慟哭




俺じゃないんだ…。
よくあるだろ?
頭の中で子供の声がしたんだよ…。



 目の前の男はそう言った。整えていない髪型や、糸がほつれたシワのはいるシャツは、経済的な余裕がなく同情してもらうための演出だと検事さんが話していた。法律というものは、事実に基づいて判決を下すものではないのか。そう頭によぎった瞬間、兄の遺影をもつ手が震える。兄を殺した男が、こんな人間だったと兄に見せることさえ出来ず、遺影をわたしの方へ向けた。頬を伝う暖かい涙、いつの間にか歯を食い縛るようにその男を見ていた。まばたきを惜しむのは、この目にアイツを、兄を殺した犯人を焼き付けるために。

「被告人はこのように、心神喪失と見られます。ことの発端は──」

弁護士の言葉が、何も入ってこない。ただ分かることは、人を殺しておいて、のうのうと罪を免れようとしていることだった。やっと、犯人が捕まったんだよ、兄にも報告したのに。

「それでは、判決を下します」

 大丈夫、と言い聞かせた自分がいる。目の前の男は人を殺している。それも、一人じゃない。それなのに、どうして大丈夫、なんて言い聞かせているのだろう。

「被告人は……」

誰かが立ち上がって、泣き叫ぶように「人殺し」と言い放っていた。つんざくような悲鳴と涙が、自分だったと気づく頃には警備員に取り押さえられていた。

わたしの兄を殺した男は、心神喪失と言われ、無罪となった。


#00 慟哭




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