期限付きの星


 不動産屋は住居も兼ねているらしく、庭先にはよく分からない色とりどりの花や植物が植えられている。加えて、二階の窓には下着類や住民のものと見られる衣服が干されている。塀の向こうは武器屋の入り口であり、その隙間にぎりぎり車が一台通れるくらいの細い道が奥に延びている。
 ディールは、この道が行き止まりなのも知っていた。
 以前、あの少女と共に迷子の猫探しの依頼を受け、探し回ったことがある。その際に、ここら近辺の地形はすっかり覚えてしまっていたのだ。
 駅の方向に目をやる。ヒビも苔も錆びもつき放題なビルに対し、駅周辺に密集した店や家屋は小洒落ていていけ好かない。瀟洒だなんだともてはやされてはいるが、長くこの街に住むディールのような者に言わせればただの見栄の張り合いである。
 ここ1年で世界情勢は大きな躍進を遂げた。経済は今までの100倍速の速さで変化していると言っても過言ではない。特に大きな変化といえば、各国の首脳や専門家が皆一様に結託し出したことだろう。彼らは、自国だけでなく他国の経済や自然に関する問題に目を向け、協力して問題解決に乗り出し始めたのだ。それにより国と国の間にあった溝が埋まり始め、その余波が、世界の中でも特に孤立していたこの街にも及んだ。結果、今まで外からの介入を受けることがなかったこの街にも、移住者が増えた。
 移住者には、金と時間をあり余らせた、変わり者の貴族たちが多い。昔から奴らは風変わりな物を好む傾向にあったし、当然と言えば当然か。
 貴族たちは今までこの街を野蛮だと蔑んでいたわりに、意外と早い段階でこの街に移り住み出した。なんでもこの街は、今後の経済の中心になると言われる都市に近く、もう十何年か……早ければ数年のうちに、その都市と合併、取り込まれるだろうと言われているらしい。
 経済の中心ともなれば、それはすなわち世界の中心になる。後からそこに住もうとすれば、たちまち場所の取り合いが始まり、土地の価格は爆発的に跳ね上がるだろう。
 だから“善は急げ”。貴族たちは我先にとこの街に手をかけたのだ。
 汚いビルの隙間から覗く、この街にひどく不釣り合いな高層マンションの壁。それは夜になれば美しく輝き、この街の上に浮かぶ星々の輝きを掻き消すのだろう。
 真新しい摩天楼は確かに美景だ。しかしディールの目は、サビと苔とヒビの入った汚らしいビルばかりを追ってしまう。
 ディールは止まっていた歩みを再開した。長い脚はすぐにコンクリート製のドアを潜る。丸く作られた玄関ロビーの両端には、制御室、管理人室と表札を掲げた鉄の扉が二つあるものの、人の気配は皆無であった。
 廊下のど真ん中に転がる巨大な毒蛾を無視して跨ぎ越し、廃ビル同然の汚さを誇る10階建てのビルの最上階の一番奥……「Atlantis」と走り書きされた表札が横に掲げられている、重曹感あるドアの前に立った。
 書類の提出以外に、「したいこと」があった。確か、件のあの馬鹿のシフトには、今日の今頃が入っていた気がする。
 ドアをくぐり、少しひらけたスペースをツカツカと進む。2個目のドアのノブに手をかけ、捻る。
 ドアを開けると、隙間からボッと熱風が吹き出した。熱風はディールの顔面に直撃する。ディールはわずかに驚いて身を引いたが、寒さには抗えない。急いで体を滑り込ませて中に入ると、外の冷たさが嘘みたいに、室内は暖かかった。
 部屋に入ったディールの瞳は、部屋の奥へと吸い寄せられる。
 部屋の奥の壁際に、見覚えのないストーブが据えられていたのだ。わずかに錆びついた、小汚いストーブが。
 ゴウゴウとおも苦しい音を立てて熱を撒くストーブを眺める。3日前にここへ来たときはこんなものなかったはずだ。部屋だってこんなに暖かくはなかった。むしろ室内には霜が降りていた。
 どうしたんだ、あれ。誰かいないんだろうか。聞きたいことがありすぎだ。ディールはまた部屋を見渡しはじめる。部屋の真ん中には、いつもと変わらずに地味な長テーブルが我がもの顔で立っている。その上に、美味そうなコーンスープの入った薄ピンクのマグカップが一つと、分厚い辞書が一冊、あと銀のシャーペン一本、裸の消しゴム一個、少々の消しカス、そして、書きかけの便箋が一枚、口の開いた封筒が一枚。それらがみな、蜘蛛の巣のかかった照明ランプから放たれている橙色にテラテラと照らされている。そのテーブルの隣の、粗末なシーツのかかった比較的大きなソファを見た。
 モヘア生地の掛け布団に包まった、小さな何かが、そのソファの上に鎮座している。
 ディールの口元に笑みが滲む。暖かい部屋には似つかわしくない笑みだ。
「だらしねぇな」
 そう一言、盛り上がった掛け布団に声をかける。ディールは酷薄なにやけ顔のまま足音を殺して進み、ソファの上の膨らみに近寄った。そして、掛け布団の下で能天気に眠っているらしいそいつの横にするりと腰を下ろしながら、テーブルの上の空いたスペースに向かって、抱えていた茶封筒を放った。
 茶封筒が着地する様には目もくれず、ディールは体を折り曲げて、間髪入れずに掛け布団に手をかけて、慎重に捲った。



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