玄関から鍵を回す音がした。包丁を持つ手を止めてリビングに飾られている時計は22時半を指している。出迎えてあげてもよかったが、これ以上夕食が遅くなるのは頂けない、と再び玉ねぎを切り始める。


「ナマエ…お前なあ」


リビングの扉が開き入って来たのは予想通り降谷だった。というより合鍵を渡しているのは彼しかいないから。この時間なら機嫌良く家に来ることはないだろうと察していたが、彼はわたしをみて眉を顰めた。


「女ひとりだからってその恰好はどうかと思う。火事とか起たら、逃げるときどうするんだよ」


確かに上はTシャツを着ているが下は何も履かず下着姿だ。しかしこれがわたしのスタイルだし、寝る時だってこの姿であることはもうとっくの昔に知られているはずだ。そもそも人が来ると分かっていれば短パンぐらい履いてるし。


「アポなしでくるから悪いんでしょお!晩御飯は?」


警察庁のエリート組である降谷は何かと忙しく、自宅より近いから、と何かとこの家を使う。一時期、多忙を極めあまりにもウチに帰ってくることが多く、けれどもわたしも警視庁に身を置く人間であり四六時中家にいるわけではないから、と合鍵を渡してからあっという間に数年の月日が経っている。そこから人間関係的に明確な発展はないが、ベッドを共にしたことだってないわけじゃない。だから本当に今更で、何云ってるんだか。丁度具材の在庫があったから腹を空かせているのではないかと声を掛けても、当の本人は返事をせずスーツのジャケットを勝手知ったる様子で片付けている。勝手な奴だなあ。


「ちょっと、聞いてるの」


好意で聞いてやってるのに、相変わらず無視を決め込む様子にもういいや、と二人分の野菜の調理に再開する。降谷とは警察学校時代からの付き合いで、なにかとモテるのは知っているが頬を染めている女子たちの云う”カッコイイ”がわたしに発揮されたことは記憶にない。自分の乱雑で男勝りだと云われる性格は自覚しているから、あまり女として意識されてないと思っているが、アイツはこう小さいことをちくちくと突いてくる。同じく同期の松田はそれを否定するが、わたしからしてみれば否定する要素がみられない。


「いっ…!?ちょっと、」
「うるさい」


背後に人の気配を察し振り返ろうとすると、その前に人の体温がするりと大腿を滑った。急に後ろから抱擁され、包丁を持っているのだからと非難しようと口を開くが全てを云い終わる前に襟からでている肩にがつりと噛みつかれた。甘噛みなんかじゃなくて、こいつ、本当に噛んでる!包丁を置き左肩に乗る頭を鷲掴みにしてやろうと手を伸ばすと瞬時に空いた左手が伸び自分の左手が捕らえられる。右手はそのまま大腿を滑っているところを見ると随分余裕そうで唯一自由な右手で拳骨をつくったとき、初めてそいつのいつもと違う表情に気が付いた。


「…ちょっと、疲れてるんでしょ」
「ん」


短い返事の後、噛まれた左肩に生温かく湿った感触が滑る。今度こそ拳骨をすると「痛いだろ」と非難の声がとんできた。その自由さに苛立ちを覚えたが、いつもと違う様子をみてすぐにぶつけることはせずひとこと「あほ」と返した。


「あんた、そろそろ特定の女の子つくったら」
「お前がいるのに?」
「あほ」


右手が大腿から離れ顔を後ろ向きに動かされる。黙って従ってやると唇に少しだけ湿った感触が触れた。何度か軽い口付けをすると次第に深い口付けへと変わっていく。捕まれた左腕に少しだけ痛みを感じながら、黙って受け止めてやった。


160527

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