(!注意)


 自身の弟刀が他の短刀たちと駆け回っている姿を眺めながら、彼は夏が嫌いだと云った。本丸に移り住み一度か二度目の夏だったと記憶している。本丸では季節や気温をはじめ私の好きなように調節できるらしく、他の審神者の本丸にお邪魔すれば桜が舞っていたり紅葉が綺麗な色を付けていたのを見掛けたが、私は神気の無駄遣いだと体の良い言葉で刀剣たちの言葉を躱していた。面倒であっただけだ。それで、その時は毎年更新を続けている数年ぶりの猛暑であって、とても正気ではいられないような暑さだった。はしたないと咎められるような袖のない洋服を着ていたが、その時ばかりは口煩い長谷部たちも苦 い顔は浮かべたものの、文句を口にすることはなかったと思う。宗三は内番用の衣類をたくし上げて、骨ばった皮ばかりの脚を露出させて水桶の中に浸していた。長い髪は乱雑に纏め上げていて、顔を出した項はじっとりと濡れていた。ポツリポツリと単語を吐き続けるのを何となしに項を眺めながら聞いていた。女性らしいのは外見だけで、身体を支えている手は床について、脚と同じように骨ばった長くて細い指は白く眩しい。高飛車で傲慢のように思えるその口ぶりからは考えつかないが、彼なりに主である私に気を使って話題を探しているようだった。脈絡のない話を壊れたメトロノームのようにテンポ悪く紡いでいる。「わたしも」「はい?」庭先を眺めていた顔がこちらへ向く。腕とは違い常に紫外線に当たっている筈の顔ですら日に焼けるという概念から逸脱したように白く眩しい。「夏は嫌い」一拍おいてまた視線が庭へと戻る。「ああ、はい…」手にしていた麦茶に浮かぶ氷が小気味良い音を鳴らす。あ、汗、垂れた。


 秋は特別任務とやらで忙しく、とうとうゆっくり話を交わす機会を得られず終わってしまった。とは云うが忙しいのは刀剣たちが帰ってきた夜間に報告書をまとめる時間ぐらいで、私は対して変わりなく過ごしていた。粗方の基礎は学んだものの経験を積んだ彼らにしてみれば私の指示など無用のようであるし、臨機応変の対応を指示しているため私の出番はない。一人で紅葉狩りとやらに勤しんだが三日もすれば飽きてしまう。資材集めの遠征に出陣にと、いつも何かしらの気配を感じられた本丸はここ数日間静寂に満ちている。暇潰しに畑を見に行っては、南瓜や薩摩芋が太い茎を伸ばしているのを一日に数回眺め何の行動をすることなく私室へと戻る。厩ですら気配がない。こうしてみるとこの本丸は生き物の気配がまるで感じられないことに気が付いた。春先に飛び交っていた蜜蜂も、夏先に鬱陶しがった蝉も幻だったのではないかと錯覚する。まだ秋蝉がいてもいい時期だし、蜻蛉だって見掛けない。たった一人の空間に、少しだけ肌寒い風だけが静かに静かに吹いていた。



 初雪の日、私は政府から無理矢理承諾をさせ外出許可をもぎ取った。もう何度目の季節であるかは記憶していない。本丸では洋服で過ごしていることのほうが多いのにこの時だけは何故は和服に腕を通し現世へと赴いた。同じく着込んだ宗三の口からは白い息が細く伸びる。首元には同じマフラー。洒落っ気など更々自覚をしていなかったから、皆同じ物を持っている。短刀たちがお揃いだと喜ぶこともあれば、なんで同じ物なんだと文句をいう刀もいた。彼は何も云わずに受け取っていったと思う。潮風の中で靴が砂に埋まっていく感触を足裏に感じながらぼうっとしていると、彼はあの時のように振り返った。「貴方はわたしを眺めることが好きですね」嫌なものを見るような目だった。今日は寒いからか髪は降ろしたままだ。風が吹くたびに攫われていく毛先が桜のように思った。白と桜と青と、中々視界は忙しい。波が主張するように水音をたてる。返答をしないままでいると宗三は溜息を零した。「何故僕をこんなところへ?」少しだけ砕けたように感じる口調に、長く一緒にいたことで少しは心を許しているのだということに気が付いた。わたしがぼさっとしている間にも世界は目まぐるしくも夜を終え朝を迎えることを繰り返す。「だって、好きだから」「好き?こんなに寒いのに」まるで言霊が作用したように、冷たい風が強く吹き付けた。反射的に身を縮こませて固まっていると、雪に溶けてしまいそうな白さを保った手がこちらに伸びてくる。相変わらず骨と皮でできている。宗三の手でわたしのマフラーの上に彼のマフラーが重ねられていく。「貴方は、風邪を召しますよ」どうもおかしな話だった。彼は骨と皮なんかでできていない。鉄でできているのだった。「赤くなっています」けれども、触れた手は何故だか温かかった。その温度から抜け出すようにするりと身を交わすと波打ち際に小走りに寄った。波を踏めば当然のように水飛沫がとんで、靴の中に冷たい水が染みてくる。頭はぼうっとするのに水の冷たさは鋭い痛みのように刺激となる。そのまま水平線へと歩を進めれば水が膝を濡らしたところで右腕を捕まれた。温かい宗三の温もりに違いないと、確信をもって云えるほど慣れ親しんだ温度なのに。「心中するなら僕の前ではやめてください」面白くなさそうに眉間に皺を寄せた宗三が云った。捕まえた腕の指先は元々白いのにも関わらず更に白さを増していた。

 これがきっと現実なのだと思う。きっと全て夢で、長い長い眠りの中にあったに違いない。長谷部の白い手袋は所々が破け血に滲んでいる。大きな手のひらに散らばる鉄くずが、どうしてあの温度と同じと思えようか。


160422

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