見つめていると、離れた場所から乱暴に名前を呼ぶ声がした。
 頭を動かす。
「おい、どこ見てんだよ。こっちだ、こっち!!」
「加藤さん」
 一般人が往来する中、その赤髪はなんとも目立った。
「遅えよ。朝から来いって言っただろうが」
「勘弁してくださいよ。こちとらたまの連休なのに駆り出されて、わざわざここまで出向かにゃならんくなったんですよ? ちょっとはこっちの気持ちも考えてください。むしろ来ただけ感謝して」
「お前……それ絶対日向に言うなよ?」
 げんなりした表情で加藤は彼女を見下ろした。せっかく楽しい祭りの最中に喧嘩の仲裁はごめんだ、とはっきり顔に書いてある。こっちだって好きで諍いを起こしているわけじゃない、と珠夜は心の中で強く叫んだ。
「そういえば、日向様は?」
「あぁ、ちょっと夜の出し物の件でトラブってな。今、手が離せねえんだ」
「へえ」と、彼女は内心安堵する。
「にしても今日は色々すごいですね。なんか記念日とかありましたっけ」
「あー、いや、そういうんじゃねえんだよ。ほら、この間の九龍の一件が終わってからスウォード地区の治安も少しずつ変わってきたろ? んでもここら一帯は相変わらずだ。まあ、賭場場あるから仕方ねえっちゃねえんだが、いい加減、日中の静まりようが日向も気になってきたみたいでな。荒廃した過疎地域なんて言われる前に、イメージアップでも計ろうってことになったわけよ」
 珠夜は目を丸くした。
 天道地区の、イメージアップ……吹き出しそうになった息をすんでのところで飲み込む。
 そうか、あの人も、そんなことを気にしたりするのか。自分の知る日向紀久という男の新たな一面、頭としての有り用を垣間見たようで、彼女は幾分むず痒い心地になった。
「あー、そういえば」と、加藤が言う。
「お前、着付けとか興味あるか?」
「は?」
「せっかく呼びつけたのに案内役が居なくなっちまったからなあ。一人で廻れ、ってのも酷だろ? 今、和装の体験できる店も出てんだよ。あそこならある程度時間も潰せるんじゃねえかって思ってな」
 なるほど。言われてみれば、通りを歩く人の中に浴衣や着物を身に付けた男女が多く見受けられる。これはそういうことだったか、と珠夜は一人納得した。
「ま、詫びみてえなもんだから、ありがたく受け取ってくれ。話は通しとくからよ。抜けられるようになったらまた人寄越すから、それまで待っててくれや」
「え。あの、加藤さん、私が今日呼ばれたのって……」
「あ? この祭りお前に見せてえ、って日向が言ったからだけど?」
「──おっと?」
 てっきり無理難題を押しつけられる、と身構えていた珠夜は、肩透かしを食らったような気分で口を開けた。

 簡素な地図を渡され、いやそこは案内しろよ、と思いつつ、加藤と別れて指定された店へと向かう。
 暖簾をくぐると、珠夜はすぐにも奥へ案内された。並べられた色とりどりの着物や装飾品に、心が躍る。ごゆっくりお選びください、という店主の言葉に甘えて吟味し、彼女は黒と白、赤が混ざり合う華にも似た抽象柄の着物を選んだ。
 和服をもっと身近に感じられるようにという意向から、思ったよりも着付けは易しく、浴衣と中間のような印象を受けた。動きやすい帯ベルトを締め、長くなった髪をトンボ玉の付いた簪で結えてもらう。特別に化粧も、と言われるがままに鏡台の前に座れば、あれよあれよという間に、派手さは抑えつつもはっきりとした色合いが彼女の顔を彩っていった。唇にのせられた暗めの紅。細く引かれたアイライン。目頭に薄ら入った赤を見て、瞬間、日向の眼を思い出した珠夜は、一人頬を赤らめ、頭を振った。

 すべてが終わった頃には、もう数時間が経っており、煌々と地上を照らしていた太陽も眠りの準備につこうとしていた。
「おー、なんだ珠夜か」
 辺りが薄暗さを増し、思った通り幻想的な明かりを灯すランタンが並ぶ通りを歩きながら、様々な形の風車が売ってある店を見ていると、後ろから声をかけられた。
 振り返れば、そこには右京と左京の姿があった。
「一瞬、誰かと思ったわ。何だ、着付けてもらったのか」
「あの、加藤さんに、薦められて」
 右京の言葉に、気恥ずかしげに珠夜は答える。
「似合ってんじゃねえか。孫にも衣装たぁこのことだなぁ」と、左京が言った。
「それ褒めてませんよね?」
「褒めてるよ。綺麗じゃねえか。日本人形みてえだ」と、右京。
「なんか……うん? あの、うん。微妙な、気持ちです」
 にやにやとからかいまじりの笑みを浮かべられ、羞恥心と抵抗の間で珠夜はむすりとした顔をした。
「お前、今から出しもン観に行くだろ?」
「出し物?」
「あ? 聞いてねえか? 外注してた演者の一人が都合つかなくなって、急遽日向が代理やることになったんだよ」
「あ、さっき加藤さんがトラブル、って。それのことか」
「見に行ってやれよ。久々外面整えられて不機嫌だったけどな、なかなか様になってたからよ」
「惚れ直すんじゃねぇかぁ?」
「なんだって」
 二人の発言に珠夜はごくり、と喉を鳴らした。不可抗力だ。思わずだ。
 この数年、彼女は日向のやる気のない姿か、血に塗れた姿か、やる気のない姿しか見ていない。気怠げに横たわる無精髭が外見を整えられたと聞けば、少し期待してしまうのも無理もない話だった。

 もう直ぐ始まる頃だろう、と珠夜は二人に言われるままに、催しが執り行われるという中央通りまでやって来た。
 幅の広い道の両端には既に見物客が立ち並び、彼らの交わす言葉が賑わしい喋り声となって一帯に溢れている。そういえば、どんな見世物なのか聞いてこなかった。珠夜はぼんやりと、そんなことを考えた。まあ、直にわかるのだから構わないだろう。通りに面した場所に一人分の空白を見つけ、彼女はそこに収まった。
 ふと、騒がしくなった声に気づき、珠夜は先の方に目をやった。落ち着いたお囃子のような和楽器の音と控えめに鳴る鐘の音が聞こえてくる。どうやら見世物が始まったらしい。
 ゆっくりと、静かに歩む一団を珠夜は両目を細めて見つめた。煌びやかな衣装。思った通り、和の様相を施した人々が道を練り歩く。その輪郭がはっきりする前に、珠夜は日向の姿を捉えた。あの佇まい、雰囲気、間違いない。色香の漂う風体に息を呑み、そして彼女は──固まった。
 暗色の着物の上に派手な色使いの羽織をかけ、金の鎖と紅い紐が絡み合うような帯を巻き、下駄を履いて闊歩する達磨の頭領。日向紀久が、女の手を引いている。
 豪奢な着物に身を包み、日本髪を結え、ベッコウの簪を差す花魁。高い下駄で外八文字に歩みを進める彼女の手を取り、彼は気怠げに歩いていた。
 どくどく、と心臓が音を立てる。下がる体温に反して、腹の底から熱した油のような何かが込み上げてくるのを感じた。
 その見世物は、花魁道中を模したものだった。そういえば、ここに来る途中、何度かそんなチラシを見たような気がする。厚化粧の女がこちらに向かって来るにつれ、甘ったるい、花の蜜のような香りが辺りに漂った。百合のような強い香り。胃が、むかむかする。
 引き攣った顔で、それでも視線を逸らせずに、珠夜は日向に目をやった。徐々に彼が近づいてくる──一歩、一歩と、距離をなくす──彼らが珠夜の前を行き、そして──通り過ぎて行った。
「綺麗」「すごい」「感動した」と、群衆が誉めそやす声が耳に届く。
 ぎり、と唇を強く噛み、珠夜は、踵を返して駆け出した。
 肩が人にぶつかるのも構わず進む。無意識に、達磨の屋敷へ向かっていた。身体が場所を覚えている。侵食されているようで気分が悪い。息を切らし逃げ帰る途中、「おい!」と馴染みのある男の声が聞こえたような気がしたが、珠夜は無視して走り続けた。


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